10万人の命が奪われた東京大空襲から75年となる10日、、新型コロナウイルス感染拡大の影響で規模の縮小を余儀なくされしかもあいにくの雨のなかで、犠牲者を追悼する集会などが下町地域の各地で開催されました。
遺体が仮埋葬された台東区の隅田公園では、犠牲者追悼碑の前で33回目の追悼集会が行われました。
墨田区役所では、区民や著名人が平和への思いを直筆の文章やイラストで発信する「平和メッセージ展」が始まりました。
江戸川区の小松川さくら公園にある「世代を結ぶ平和の像」の前には献花台が設けられ、地域の人たちら約80人が花や折り鶴をささげ犠牲者を追悼しました。
浅草寺境内の大平和塔前では、浅草一帯で犠牲となった一万人を追悼する法要があり、地元町会や、観光連盟関係者ら約50人が参列しました。
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東京大空襲75年 各地で追悼集会 下町の惨状 忘れない
東京新聞 2020年3月11日
10万人の命が奪われた東京大空襲から75年となる10日、犠牲者を追悼する集会などが下町地域の各地で開催された。新型コロナウイルス感染拡大の影響で規模が縮小されたほか、あいにくの雨となったが、参加者らはあの日の東京の惨状に思いをはせ、平和への誓いを新たにしていた。 (砂上麻子、井上幸一)
◆台東・隅田公園 体験者が証言「最初に犠牲になるのは市民」
遺体が仮埋葬された台東区の隅田公園(浅草七)では、犠牲者追悼碑の前で三十三回目の追悼集会が開かれた。市民有志による実行委員会の主催。新型コロナウイルスの感染拡大で、浅草公会堂での資料展は中止にしたが、集会は「この場所がお墓と思っている人がいるので、やめられない」(川杉元延実行委員長)と実施した。
約百人が参加し、大空襲体験者二人が証言した。当時、国民学校の二年生で、浅草の松屋デパート地下に逃げた麻山貞枝さん(83)=品川区=は、「表に出ると死体の山だった。その中に、前の日に一緒に床屋さんに行ったトモコちゃんがいた。駆け足の格好で、裸同然でチョコレート色をしていた」と悲しい記憶をたぐり、「戦争で最初に犠牲になるのは、善良な市民だ」と訴えた。
やはり、国民学校の二年生で現在の北上野に住んでいた広瀬亘さん(83)=千葉県松戸市=は「跳び起きて表に出たら、浅草方面も上野の山も燃えていた。日暮里に向かう道すがら、多くのけが人を見た。死んだ人は見なかったが、都合よく忘れていたのかもしれない」と語った。
証言の後、参加者は黙とうをささげ、順番に碑に献花した。
◆墨田区役所で「メッセージ展」 平和への思い筆に 仲村トオルさんら913点紹介
墨田区役所では、区民や著名人が平和への思いを直筆の文章やイラストで発信する「平和メッセージ展」が始まった。東京大空襲の犠牲者らを追悼し、平和を祈念する取り組みで、二十二日まで。
区内の小学生は「平和を未来へつなげよう」などとつづっている。著名人四十五人に加え、区内の小学生、一般の人から寄せられたメッセージ計九百十三点が並ぶ。
俳優の仲村トオルさんは「この空から人を傷つけたり殺したりするものが降ってこない世界 その世界を守る大人のひとりであろうと思います」と平和を訴えている。女優の藤田弓子さんは「地球から愛と感動の笑顔が消えませんように」、落語家の林家三平さんは「笑顔こそ一番の平和」と記している。
◆江戸川・小松川の公園 「平和の像」に献花
江戸川区では、小松川さくら公園(小松川三)にある「世代を結ぶ平和の像」の前に献花台が設けられ、地域の人たちら約八十人が花や折り鶴をささげ、区内の犠牲者を追悼した。
区内で教員経験があり、毎年花を手向けているという柴崎敬一郎さん(67)=江東区=は、「今日という日を忘れずに、次の世代にも平和の尊さを伝えていきたい」と話した。
犠牲者遺族らでつくる住民グループの主催。犠牲者追悼式は、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、「断腸の思いで中止」(楠田正治代表幹事)とした。
◆浅草寺・大平和塔前 修繕工事を終え法要
浅草寺(台東区)境内にある修繕工事を終えたばかりの大平和塔前では、浅草一帯で犠牲となった一万人を追悼する法要があり、地元町会や、観光連盟関係者ら約五十人が参列した。
石でできた塔は、慰霊と平和祈願のため、地域の人たちが一九六三年に建立。腐食が進んだため、湯川秀樹博士による碑文などを残して建て替えた。新たに、東京大空襲で焼けた浅草の街を写した写真の看板も設置し、建設趣意書には英文を添えた。
浅草寺の僧侶らが読経し、参列者らが順番に焼香をした。主催した浅草大平和塔維持会の五島(ごしま)進会長(馬道地区町会連合会会長)は「若い世代や、外国人に訪れてもらえるよう修繕した。供養を重ねていきたい」と話した。
新型コロナウイルス感染拡大のため、今年は屋外での法要のみで、屋内での維持会の総会などは中止となった。