安倍首相が8月28日に退陣を表明したものの、その後釜が菅義偉氏で決まりということでは何の期待も持てません。
ノンフィクション作家の森功氏が、菅氏が総裁選立候補を決断したのは8月20日以前であるとするレポートを出しました。
それはそれでニュースなのですが、いまとなってはどうでもいいことです。
それよりも安倍首相は、コロナ禍でとった対策?がことごとく的外れで国民からは総スカンを受け、政権支持率も最低レベルを這い続けているところに体調不良が重なって、早くからすっかりやる気を失っていたことが記されています。
麻生氏や周囲がどんなに説得しても、『もう辞める』の一点張りになり、その後は『もう菅ちゃんに任せたい』に変わり、なにも聞き入れなくなったということです。
そこには体調不良の話は殆ど出て来ません。8月に入った頃から官邸が大々的に首相の体調不良を流すようになっていたにもかかわらずにです。
退陣を表明してから俄かに首相の声音が明るく元気になったことを思うと、退陣に至った最大の理由は実は体調ではなくて、やる気を失ったことだったのではないのか、ただそれでは第一次政権の投げ出しと同じことになるので、敢えて体調不良を前面に出したのではないかと思ってしまいます(アクセスジャーナルは、退陣表明の際に慶大病院のスタッフにも立ち会って貰おうとしたが、病が重いとの偽りのコメントは出せないと断られたと述べています)。
森氏のレポートを紹介します。
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菅義偉氏“安倍官邸乗っ取り”の全内幕 二階幹事長と急接近
森 功 NEWSポストセブン 2020/9/7
※週刊ポスト2020年9月18・25日号
叩き上げの苦労人が、支え続けた総理の無念を受け止め出馬を決断――菅義偉氏自身が語り、メディアが喧伝するストーリーだが、それにしてはあまりに動きが早過ぎはしないか。『総理の影 菅義偉の正体』(小学館刊)でその実像に迫ったノンフィクション作家の森功氏は、この出馬劇を「茶番」と断じた。森氏がレポートする。(敬称略)
シナリオはできていた
すでに首相の椅子を約束された政権ナンバー2とアテ馬の候補者を連日テレビに出演させ、マスコミが一所懸命総裁レースを盛りあげる――。目の前で展開されている自民党総裁選のバカ騒ぎをひと言で表わせば、そうなるだろうか。
「安倍政権の継続に雪崩を打った」とか、「ダークホースが大本命になった」とか、いろいろ言われているが、選挙前から官房長官の菅義偉の総裁就任が決まっている。ただし、新聞やテレビが騒いでいるように、それは安倍晋三が8月28日に辞任会見したあとに決まった流れではない。
私の耳に官邸関係者からその一報が届いたのは、8月20日のことだ。首相が3日間の休養をとって公務に復帰したあくる日木曜の午前中だった。
「菅さんが立つことに決まりました」
官邸関係者は唐突にこう打ち明けてくれた。この時点ですでに「安倍退陣、菅へ政権禅譲」のシナリオができているというのである。
「これまで総理は麻生先生など、ごく近い限られた人だけに退陣の相談をしていました。とくに麻生先生には15日に私邸で話したとき、『臨時代理を頼めないでしょうか』と言う総理に対し麻生先生が『それはまずい。少し休めばいい』と説得したのです。このとき辞める腹を固めていたのでしょう」
もとはといえば、首相の持病再発と退陣説は写真週刊誌『FLASH』(8月4日発売)が報じた7月6日の吐血情報が発端だ。官房長官の菅が病気を打ち消してきた。もっとも次第に潰瘍性大腸炎の再発が確定情報に変わり、萩生田光一や甘利明、稲田朋美といった首相に近い自民党国会議員たちも、「休めばいい」と声を上げていった。そもそも一国の総理大臣の病気というトップシークレットがこうまで簡単に漏れ、それを肯定するような発言が続くものだろうか。先の官邸関係者は当時の状況について、次のように謎解きをしてくれた。
「あのあたりから総理は親しい人たちが心配して話をすると、『もう辞める』という一点張りになった。麻生先生の静養先である軽井沢にまで総理から毎日電話がかかってきたといいます。麻生先生は『辞めるのはまだ早い』と何度も慰留したけど、『もう菅ちゃんに任せたい』と聞き入れなくなったそうです」
実のところ菅への“政権禅譲”の動きはもっと早くからあったようだが、ことが急展開したのはこのあたりからだという。巷間、指摘されている通り、官邸は間違っても次が石破政権では困る。そのためにどうすればいいか、そこを検討していったようだ。28日午後5時の首相の記者会見が開かれるまでの1週間あまり、取り巻きは説得を続け、駆け引きがあったという。
もとはといえば、首相の腹積もりが自民党政務調査会長の岸田文雄への政権禅譲だったのは、よく知られている。ところが、いつのまにか首相官邸は岸田から菅に乗り換えた。とりわけ安倍の心変わりとして挙げられる原因が、コロナ禍の景気対策「所得制限付き世帯向けの30万円の定額給付金」だ。安倍は、次の首相候補である岸田にハク付けしようと30万円の給付政策を発表させた。にもかかわらず党幹事長の二階俊博が撤回を迫り「全国民の10万円一律給付金」に落ち着いた。これは岸田の調整力の欠如が招いた結果だ、と官邸内の評価が下がり、安倍が岸田に見切りをつけたとされる。
しかし、実態はそうではない。30万円の定額給付金は、経産省出身の今井尚哉首相補佐官を中心に財務省の太田充事務次官らで独自に打ち出した政策である。1人世帯でも5人世帯でも同じ30万円の給付、というあまりにわかりにくい制度だ。そして公明党やその支持母体である創価学会からの批判が殺到する。
つまり30万円の給付は経産出身の官邸官僚が立案し、首相自身が彼らに任せた政策なのである。したがって本来、そこに不満が出たら、創価学会との太いパイプを自任する官房長官の菅や党幹事長の二階が抑え込む役割を担う。
だが、その二階が逆に官邸にねじ込んだ。挙げ句、政策撤回を岸田のせいにしてしまったのである。なぜそんな事態になったのか。別の官邸関係者が解説してくれた。
「もともと岸田さんはこの秋の人事で幹事長になるつもりで、次の総理総裁を目指してきた。一方、二階さんは幹事長ポストを死守したい。で、この際、公明側の立場に立ち、岸田を追い落とそうとしたのでしょう」
二階は狡猾な立ち回りをする。その一つが石破への接近だ。もともと田中角栄門下の二人は仲が悪いわけではない。そこで二階は官邸が毛嫌いしている石破派のパーティに講師として参加したり、石破を自民党鳥獣議連の会合にゲストとして招いたりし始め、「期待の星」と持ち上げる。つまりこれは「俺を幹事長ポストから外せば、次の総裁選で石破を担ぐぞ」という官邸に対するブラフにほかならない。
そしてこの時期に二階とタッグを組んだのが、菅なのである。昨年5月1日の改元以来、「令和おじさん」として国民の知名度をあげた菅は、ポスト安倍の有力候補に名乗り出た。その頃、ある自民党の代議士秘書はこう言っていた。
「実は令和の元号は安倍総理ご自身が最初に記者発表したいと言っていたのですが、菅さんが『それは前例がありませんから、私がやります』と押し切った。前例と言っても小渕恵三さんのときの平成しかないのですが、官房長官にはすでにポスト安倍が念頭にあったのでしょう。首相もそのあとに会見したけど、ほとんど記憶にないほど影が薄くなってしまった」
「石破と組むぞ」というブラフ
もともと官邸内では、首相側近グループと菅官房長官とのあいだで確執があったが、一挙に表面化したのがこの頃だ。さらに菅は昨夏の組閣で河井克行や菅原一秀の入閣を安倍に認めさせた。
とうぜん総理の分身と異名をとる首相補佐官の今井たちは面白くない。わけても今井たちが菅への警戒心を強めた出来事が、小泉進次郎の結婚報告だろう。菅は小泉と滝川クリステルを官邸に呼び、その場で記者会見まで開かせた。そこで菅が「ついでに総理に報告して来たらどうか」と小泉に指示したことまで明るみに出る。これでは今井たち首相側近が怒り狂うのは無理もない。
そこから双方の溝が深まり、河井や菅原の選挙違反事件が次々と明るみに出たのは、周知の通りである。そのなかで菅の懐刀として政権における多くの政策を担ってきた首相補佐官の和泉洋人の不倫騒動まで発覚する。
官邸官僚には、今井に代表される首相直轄のグループと官房長官の菅に仕えるタイプの2種類が存在する。この2タイプの官邸官僚が権力争いを繰り広げてきた。
結果、菅自身は重要政策から外されていった。4~5月のコロナの第1波襲来では、今井をトップとする首相直轄の官邸官僚が対策を取り仕切り、菅は知らされず、タッチすることもなかった。
「首相と官房長官にすきま風」。そうマスコミが騒ぎ、双方の関係は修復不可能とまでいわれる。
ところが、ここから菅の逆襲が始まる。その手段の一つが、二階との急接近であり、さらに石破カードだった。ひょっとすると菅は、二階の手法を見習ったのかもしれない。菅は二階だけでなく、石破派の会長代行である山本有二と会食。会ったのは1月なのだが、4月になって「安倍との決別か」と、石破派との接近ぶりがことさらクローズアップされる。
本人が自ら石破との連携を漏らして騒ぎ立てたかどうか、そこは定かではない。が、菅にとっては渡り船だ。「蔑ろにすれば石破と組むぞ」と安倍や側近の官邸官僚に対するブラフになる。まるで二階流だ。
根っこは市場原理主義
おまけにこの頃、首相を支えてきた経産省出身の官邸官僚の失態が相次ぐ。アベノマスクはもとより、中小企業の救済策として打ち出した持続化給付金では、電通と経産省とのなれ合いが問題になる。失政続きの今井たちは立場がなくなり、彼らに政策を委ねてきた安倍もまたピンチに陥った。
そうして菅・二階連合が息を吹き返し立場が逆転していく。その状態を如実に物語る政策が、Go To キャンペーンだ。
もともとGo To キャンペーンは、今井たち経産省出身の官邸官僚が一手に引き受けるはずだったが、持続化給付金事業で汚点を残し、担当官庁に事業を分散させることになった。その1兆7000億円の総予算の中核を担うGo To トラベルを担ったのが、国交省観光庁だ。そこはインバウンド政策を担ってきた菅と運輸族議員である二階の得意分野でもある。
結果、Go Toキャンペーンを菅・二階で取り仕切り、その開始日を7月22日に前倒しする。
そしてこの間、コロナ禍で何をやってもうまくいかなかった首相の安倍は、次第にやる気をなくしていった。むろんストレスのせいもあるだろう。
9月2日の菅の総裁選への出馬会見では、安倍から“政権禅譲”はなかったと言った。だが、8月20日に「菅が立つことに決まった」と話した官邸関係者はこうも言った。
「もはや総理が『菅ちゃんに任せる』と説得を受け付けない以上、仕方がない。で、総裁選のやり方を検討し、両院議員総会と都道府県の党代表による緊急選挙にすればいい、となったんです」
首相の辞任会見で安倍は表向き後継指名こそしなかったが、「総裁選びは党に一任する」と言った。それは責任者の二階幹事長が、党員投票なしの緊急総裁選に決定することを前提とした話だ。実は両院議員総会などによる総裁選は、もともと岸田へ政権禅譲をしようとしたとき検討した方法でもあるのだという。
形ばかりのまさに茶番、これを密室談合の出来レースと呼ばずして、何といえばいいのか。そして2度目の政権投げ出しに対し、「病気だからやむなし、無念だろう」という同情論が巻き起こり、内閣支持率が上がっている。その間に9月の臨時国会で解散、総選挙に流れ込もうとしている。
次期首相確実な菅は、総裁選の出馬会見で、雪深い秋田の農村から高校を卒業し、単身上京して政治家になった自らの泥臭い生い立ちをアピールした。世襲の政治家ではない地方思いの苦労人を自負し、ふるさと納税の旗振り役として、地方の活性化を訴えてきた。
しかし、本人の政策からはそんな泥臭さを感じない。むしろ政策の根っこは、新自由主義と称される市場原理主義にあるのではないだろうか。菅には格差社会を生んだアベノミクスの反省はない。
まさに姑息な「居抜き乗っ取り内閣」の誕生である。