2015年5月8日金曜日

敗戦から現代に連なる不断の水脈 (植草一秀氏)

 このたびの安倍首相の訪米で明らかになったのは、彼の驚くべきアメリカ追従の姿勢でした。
 これには右の陣営(その中の自由人)からも痛烈な批判が出ています。
 
 漫画家の小林よしのり氏は、4月30日のブログ「安倍首相の米議会演説は愚劣でバカバカしい」 http://yoshinori-kobayashi.com/7535/ の中で次のように罵倒しています。
(引用開始)
 (前  略)その演説全文を読んでみたが、アメリカに媚びたその自虐史観にムカムカした。
「民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださいました」とか、「日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした」とか、よくこんな醜悪な媚びを連発できるものだ。(中 略
安倍首相は「民主主義はアメリカからの贈り物」と思っているらしいが、とんでもない自虐史観だ。(中 略
しかも過去の日米戦での米兵の死に「深い悔悟を胸に」抱くそうで、「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを」刻んだそうだ。(中 略
そんなに先の大戦に「悔悟」の念を抱き、「痛切に反省」をしていたら、靖国神社の英霊に対してなぜ「顕彰」が出来るのか?
今後、安倍首相が靖国参拝をしても、わしはアメリカのポチに成り下がった奴が、英霊を愚弄するんじゃないと怒るしかない。 (中 略
しかもやたら民主主義を強調するくせに、辺野古の基地問題も、安保法制も、すべて米国と先に決めてしまい、国会審議は後回しでいいと言うのだから、どこが民主主義なんだ!? (中 略
バカバカしいとしか言いようがない。(引用終わり)
  
 確かに中国や韓国に対しては、先の戦争で多大な災厄をかけたことにも決して頭を下げようとしないのに、アメリカに対しては跪かんばかりにして謝罪しています。
 
 それなのに、安倍首相の言動に一貫性を求めること自体が間違いといってしまえばそれまでですが、そうした自らの二面性が全く苦にならないようなのには呆れます。
 
 7日付の植草一秀氏のブログが、「維新から大戦、敗戦から現代に連なる不断の水脈」と題して、哲学者の内田樹氏と政治学者の白井聡氏による対談書『日本戦後史論』白井氏『永続敗戦論』を紹介してます。
 
 まず『日本戦後史論』では、第二次大戦の敗戦後、日本は新しい時代を迎えたと思われているものの、その実、戦前の日本を引きずっていて、占領下の日本の徹底検証が必要であることが強調されているとし、『永続敗戦論』は、戦後の日本が第二次大戦の純然たる敗北を終戦などとごまかしてきたのは、戦争を指導していた人たちが、戦後また支配的な地位に留まり続けるためであるとしています。
 
 そして実際に占領期に占領軍と通じていた人間たちが、その後の日本政府の中枢を占め、いまだに当時の関係者の末裔たちが政権中枢に居座っていることについて次のように述べています。
 CIA協力者リストに名前が挙がっている岸信介、賀屋興宣、正力松太郎(読売新聞社主)がそのまま戦後日本の実力者の地位を占め、現在もその末裔の安倍晋三と読売新聞が協力して「米国に役立つように」9条の改憲と軍国化に向けて歩を進めている(要旨)と。
 
 安倍晋三氏とCIAとの関係については分かりませんが、そのエージェントであった岸信介からアメリカ至上主義の薫陶を受けていたであろうことは想像に固くありません。そうであれば訪米してひれ伏さんばかりにしてアメリカを持ち上げたことも、安倍氏にとっては当然至極のことであって、それが対中国・韓国の姿勢とは隔絶したものであったとしても、本人にとっては何の違和感もないことなのでした。
 
 しかしそうした対米従属は売国行為そのものなので、国民としては堪ったものではありません。リーダーとしてあるべき姿に目覚めて欲しいと願うほうがやはり無理なのでしょう。
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維新から大戦、敗戦から現代に連なる不断の水脈
植草一秀の「知られざる真実」 2015年5月 7日
哲学者の内田樹氏と政治学者の白井聡氏による対談書『日本戦後史論』(徳間書店) http://goo.gl/rkFHcI がおもしろい。帯には「タブーなしの徹底対談!」とある。
 
「タブーなし」とあるように、本書では、「天皇の戦争責任」が論じられている。
第二次大戦の敗戦後、日本は新しい時代を迎えたと思われているが、その実、戦前の日本を引きずっている。二人の著者は占領下の日本の徹底検証が必要であると強調する。
 
白井氏は『永続敗戦論』 http://goo.gl/yibEL5 で、大いなる注目を浴びている。
白井氏は、戦後の日本が、第二次大戦の純然たる敗北、文句なしの負けをごまかしてきた、と指摘する。白井氏はこれを「敗戦の否認」と呼ぶ。
 
なぜ敗戦を否認しなければいけなかったのか。白井氏はこう指摘する。
あの戦争を指導していた人たちが、戦後また支配的な地位に留まり続けるためです。
彼らは間違った指導をしたのですから、本来はそんな地位に就けるはずがない。
だから敗戦という事実をできる限りあやふやにしなければならなかった。」
戦後の日本は戦前と断絶し、新しい時代に切り替わったと学校では教えている。
しかし、内実は違う。戦後の日本は、内実のところで、戦前を引きずっているのである。
 
そして、旧体制が自己保身するために、すべてを米国に寄り添ってきたのである。
内田氏は同書末尾で次のように述べる。
「フランスの場合似ているのは、占領期に占領軍と通じていた人間たちが、その後の日本政府の中枢を占めているということです。
自民党のある部分は敗戦時に軍隊の物資を私物化したフィクサーとCIAの合作です。
ですから、そこにかかわる話は日本の保守政界でも、保守系メディアでも完全なタブーですね。
しかしいまだに当時の関係者たちの末裔たちが政権中枢に居座っている
占領期にアメリカと通じた人たちとその係累たちが今も続いて日本の支配層を形成している。
占領期における対米協力者というのは、フランスにおける対独協力者と機能的には同じものですよね。
岸信介も、賀屋興宣も、正力松太郎もCIA協力者リストに名前があがっている。
 
アメリカは公文書を開示してくれますから、日本人自身がどれほど隠蔽しようとしても、外から情報が漏れてきてしまう。
岸と正力がCIAのエージェントだったことを知れば、安倍晋三と読売新聞がつるんでいるという政治的絵図は1945年から変わっていないということがわかります。」
情報を開示する米国ではあるが、岸信介に関する情報は、いまだに十分開示されていない。
白井氏は、
「CIAの情報は自動的に何年か経てば公開していくはずなんだけれども、岸ファイルについては例外扱いで、公開されていなのだそうです。
戦後の日米関係の根幹、ひいては現在の日米関係を揺るがしかねないという判断なのでしょう」
と指摘する。
 
私たちは、『戦後史の正体』を確認する必要がある。
戦前は戦後につながり、明治は昭和につながっている。
そして、明治維新についての真相解明が強く求められている。
 
現代日本を正確に理解するには、明治維新の謎を解き明かすことが必要である。
支配者は「民主主義」の装いを纏(まと)うが、現実には民主主義を敵視している。
民主主義の装いを纏い、いかに人民を欺くかに腐心しているのである。
その内実、カラクリを見破り、支配の構造を打破、刷新しなければならない。
民衆を指揮して、日本政治の構造を打破する「運動」の始動が求められている。 
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