2015年5月5日火曜日

佐藤優元外務省分析官が暴走する安倍氏を痛烈に皮肉る

 元外務省主任分析官・佐藤優氏が、安倍首相のことを「ポエム()体質」と評価したことをLITERAが紹介しています。
 
 「詩」はいうまでもなく文学の最高レベルに位置するものですが、佐藤氏は別に安倍首相を持ち上げて言っているのではなくて、首相が「我欲から虚名を求め、非論理的で衝動的である」ということを悪い意味での「ポエム」に譬えているのです。政治家としての安倍氏を「酷評」したということに他なりません。
 
 そういう意味では、生活の党の山本太郎議員がついでに「ポエム体質」とされてしまったのは気の毒な話しで明らかに濡れ衣です。
 山本氏の演説は理論に裏打ちされているものの、それを超えたロマンがあって聞く人の心に訴えます。佐藤氏も山本氏のことを「権力に執着せずに美学で動く」と評価しています。
 そういう意味で山本太郎氏を「詩人」と呼ぶ場合それに共感する人は沢山いそうですが、安倍氏を正しい意味での「詩人」と呼ぶ人はまずいないでしょう。
 理屈の通らない「滅茶苦茶なことを言う人」というのであれば多くの人は賛同するでしょうが。
 
 LITERAの記事を紹介します。
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佐藤優が改憲へ暴走する安倍に痛烈皮肉!
 「安倍首相は山本太郎と同じポエム体質」
LITERA 2015年5月4日
 集団的自衛権容認、訪米による米国の戦争への全面協力の約束、今国会で審議が始まる安保法制、そして憲法改正──。
 「戦争のできる国家」をめざして暴走を続ける安倍政権に対して、このところ、知識人、文化人の間で、少しずつではあるが批判の声が強まっている。いままで政治的発言をしていなかった作家やタレントが危機感を口にするケースも増えているし、大江健三郎や内田樹らといった、もともと政権に批判的な識者もこれまでにない強い調子で安倍首相を非難し始めた。
 
 そんななか、元外務省主任分析官・佐藤優がユニークな安倍批判を行っている。
 「安倍首相の集団的自衛権はポエムです
 この政権の幹部たちはコンビニの前でウンコ座りしている連中と同じ
 こんな発言が掲載されているのは、佐藤と作家・中村うさぎの対談本『死を笑う うさぎとまさると生と死と』(毎日新聞社)。佐藤と中村は仲が良く、別のテーマで対談企画が進んでいたのだが、中村が原因不明の重病で一時、心肺停止状復におちいっていたのを機に「死」をテーマに対談を開始。それをまとめたのが同書だ。実際、この本のなかには、中村の臨死体験や死後の世界があると言う佐藤と絶対にないと言う中村の論争、二人の死生観などが語られていて、ある意味では哲学的ともいえる刺激的な内容となっている。
 
 ところが、この対談、途中で何回か話が脱線して、佐藤の口から辛辣な安倍首相への批判と皮肉たっぷりの分析が飛び出すのだ。
 たとえば、佐藤が最近、ハマっているVシネマについて話していた際のこと。その作品に山本太郎が出演していたことから、中村が「あたし、山本太郎は嫌いじゃないんだけど、政治家ってどうなのかなってね」と尋ねると、佐藤は「彼の演説はポエムですから」と指摘。山本太郎のように権力に執着せずに美学で動く人間は、とんでもないことをしでかす可能性があるから怖いと持論を展開したのだが、その延長線上で安倍首相にも同じ危機感を表明するのだ。
 
 「歴史に名前を残すとか、自分の美学で行動しますから。安倍晋三さんの怖さもそこなんですよ」
 佐藤によると、山本太郎と安倍晋三は似ているらしい。
 そして、佐藤は安倍首相の集団的自衛権に関する主張がいかにデタラメかを逐一指摘したうえで、
 「そういうぶっとんだ議論が通用しているのは、ポエムだからなんですよ」
 と、山本太郎と同様に、安倍晋三の主張も「ポエム」であるとの論を展開し始めるのだ。
 「これは安倍首相の「美しい国のためにがんばっています」というポエムなんです。結論ではなく、がんばっているということが重要なんですよね。最初は憲法9条改正をしなければと公言し、96条改正でまず過半数をとろうとしたら、それじゃあ裏口入学みたいだと言われちゃってね。だから、集団的自衛権の問題は「憲法改正しないでもできるんだもん!!」と子どもが意地張っているようなレベルの話なんです」
 
 これについては中村も「完全に妄想じゃないですか」と同意。憲法改正について「だいたい改正ってどういうことなんですか? 改正の「正」って正しいという字じゃないですか? 9条の改正は正しいことだとみんなが思っているわけじゃないでしょう」と疑問を投げかける。
 すると、佐藤は安倍首相が憲法の三つの要素のうち、一つのことしか考えていないとして、こう指摘するのだ。
 「一つは日本がどういう国なのかという国柄、昔の言葉でいうと、国体を示すもので、この手の話が安倍首相は大好きなんです。二つめは法理構成上どうなっているかです。人権の規定はどうなってるかだとか、大日本帝国憲法との連続性、非連続性はどうなっているかとか、これは細かい法律の知識が必要な話で、安倍首相はこういう話は苦手なんですね」
 「一番まずいのは三つめで、日本国憲法は国際的な約束だということです。ポツダム宣言や降伏文書を受け入れて日本国憲法をつくり、そののちにサンフランシスコ講和条約があるという一連の国際的な約束なんですね。だから憲法9条の「戦争をしない」というのは、外国に対する宣言でもあるわけですよ。その宣言を変えるというのは、国際社会に対し、ものすごい意味をもつんですよ。その議論がないのはどういうことでしょう」
 
 そして、これらの議論のすっとばしも、佐藤によれば、安倍首相の主張が「ポエム」であるからこそだという。
 「安倍首相は現状を精査しないで、心で「いまやりたい!」と思っているだけなんです」
 「ポエムはある人の琴線には触れますが、ほかのある人の逆鱗にも触れるわけです。だから、安倍首相については好き嫌いがはっきり分かれちゃうんです。安倍首相の詠んでいる詩が「好きか嫌いか」が大いに関係するんですね」
 「ポエムですから、首相のコメントを分析しても意味がないんですよね。ですから、新聞では現状「政治面」に掲載されている安倍首相の集団的自衛権の記事は、本来であれば「生活面」で扱うのが正しいのです。心のページでね」
 そのうえで、安倍首相をこう小馬鹿にする。
 「安倍首相を含め、この政権の幹部たちはあんまり難しいことを考えないですよね。コンビニの前でウンコ座りしている連中と同じなんです」
 「斎藤環さんがいうところの『ヤンキー政治』ですよ。基本的には『闇金ウシジマくん』の世界ですね」
 
 なんとも痛烈な皮肉。もともと、佐藤は元外務官僚らしく政治的には保守で、第一次安倍政権のときはむしろ安倍首相に擁護的だった。ところが、安倍首相が集団的自衛権をもち出したあたりから批判を強め、昨年、出版した池上彰との対談本『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』(文春新書)でも、安倍政権を「無知」「支離滅裂」と厳しく批判していた。
 元外務官僚の佐藤氏としては、現実的な妥当性も論理的な整合性もまったくなく、非知性的で短絡的なだけの安倍首相の動きが、よほど我慢ならないのだろう。
 しかも。安倍首相の「ポエム」は着実にこの国に浸透している。佐藤は「王様の心次第でなにごとも変わる」という中世のような世の中になりつつあると警鐘を鳴らしているが、だとしたら本当に恐ろしい事態だといわざるをえない。 (野尻民夫)