韓国、イタリア、シンガポール、台湾等は、新型コロナウイルス対策費として、軒並み日本国人口に換算すると1兆2000億円以上を投じています(最大はシンガポールの11兆円超)。唯一精彩を欠いていた米国も、WHOがパンデミックス宣言を出した12日、トランプは即日5兆円の対策費を打ち出しました。
日本だけは、予備費や予算の使い残しなどをかき集めて僅かに4000億円余を投じると謳ったのみで、何かをやるという姿勢は全く感じられません。
何よりPCR検査の実施数が9日~12日の4日間の平均が507件/日という有様で、この桁外れの少なさを改善しようという姿勢も見られません。政府(やメディア)はひたすら医療崩壊の危険性を強調して、それを言い訳にしています。
しかし、いまのレベルでどんな風にすれば医療崩壊が起きるというのでしょうか。日本人は極めて冷静な国民であって、感染の疑いがあるからと言っていきなり病院に駆け込むようなことはしません。
これについて4日のブログ「世に倦む日々」は次のようにのべています。
「希望者に全員検査を受けさせたら病院がパンクするだとか、院内感染を惹き起こしてしまうという話がある。だが、よく考えないといけないが、院内感染を恐れるのは、病院に行く患者も同じことだ。外来を訪れるのは勇気の要る行為で、気軽にできることではない。費用もかかるし、時間を割かないといけない。それを押しても病院へ駆け込むのは、命の危険があるからと、家族にうつしたくないからである。
自覚症状のない者が遊び半分で病院に行くことはない。スリカエてはいけない。不安を解消するのが検査の目的ではないという説明は、さらに間違っていて、問題の本質を歪めている。不安なしに病院へ行く者はいない」
いまの段階で「医療崩壊」を叫ぶのは完全な的外れです。それよりも政府は いましなければならないこと(様々なグレードの隔離施設の確保)に最大限の努力をすべきです。
共同通信が「新型コロナで機能不全、安倍政権の事なかれ主義 『やってる感』も無策 これから来る本当の危機」と題する記事を載せました。
共同通信(や時事通信)がこんな風に政府を批判する記事を載せるのは極めて珍しいことです。以下に紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
新型コロナで機能不全、安倍政権の事なかれ主義
「やってる感」も無策 これから来る本当の危機
中野晃一 共同通信 2020/3/12
(株)全国新聞ネット
新型コロナウイルスというグローバルな感染症が脅かすのは、私たち一人一人の身体だけではない。政治学には古くから、一つの政府の下に統合された国民と国家を人体に例える概念がある。body politic、「政体」という考え方だ。グローバルな感染症はこの政体をも脅かす。日本も例外ではない。 (上智大学国際教養学部教授=中野晃一)
新型コロナウイルスの脅威に直面した日本の政体、とりわけ人体に例えると頭部に当たるであろう安倍政権に、これまで表れた“症状”を整理すると、第一段階は「水際作戦の幻覚」が見られ、第二段階では「国内外から批判を受けたことによる“発熱”」と「感染対策のコストとリスクを他者に押しつける外部化衝動」が観察される。このように病に侵されている日本の政体は、私権制限を伴う緊急事態宣言を可能とする特措法成立がとどめとなって、いよいよ死に至るかのようである。
▽軽視された国内感染
第一段階では、安倍晋三首相はじめ政権の政治家たちは、新型コロナウイルスがグローバルな感染症である認識を欠き、国内感染の拡大の危険性に十分な注意を払わず、その準備を怠っていた。結果として、出入国在留管理庁や厚生労働省などの官庁が、中国・武漢市からの帰国者や、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に対するちぐはぐで穴だらけの「水際作戦」をそれぞれ行うのみだった。
1月28日に国内感染が初めて確認され、30日に安倍首相を本部長とし全閣僚で構成する新型コロナウイルス感染症対策本部が設置された。2月13日に国内初の死者が出たにもかかわらず、加藤勝信厚生労働相は「国内での流行は認められない」と述べるのみで、安倍首相は十数分、対策本部に顔を出すだけで連日会食を繰り返した。小泉進次郎環境相、森雅子法相、萩生田光一文部科学相は政務で対策本部を欠席するなどしていた。
当然のことながら水際作戦の限界が明らかになり、対策本部に専門家会議がようやく設置されたのは2月16日、医療機関の「受診の目安」を国民に向けて公表したのは17日、そして対策本部が「基本方針」を決定したのは25日だ。この問題で首相が初めて記者会見を開いたのは、初の国内感染確認から1カ月がたった2月29日である。
▽機能不全を招いた元凶
これまでもあったように、2014年山梨などの豪雪被害、2018年西日本豪雨被害、そして昨年の台風15号や19号被害など、首相はじめ政権与党が国民生活に大きな被害をもたらす災害対応に興味を示さないのは、政権中枢が世襲政治家とその取り巻きのような政治家や官僚によって占められていることと無関係ではないだろう。安倍政権でより顕著となったトップダウンの政体だからこそ、リーダーシップの欠如は国家の機能不全を悪化させ、官僚組織は場当たり的で事なかれ主義的な対応を行ってしまったものと考えられる。
国内外からの批判を浴びて、安倍首相は2月29日の記者会見などを通じて、テレワーク(在宅勤務)や休暇取得の推進、スポーツ・文化イベントの自粛、そして全国一斉の小中高休校措置などの踏み込んだ「要請」を行い、国民が総じて外出を控えることによって、クラスター(集団)感染の連鎖による感染の拡大を抑制する狙いを表明した。これに先立って24日に専門家会議が「ここ1、2週間が瀬戸際」と言い出した頃から、第二段階の予兆があったと言っていいだろう。
▽「やってる感」重視、責任自ら負わず
ここで、政体における首相ら官邸トップと官僚組織のかみ合わない動作、そして国民生活への圧迫は新たな局面に入る。首相とその側近たちは熱に浮かされたかのように生煮えの対策を打ち出し始める。ところが法的あるいは科学的な根拠を欠き、また政権内部や与党との協議も経ずに、実際には「これから」着手することを首相自ら発表し「やってる感」を演出することを重視するのである。
しかも、そうした対策の多くが自粛などの「要請」なので、国家は責任を負わず、ようは自己責任ということになる。とりわけ顕著なのは、感染防止のコストとリスクを「家」というプライベートな単位に押しつける傾向である。仕事をできるだけ家でし、さらには子どもも家で見て、また自分や家人に発熱など風邪症状があった場合も、原則としてまずは4日以上家で様子を見ることが求められている。
実際には、家庭内感染は複数確認されているわけだが、第一段階で国内感染が軽視されたように、第二段階でも家庭内感染について政府はほぼ無策である。マスク、トイレットペーパー、米などの食料の買い占めが問題になっているが、それは国家が自分たちを守らないなら国民自らが自宅を要塞化しなくてはならないという不安を抱いていることの証左でもあるまいか。
▽露呈した統治エリートの劣化
実際、第一段階から今に至るまで繰り返し指摘されているように、検査が少ない、医師が検査を必要と判断しても受けられないようでは、感染者の確認と治療に国家は本気で取り組んでいないと疑われても仕方ない。長年、新自由主義改革が繰り返されてきた結果、医療資源は確かに限られており、多くの患者が殺到して医療崩壊してしまったら元も子もないのはその通りだ。ただ露骨に国民を衆愚とみなしてかかるのは、むしろそれだけ統治エリートの劣化を示す面もある。いずれにしても、他国で実施できる検査が日本で同じようにできないのは、政体として深刻に病んでいるというほかない。
感染防止のコストはできるだけ国家から家庭に外部化し、限られた医療資源は重症化したケースにあてるというのが政府の基本方針の要点になるが、軽症だからと検査せず放置していては感染拡大は防げないし、そのなかから重症化して手遅れになる患者が出ることも避けられまい。しかし、それ以上何かをするつもりがあるようには見えない。
▽緊急事態宣言が意味するもの
戦後、現憲法の下で確立された日本の立憲民主政体は過去30年間、グローバル資本主義の波の中で、大きな変容を求められてきた。その結果もたらされたのが富と権力の集中である。政治はトップダウン、経済は格差の拡大へと変容しても、かろうじて立憲民主政体の範ちゅうに留めていたのは、当時二大政党制へと向かっていた政党政治におけるチェック・アンド・バランスであった。ところが民主党政権が2012年に崩壊し、安倍晋三率いる自民党が政権復帰を遂げると、政党政治の歯止めさえ欠いた強権的な支配が確立していった。
強権的な性格を持つ安倍政権が、新型コロナウイルス対応の次の段階として進めているのが、緊急事態宣言を可能にする特措法の制定だ。これまでの対策を事後正当化する目的で、緊急事態が宣言されると、憲法が保障する私権が制限されることもあり得る。それは、判断能力を欠いた頭から、日本の立憲民主政体がいよいよ死に至る病に陥ることを意味しかねない。