2015年5月27日水曜日

本当は「ポツダム宣言」に強い反感 安倍首相

 20日の党首討論で共産党の志位委員長から「ポツダム宣言を自身で受け入れているのか」と聞かれたのに対して、安倍首相はつまびらかに読んでいないので「論評は避けたい」と答えて世間を唖然とさせました。
 それも宣言文を暗記しているのかを問われたのではなく、第6項と8項について内容を説明した後にそれを受け入れているのかと聞かれたことにそう答えたのでした。
 
 それは譬えていえば、ドイツのメルケル首相が第二次大戦で降伏したときの連合国側の「ベルリン宣言」について、「よく知らない」と世界に対して発言したに等しいことでした。
 それでは国連の常任理事国に立候補する資格などはありません。
 
 ところがその後、安倍氏が2005年に月刊誌「Voice」の対談で、「ポツダム宣言というのはアメリカが原爆を落とし、日本に惨状を与えた後、『どうだ』とばかりにたたき付けたもの」と語っていたことが分かり、降伏の提案と原爆投下の順序を逆に理解していたという醜態も演じました。そしてポツダム宣言に対して安倍氏が強い反感をもっていることをはしなくも示しました。
 聞けば聞くほど問題で、深みに嵌っていくという感じです。
 
 この件について弁護士の深草徹氏が、ブログ記事:明らかになった安倍首相のポツダム宣言に対する強い反感」を発表しました。ポツダム宣言の内容とその受諾を巡っての当時の政府の対応が分かりやすくまとめられています。
 ポツダム宣言の全容とそれの受諾に至る経緯を理解するのに良い資料なので以下に紹介します。
 
   (関係記事)
     5月22日 ポツダム宣言を読んでいないことを認めた安倍首相 
5月25日 戦後レジーム論者の首相がポツダム宣言読んでいない! 
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明らかになった安倍首相の「ポツダム宣言」に対する強い反感
弁護士深草徹の徒然日記 2015年5月25日
 5月20日に行われた志位和夫氏との党首討論で、安倍晋三首相が、ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と答弁したことが話題を呼んだが、それ以上に驚くべきことは、その安倍首相が自民党幹事長代理だった当時、月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたと報じられたことだ(朝日新聞デジタル 2015年5月22日08時36分)。
 
 どうやら安倍首相はポツダム宣言に対し、ひそかに敵意と言っていいほどの強い反感を抱き続けていたようだ。戦後レジームの出発点はポツダム宣言であるから、戦後レジームからの脱却を悲願とする安倍首相が、ポツダム宣言に対し、強い反感を抱き続けていたのは当然かもしれない。
 
 折角の機会だから、ここで、ポツダム宣言について、少しおさらいをしておきたい。
 1945年7月26日、無条件降伏し、連合国(ソ連)の占領下にあったドイツのポツダムの地より、米英中三カ国連名で、対日降伏勧告文が発せられた。これがポツダム宣言である。
 
 ポツダム宣言の骨子は、以下のとおりであった。
◎我ら(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、日本国に対し戦争を終結する機会を与える。
◎我らの条件は以下のとおりであり、これについては譲歩しない。
・日本国民をして世界征服の戦争へと導いた勢力を除去する。
・平和、安全及び正義の新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまでの日本領域の諸地点の占領
・カイロ宣言の条項の履行。日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我らの決定する諸小島に限られる。
・日本軍武装解除。兵士は各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。
・日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないこと。戦争犯罪人の処罰。民主主義的傾向の復活強化。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。
・日本は経済復興させ、公正な賠償の義務を履行するために産業を維持することができること。戦争と再軍備のためのそれは認められないこと。
・これらの条件が達成せられ、日本国国民が自由に表明した意思により平和的傾向の責任ある政府の樹立せられたことが確認されたら占領は解かれること
・全日本軍の無条件降伏と日本国政府による保障が提供されること。これ以外の選択肢は、壊滅あるのみ。
 
 我が国政府がこれを確認したのは同月27日のことであった。
 
 政府部内では、東郷茂徳外相は、「無条件降伏を求めたるものにあらざることは明瞭」、「占領も地点の占領」であり「保障占領であって広範なる行政を意味していない点は、ドイツ降伏後の取り扱いとは非常なる懸隔がある」と評価し、慎重かつ前向きに検討することを求めた。鈴木貫太郎首相も、一旦はこれに賛同したが、陸海軍内に強硬な反対意見が噴出したため、同月28日に至り、記者会見の場で「何ら重大な価値あるものとは思わない。ただ黙殺するだけである。我々は断固戦争完遂に邁進するだけである。」と強硬姿勢をとることとなってしまった。
 
 鈴木首相の上記発言が、ポツダム宣言受諾を拒絶したものと受け取られたのは当然である。これによって降伏の機会を逸した我が国が、8月6日の広島、8月9日の長崎と、相次いで原爆投下され、人類史上かってない惨禍をこうむったことは周知のとおりである。その惨禍とソ連の対日参戦を見届け、ようやく我が国政府は、ポツダム宣言受諾に動く。それでも、同月10日に、発した声明文は以下のとおりであった。
 
 「帝国政府は天皇陛下の一般的平和克服に対する御祈念に基づき戦争の惨禍を出来得る限り速やかに終始せしめんことを欲し左のとおり決定せり
帝国政府は1945年7月26日「ポツダム」に於いて米、英、華三国首脳者により発表せられ爾後「ソ」連政府の参加を見たる共同宣言に挙げられたる条件を右宣言は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に受諾す
 帝国政府は右了解にして誤りなきを信じ本件に関する明確なる意向が速やかに表示せられんことを切望す」
 
 これに対して対日参戦をしたソ連を含め、米英中ソ4国を代表して米国務長官バーンズ名でなされた同月11日付回答書は以下のとおりであった。
 
 「我らの立場は左の通りなり。降伏の時より天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項実施の為其の必要と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」
 
 見られるとおり、我が国が求めた国体護持については、イエスともノーとも答えていない。しかし、天皇及び皇室に触れていないのでどうやらその身は安泰だとほのめかしているようだ。
 もっともポツダム宣言本文で、政治形態は日本国民の自由に表明する意思により決定されると述べていること、及びポツダム宣言第12項「日本国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府を樹立せらる」ことを占領軍撤収の条件としていることから、少なくとも国民主権原理に反する天皇大権を否定していることは明らかであろう。
 
 それでも天皇及び皇室の安泰がほのめかされていることに胸を撫で下ろし、我が国政府は、同月14日、ポツダム宣言を受諾したのであった。この事実は、我が国政府にとって国民の命などどうでもよい、唯一つの要求は、「天皇と皇室の安泰」であったことを示している。累々たる原爆犠牲者のことを思うと、当時の我が国政府高官らは、万死に値すると言わなければならない。このことは、いかに善良で、忘れっぽい日本国民といえども、子々孫々に至るまで、ゆめゆめ忘るまじきことだ。
 
 さて我らが安倍首相は、当時の我が国政府高官の系譜に属するようである。私たちは、そのような安倍首相のもとで戦争立法の企てが進められているのだということに格別の注意を払う必要がある。平和、安全の美名の下には、戦前回帰の狙いが隠されているのだ。   (了)