元文科事務次官の前川喜平氏は、菅氏首相が今さらながら「規制改革」を主張することに対して、「規制改革が経済成長の原動力になるというのは『神話』」だと断じました。
⇒(9月29日)菅氏は官邸で何をしてきたか 首相菅義偉氏の実像(前川 喜平氏)
「改革」を錦の御旗にして華々しく登場したのが小泉政権(2001年4月~2006年9月)でしたが、結果的には郵政改革をはじめとしてそれらが幻想であったことが明かにされました。しかし「改革」という言葉には進歩的な響きがあるので、それを利用する人たちは跡を絶ちません。
菅首相は地銀の再編と中小企業の統合を課題に掲げています。いうまでもなく地銀と中小企業は極めて密接な関係にあるので、それを無視して地銀の再編を進めるのは危険です。とはいえ地銀の再編は中小企業の統合問題に比べれば容易な問題に見えるので、数十年来唱えられてきた課題です。しかし現実は遅々として進んでおらず、それには勿論相応の理由がありました。
ITmedia ビジネスONLiNE が取り上げました。
記事の中で大関暁夫氏は、菅首相は、師と仰ぐ梶山静六氏の旗印であった“銀行悪玉論”に基づいたハードランディングな銀行改革推進の考え方を踏襲したものなのではないかと見ています。そして金融機関の再編問題は、波及する経済的影響が大きいだけに一国の首相に軽々しく口にしてほしくない問題であるとして、本気で地銀の経営統合を進めようと思うのならば、まず何よりも「統合後の明確な道筋の提示」こそが必要であり、銀行を悪者にした強引なやり口で人気取りを狙うようなことだけは、絶対に避けてほしいと述べています。
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本当に大丈夫? 菅首相の「地銀再編」発言が、再び“失われた10年”を呼びそうな理由
ITmedia ビジネスONLiNE 2020/09/30
安倍晋三前首相の辞任を受け、自民党総裁選を経て、菅義偉新首相が誕生しました。本人自ら語っているように、政策の基本方針はアベノミクスの継承です。その中で独自カラーを出そうとしているものがあるとすれば、一つは菅首相が官房長官時代から持論として展開してきた携帯電話料金の引き下げ。それとともに自民党総裁選立候補の折から盛んに口にしていたのが地銀再編です。
「地方銀行は数が多すぎる」「統合も一つの選択肢」というややソフトな言い回しにとどまってはいますが、事あるごとにこの問題に言及しているところをみると、まじめな気質の新首相がこの問題にかける本気度が伝わってくる気がしています。地銀にとって、いや日本経済の先行きにとって、この新首相の思い入れは果たして吉と出るのでしょうか、凶と出るのでしょうか。
●事実、地銀の今は「苦しい」
まず現状での地銀の置かれた立場をみてみれば、それはかなり苦しいということが分かります。報道によると、上場地銀78行(一部はグループ)のうち実に6割が連結の本業損益で減益または赤字、かつ78行合算での純利益は20年3月期まで4年連続で減少中とまだまだ底が見えない、言ってみれば未曽有の危機状態なのです。
多くの赤字地銀の経営者は危機的な立場に立たされていながら、いまだこれといった策を講じるでもなく、マイナス金利の苦しい経営環境が好転するのを息をひそめて待っているかのようでもあり、菅首相の発言はこのような状況にしびれを切らしたものとも受け取れます。
では菅首相の言う「地方銀行は数が多すぎる」「統合も一つの選択肢」はどうなのか、と言えば、その言葉自体はひとまず間違っていないとはいえるでしょう。しかし、地銀再生に向けて統合が選択肢の一つである、というのは既に金融庁が数年前から口にしている言葉です。それでも思ったほどには統合が進んでいないのはなぜなのでしょうか。
私が各地の地銀経営者から直接話をうかがった限りにおいては、皆さん共通して「やみくもに統合したところで、統合後の明確な道筋が見えない」ということを統合に二の足を踏む最大の理由にあげていました。これを踏まえて個人的には、菅首相の発言があまりに内容が薄く、問題の本質である「統合したところで、その先どうすればいいのか分からない」という地銀の悩みを分かった上でのものとは思えません。単なる人気取り的発言ではないのかという疑問を抱かざるを得ないところです。
一方、同一営業地域内での地銀の経営統合が容易になる下地は整い始めています。長崎県にある十八銀行と親和銀行の経営統合に「待った」をかけた公正取引員会の横やりに政治が動いて、同地域の地銀同士の経営統合に関しては独占禁止法の「寡占禁止規定」の適用除外とする「合併特例法」が今年11月に施行される予定となったからです。しかし、同一地域内の経営統合は店舗統廃合などにより目先のコストダウンは見込めるものの、経営統合後の成長戦略をどう描くべきなのか、ここ数年の地銀同士の経営統合を見る限りにおいても、その回答を見いだせるような実例はいまだ見当たらないのが実情です。
●「第4のメガバンク」を打ち出したSBIだったが……
そんな現状の中では、いくら首相がもっともらしい顔で「地方銀行は数が多すぎる」「統合も一つの選択肢」と言ったところで、果たして地銀経営者たちが一歩を踏み出せるのかと言えば、それはかなり難しいと言わざるを得ないでしょう。地銀の統合が進まないからこそ昨秋、北尾吉孝氏率いるSBIホールディングスが「第4のメガバンク構想」の名の下に、限界地銀へ資本注入しSBIが共同システムの提供や新たなビジネスを授けつつ収益改善を図るという壮大なプランをぶち上げたわけです。
現時点におけるSBIの出資先は、島根銀行、福島銀行、筑邦銀行、清水銀行の4行。しかしこの構想も、先行した島根、福島両行には20%前後の出資をしたものの、その後の筑邦、清水両行には3%の出資にとどまっています。なおかつ北尾氏は自社の収益面を理由に「上限10行で打ち切り」を明言しており、ここに来て派手にぶち上げた構想は急激な尻すぼみ感が強く、「第4のメガバンク=地銀の救世主」にはおよそなり得ないように感じます。
だからこそ今、菅首相は地銀再編を口にしたわけなのでしょうが、どうも私には菅首相の師匠の時代に起きた嫌な思い出が頭に浮かんで不吉な予感しかしないのです。
若き時代の菅議員が師と仰いできたのが、自民党幹事長を務めた故梶山静六氏。梶山弘志現経済産業大臣の実父です。菅首相は、旧小渕派時代には派閥の長である小渕恵三氏に反旗を翻し自民党総裁選に出馬した梶山静六氏を支援すべく、氏に従い派閥を脱退するほどの信奉者であったと聞きます。
ところがこの梶山静六氏ですが、自身の官房長官時代に自民党への献金中止を公表した銀行団を以降目の敵として銀行界に対する批判的な言動を繰り返し、「不要な金融機関は退場させてでも不良債権処理を積極的に進める」というハードランディング路線を主張します。大手行の経営者方が貸し渋り問題で国会に招致された折に、大野木克信日本長期信用銀行(長銀、現新生銀行)頭取の「当行は貸し渋りとは無縁です」という発言に梶山静六氏は激怒。大蔵省から長銀の不良債権資料をマスコミにリークさせ、長銀破綻のトリガーを引いた張本人であるという話を、当時大蔵省回りを担当していた私は同省のキャリア官僚から聞いているのです。
「銀行憎し」という個人的感情に根差し銀行を悪者にした不良債権処理ハードランディング路線は、金融素人の人気取り的金融行政への横やりの域を出ず、そのとばっちりで起きた長銀の経営破綻により金融不安は全国にまん延しました。経営基盤の弱い一部地方銀行では預金の取り付け騒ぎにまで波及して、足利銀行などはその影響で連鎖的に経営破綻に追い込まれたといえます。
それ以前にも山一證券、北海道拓殖銀行の経営破綻はあったものの、「絶対につぶれない」と誰もが思っていた大手の超エリート銀行であった長銀の経営破綻の衝撃はその比ではなく、庶民の不安心理や先行き不透明感を醸成して不況を長引かせた影響の大きさははかり知れません。結果的に、素人考えの金融ハードランディング路線が不要に長期の不況をもたらし、金融危機に端を発した「失われた10年」を演出することとなったわけなのです。
当時、金融危機の情勢不安の中で都市銀行の整理統合を検討していた先のキャリア官僚氏は、「今の流れで地銀の再編もあるのか」と尋ねた私にこんな回答を返してくれました。
「規模の大きい都市銀行は、その統合によって効率化効果と規模拡大のメリットが十分期待できるが、規模が小さい地銀の場合はそうはいかない。しかも、統合後の難しいかじ取りができる優秀な経営陣がリードしている地銀など数えるほどしかなく、金融行政が統合後の明確な道筋を提示せずして今地銀の再編を強引に進めることは連鎖倒産にもなりかねない。そうなったら日本各地で金融不安が勃発し、最悪日本中が大恐慌に巻き込まれることまでありうる。まずは不良債権処理が今の地銀の最優先課題であり、再編は10年先の話だ」
その後大蔵省から金融行政を切り離し生まれた金融監督庁(現金融庁)は、地銀の不良債権処理を強力に推し進め経営の健全化こそ図れたものの、キャリア官僚氏が話していた10年後の地銀再編への動きは実現しませんでした。最大の理由は09年のリーマンショック勃発です。結果として金融危機から20年、いくつかの経営統合はあったものの、大半の地銀は再編を生き残り策の選択肢とせぬまま今に至っているのです。繰り返しますがその最大の理由は、仮に経営統合をしても「統合後の明確な道筋が見えない」からなのです。
●さらなる金融不安にならないために
「統合後の明確な道筋の提示」の必要性は、地銀経営者たちだけでなく20年前の時点で既に先のキャリア官僚氏も口にしていたものでした。金融庁が地銀再編の必要性を強調し始めた数年前、その必要性を理解していた当時の金融庁長官である森信親氏は「スルガ銀行のビジネスモデルが、あるべき今後の地銀の姿の一つ」と地銀トップたちを前に発言しました。しかし程なく、スルガ銀行の見かけ上の高収益ビジネスモデルは不動産がらみの不正融資に支えられていたことが分かり、この「理想モデル提示」は水泡に帰してしまったのです。金融庁はこの1件があってから、「羹(あつもの)に懲りてなますを吹く」よろしく、「理想モデル提示」には一切口を閉ざしたままなのです。
菅首相の発言は、この辺りの事情を全て分かった上での発言なのでしょうか。その経歴から判断して金融素人である菅首相が、あえて地銀再編を自身の目玉政策的に取り上げているのは、師と仰ぐ梶山静六氏の旗頭であった“銀行悪玉論”に基づいたハードランディングな銀行改革推進の考え方を踏襲したものなのではないか、と思えるのです。
金融機関の再編問題は、波及する経済的影響が大きいだけに一国の首相に軽々しく口にしてほしくない問題です。そして過去に首相の師である梶山静六氏が長銀を破綻に追い込んだようなやり口は、世間を金融不安に陥れた金融素人の出過ぎた政治力行使以外の何ものでもなく、このような恣意的なやり方は決して同じ轍を踏んではいけないものであると思うのです。
菅総理が誕生し「地銀は統合も一つの選択肢」と会見で話した翌日、新聞紙面には「青森銀行とみちのく銀行が経営統合へ」との記事が掲載され、両行が即座にその報道を完全否定するという「事件」がありました。もしやこの報道、メディアを使って地銀再編機運を強引に盛り上げようとした首相サイド主導のリークではなかったかと、梶山静六氏がメディアを使い強引に長銀を“退場”に向かわせたあの流れを思い出し背筋が寒くなりました。
菅首相が本気で地銀の経営統合を進めようと思うのならば、まず何よりも「統合後の明確な道筋の提示」こそが必要であり、それなくして「地銀は数が多い」「統合も選択肢」と言ったところで無意味であるということを認識した上で行動してほしいと切に願うところです。「半沢直樹」人気を聞くにつけ、これに便乗して銀行を悪者にした強引なやり口で人気取りを狙うようなことだけは、絶対に避けてほしいと思います。 (大関暁夫)