菅義偉氏が2日の総裁選出馬会見で「自助・共助・公助」を掲げたことに対して、SNS上で「責任逃れ」「自己責任の押し付け」などと批判が噴出しました。
それで慌てて「そして絆」をつけ足したということですが、正に付け焼刃というものです。
自己責任論が強調された小泉政権時代に、その根幹思想である新自由主義を主導したのが竹中(平蔵)総務相でした。そしてその副大臣を務めた人こそが菅氏でした。
弱肉強食の世界を是認する新自由主義はその後当然批判されましたが、もしも菅氏がそうした修正を加えないまま現在に至っているのであれば、その本質は「酷薄、冷淡、冷酷」であるとするそしりを免れません。
菅氏が「自分は秋田の農家の出身」で、「上京後 苦労をし(て今日の地位を築い)た」と強調するのは、自分は苦労人だから人に対して暖かく、国民の苦しみがよくわかると印象付けたいのでしょう。
しかし苦労して成功した人の中には、そうでない人たちを「苦労が足りない」からだと見る人もいます。菅氏がまさにその例で、彼が困窮している中小零細企業や、安倍政権のゼロ金利・マイナス金利政策によって苦境に陥っている地方銀行等に対して冷たいのはそれを示しています。
日刊ゲンダイが「『地方の叩き上げ』という欺瞞 この格差下でまず『自助』という菅義偉の正体」とする記事を出しました。菅氏の本質を捉えています。
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<「地方の叩き上げ」という欺瞞>
この格差下でまず「自助」という菅義偉の正体
日刊ゲンダイ 2020年9月7日
記事集約サイト「阿修羅」より転載
万人受けしそうなフレーズを取ってつけた印象だ。自民党総裁選で優勢に立つ菅官房長官の政策集。そのスローガンには、菅が「国の基本理念」に掲げた「自助・共助・公助」に「そして絆」が付け加えられた。
2日の出馬会見での「自助・共助・公助」発言に、SNS上は「責任逃れ」「自己責任の押し付け」などと批判噴出。評判の悪さに「絆」を足したのだろうが、こんな空疎な付け焼き刃では菅の「地金」は隠せない。
菅は「まず自分でやってみて、地域や自治体が助け合う。その上で政府が責任を持って対応する」と語ったが、このコロナ禍で「まず自分で」と最初に「自助」を持ち出すセンスに驚愕する。
「自助・共助・公助」は1995年の阪神・淡路大震災以降、災害対応の文脈で広く使われる言葉だ。九州・沖縄を襲った台風10号を例に挙げるまでもなく、災害発生時は、まず自分や家族の命を守る準備を進め、地域コミュニティーで助け合う。その上で、行政の公的支援を受ける。3つの「助」の適切なバランスも大事だ。
しかし、国の基本理念として語られる場合は真逆の意味を持つ。自分のことは自分で。それでもダメなら他人を頼れ。国は基本的に手を差し伸べない――。要は自分のことを自分で守れない弱者は国に見捨てられても仕方ない。新自由主義的な冷酷な論理である。
大体、自助・共助ともそれを可能にする環境を整えるのが公助=政治の務めではないのか。ところが、公助としての社会保障政策をズタズタにし、社会的弱者にも自己責任を押し付け、格差社会を放置・蔓延させたのが、アベ政治の7年8カ月だ。その中枢メンバーが反省のそぶりも見せず、次期総理の有力候補として平然と自己責任論を言い放つ。この冷淡さには改めて背筋が凍る思いだ。
菅は「秋田の農家の長男」「高卒で上京して段ボール工場勤務」と、やたらに「地方から出て来た苦労人」をアピールしているが、“浪花節”にだまされてはいけない。メディアへの露出増で見えてきたのは、冷酷、冷淡、冷徹な本性。弱肉強食志向のバリバリの新自由主義者の顔である。
本当は努力自慢の公助に甘えるなおじさん
例えば、6日の日経新聞の単独インタビューだ。菅はアベノミクスの異次元緩和をゴリ押しした日銀の黒田総裁を「手腕を大変、評価している」と絶賛。一方、「利ざやの低下」という緩和の激しい副作用で経営苦に喘ぐ地域金融機関には情け容赦ない。
「将来的には数が多すぎるのではないか」「再編も一つの選択肢だ」と合併・再編を促す方針で、地銀の経営統合を独占禁止法の適用除外とする特例法を活用。これまで困難だった同一県内の合併も認めたいようだ。
「リフレ派の黒田総裁を評価し、富裕層がさらに潤えば、その富が低所得者に滴り落ちるトリクルダウンなる強者の論理を継承すること自体、菅氏の政策は錯誤している」と言うのは、経済アナリストの菊池英博氏だ。こう続けた。
「異次元緩和のマイナス金利は地銀に“金を吐き出せ”と迫るペナルティー政策です。しかし、アベノミクスは大失敗。地方経済は疲弊し、資金需要も細くなるばかり。無理に貸し出し増を求めた結果がスルガ銀などの不正融資です。故意に地銀を弱体化させた上、自助努力が足りないとばかりに数まで減らせば、地方経済の衰退は加速します。金融機関のリスクテークの力も弱まり、生き延びられるはずの企業も潰れ、雇用はますます奪われてしまう。行き着く先は、菅氏が掲げる『活力ある地方の再生』とは真逆の地方の破壊です」
都市と地方の格差拡大だけでなく、菅はコロナ禍の経済喚起策としての消費減税にも無関心だ。貧しい人ほど逆進性が直撃する「悪魔の税制」を放置すれば、経済格差もますます広がる。生活弱者には塗炭の苦しみが待ち受ける。
さらに菅は小規模事業者を含め企業全体の99・7%、雇用の約7割を担う中小企業にまで牙をむこうとしている。前出の日経インタビューで「中小企業基本法で定める人数や資本金の定義などは見直した方がいい」と明言した。
同法は製造業なら「資本金3億円以下、または従業員300人以下」を中小と定め、大企業と比べ税制や補助金など手厚い措置が受けやすくなる。これが中小の再編・統合を妨げているとの指摘もある。そのため、菅は「中小企業の再編を必要ならできる形にしたい。足腰を強くする仕組みをつくる」とし、基本法見直しという猛烈な規制緩和を促進。中小の再編・淘汰が進めば余剰人員はこぼれ落ちる。つまり、菅は弱肉強食の大リストラに動く方向なのだ。
地方は「切り捨て」の対象でしかない
経済ジャーナリストの井上学氏はこう言う。
「菅氏は効率最優先で、中小企業の『労働生産性』の低さを目の敵にし、再編・淘汰したいようですが、低生産性は必ずしも企業規模の問題ではない。スケールメリットによるコスト削減を求めるのは途上国的発想で、高級車のドイツやGAFAの米国など先進国のように高付加価値の製品を生み、売り上げを伸ばす道もある。むしろ、この国では半導体のエルピーダ、液晶のジャパンディスプレイなど政府主導の“弱者統合”が失敗したケースも目立ちます。しかも政府が基本法を見直し、優遇措置や補助金を撤廃させ、企業を合併せざるを得ないような苦境に追い込むなんて、もってのほかです。“上の言うことは黙って聞け”と言わんばかりで、カネは出さずに口だけは出す。そんなイビツな『小さな政府』の発想が垣間見え、今から危ぶまれます」
そんな菅の「知恵袋」と言われるのが、小西美術工藝社のデービッド・アトキンソン社長だ。彼は「プレジデント」(5月29日号)のインタビューにこう答えている。
〈赤字企業はただの寄生虫ですから、退場してもらったほうがいい〉〈中小企業は、小さいこと自体が問題。(注=成長や規模拡大が)できない中小企業は、どうすべきか。誤解を恐れずに言うと、消えてもらうしかない〉――菅は過激な淘汰論にかぶれたのか。
日経のインタビューで菅は「デジタル庁」の創設にも言及した。現在、内閣府や経産省、総務省などに分かれるIT行政の担当を一本化。総背番号制による国民監視と、ビッグデータを活用した大企業向けのデータマーケティングに道を開く狙いもあるのだろう。菅には、デジタル監視社会信奉者という危険な側面もうかがえるのだ。
まさに本当は怖い「令和おじさん」。「地方重視の叩き上げ」なんて印象操作は欺瞞でしかない。いや、逆に裸一貫から努力を積み重ね、総理寸前までのし上がってきた経歴が、「自助」強調の自己責任論に走らせているのではないか。その自負心こそが「弱者は公助に甘えている」という誤った認識の根本にあるようにも思えるのだ。
いずれにせよ、沖縄の人々に寄り添うことなく、常に上から「辺野古移設が唯一の選択肢」と強制する菅に、「地方出身の苦労人」の姿勢はみじんも感じられない。
「2012年に当時の民主、自民、公明の賛成多数で成立した『郵政民営化見直し法』に党の方針に背いて反対したのが、菅氏です。郵便・貯金・保険の基本業務を全国の郵便局で一体提供するユニバーサルサービスの責務を課す内容にあらがったわけです。菅氏は小泉構造改革の継承者。小泉政権の総務相で郵政民営化の旗振り役だった竹中平蔵氏を、副大臣として支えた“竹中チルドレン”でもある。新自由主義的な世界観にどっぷり漬かった彼にとって、地方は切り捨ての対象でしかないのです」(菊池英博氏=前出)
党員投票見送りの批判封じと、民主的投票の演出のため、菅陣営は「完勝」狙いで地方票の切り崩しに躍起だ。その地方こそが、冷血「自助」首相の誕生で真っ先に犠牲となる。