2015年5月30日土曜日

矛盾だらけの首相の説明・言語破綻 安保法案

 安倍首相と同郷の作家田中慎弥氏小説『宰相A』で、宰相に「戦争こそ平和の何よりの基盤」、「戦争の中にこそ平和を見出せると語らせています※1
※1 3月25日 「宰相 A」 安倍晋三の実像と虚像
 ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984」では、某国は「戦争は平和である」、「無知は力である」というスローガンを掲げているということです。
 こういう全くあり得ない話でもそれを繰り返していれば国民はやがて矛盾を感じなくなるものなのです。
 東京新聞の27日付「こちら特報部」は、日本ではいまそれが現実になりつつあると述べています。
 
 安倍首相は、安保法制によって「アメリカとの連携が深まり抑止力が高まるので、戦争に巻き込まれなくなる(より安全性が高まる)」と得意そうに語りますが、これほどデタラメな話もありません。
 今日、軍事的超大国であるアメリカに攻撃を仕掛けるような国はありません。逆にアメリカこそが、第二次大戦後の70年間ひたすら他国に対して戦争を仕掛けてきた張本人でした。今後はアメリカと歩調を合わせるということであれば、そのまま日本もアメリカと同様の戦争国家になるだけの話です。
 
 東京新聞は、首相の説明は「矛盾だらけ」、「奇妙な理屈」、「言語破綻」、「はぐらかし」、「言いくるめ」、「黒を白と言う」、「支離滅裂」 等々と、マスメディアがなぜか必死に抑制している批判の言葉を忌憚なく並べ尽くしています。
 
 普通は「論理の破綻」という言い方をするものですが、安倍首相の場合は、そこにあるのは「放言」とでも言うべきもので「論理」と呼べるようなものはありません。なるほど、「言語破綻」の方が似合います。
 新聞の投書欄でも、「首相の答弁は放漫で不誠実。その場しのぎ。聞かれていないことを長々としゃべる」などの批判が目立ちます。問題は本人にその自覚が全くないことで、むしろ無意味な長広舌を得意になっているように見える点です。
 マスメディアはこれを何処まで放置しようというのでしょうか。これでは彼が在任中、国民は延々と言語破綻の長広舌を聞かされることになります。
 「政治における日本語は死んだ」(ブログ:村野瀬玲奈の秘書課広報室)の最たるものが安倍氏に当てはまります。
 
 東京新聞が「こちら特報部」で安倍首相の言語破綻の実例を丁寧に紹介してます。
 
追記) あいば達也氏は彼の29日付ブログ「世相を斬る」で、首相のことを次のようにこき下ろしています。
 安倍の最大の強みは“無教養に気づかないほど無教養”なので、論理の破綻や矛盾なんて、まったく意に介さない。そして、滔々と噛み合わない答弁を苦にせず話せる。普通以上のIQがあれば、「あれっ!なんか言っていることがヘンチクリ?」と田中直紀のように右往左往するのだが、そういう心配もない。
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首相説明矛盾だらけ 後方支援「安全確保」奇妙な理屈 
安保関連法案審議入り 政権内 相次ぐ言語破綻 
こちら特報部 東京新聞 2015527
 はぐらかし、言いくるめ…最後は「私が総理」 
 政治こそ「存立危機事態」
 
 平和を守れるかのみならず…そもそも議論が成り立つのか「安全な場所で後方支援」という首相のせりふがある。
 安全かどうか、一体誰に聞くのか。
 
 党首討論では、政府説明が正しい根拠を「私は総理大臣だから」と言ってのけた。
 論理も言語も破綻している
 日本の政治こそ「存立危機事態」にあるように映る
 
 一般に海外派兵は認められていない」
 「外国の領土に上陸していって、戦闘行為を行うことを目的に武力行使を行うことはない」(20日党首討論)
 だがペルシャ湾機雷除去は「『一般』の外」。
 PKOも「武力行使は決して行いません」(14日記者会見)だが、法案では武器使用条件緩和でかけつけ警護
 後方支援:しっかりと安全が確保されている場所で実施…
 だが戦争で相手側の兵たん部門を狙うのは常、安全か否か、敵に聞くのだろうか
 
 安保法制によって「抑止力が高まり、戦争に巻き込まれなくなる」も、奇妙な理屈
 自らの戦力は「戦争をしない」張り子のトラだと宣言すれば、抑止力となりようがない
 米軍が日米安保条約の枠組みで、日本の抑止力になっていることは分かる。
 しかし、日本が米国と集団的自衛権を行使できるようになって、どう抑止力が高まることになるのか
 
 米国の戦争に巻き込まれることは「絶対にあり得ない」…安保法制に関する首相の発言には、白を黒といいくるめる強引さがある。
 首相の支離滅裂ともいえる発言は現在の安保法制に限らない。
①70年談話について「歴史認識は村山談話の基本的な考え方を引き継いでいく」と同時に、「国策を誤り」「痛切な反省」という文言は退け、
②「解釈改憲は立憲主義の否定」との指摘に「立憲主義にのっとって政治を行うのは当然」とはぐらかし
③13年9月IOC総会、福島原発事故の汚染水について「状況はコントロールされている」と語った。
 猪瀬都知事(当時)は「必ずしもアンダーコントロールではない」と指摘したが、どちらが正しかったかは周知の通り。
 
 こうした「安倍話法」ともいえる言葉の破綻は、周辺にも伝搬している。
 こうした無責任とも言える発言が首相や周辺から発せられながらも、政権の支持率は高い。
なぜか?
 「インターネットの普及で、感情やムードが世相を支配するようになった。それに伴い、政治家の問題発言を深く考える傾向が薄まっている」。小林正弥(千葉大・政治哲学)。
 「報道する側も優等生や官僚的な思考の人間が増え、政権の揺さぶりに反応し、追及が甘い。これらが悪循環し、慣らされてしまっているのでは」。
 
 ではどうすべきか。
 「ムードに支配されないためには、人間の理性や教養を一から立て直さないとダメだ。メディアの自覚とともに…一人一人が考えねば」
 
 「(関連法案の説明が)間違っている」と岡田代表に指摘された首相…「何をもって間違っているというのか分からない。われわれが提出する法律(案)についての説明は全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」。
 首相であることが、なぜ、正しさを担保するのか。
 
 現在の政治こそ存立危機事態
 
デスクメモ
 「戦争は平和である」「無知は力である」。
 これは英作家ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984」(一九四九年刊行)で、架空の全体主義国家「オセアニア」が掲げるスローガンだ。
 国民は事の矛盾を感じぬよう洗脳される。
 想定から約三十年遅れ、悪夢は現実になりつつある。