2020年10月6日火曜日

菅首相が3社だけの「グループインタビュー」で 追及を封じ込め

  菅首相は5日、内閣記者会3人との「グループインタビュー」に応じました。この珍妙な形式は首相の側から提案したものと思われます。以下NHKの報道から、日本学術会議の新たな会員候補の一部の任命を見送ったことに関する部分を要約します。

 菅首相は、「総合的、ふかん(俯瞰)的な活動を確保する観点から判断した」と述べ、学術会員は「法に基づいて、内閣法制局にも確認の上で、学術会議の推薦者の中から任命しているものであり、(一部の人の任命をしなかった点に関しては)個別の人事に関することについてはコメントを控えたい」と述べました。そして、「日本学術会議は政府の機関であり、年間およそ10億円の予算を使って活動しており、任命される会員は公務員の立場になる。人選は、推薦委員会などの仕組みがあるものの、現状では事実上、現在の会員が自分の後任を指名することも可能な仕組みとなっている」「推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた。その結果として、総合的、俯瞰的な活動を求めることになったもので、その観点から今回の任命についても判断した」と述べました。
 一方、1983(昭和58)年の参議院文教委員会で、政府側が「形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない」と答弁したことについては、「過去の国会答弁は承知しているが、学会の推薦に基づく方式から、現在は、個々の会員の指名に基づく方式に変わっており、それぞれの時代の制度の中で法律に基づいて任命を行っているという考え方は変わっていない」と述べました。
 また、任命の見送りは学問の自由の侵害ではないかとの指摘に対しては、「学問の自由とは全く関係ない。それはどう考えてもそうではないか」と述べ、かつて政府が提出した法案への態度と関係があるのかと質問したのに対しても「全く関係ない」と述べました。(要約終わり)

 菅首相は、記者からの「日本学術会議への介入ではないか」や「学問の自由を侵すことにならないか」との指摘に対しては、例の「全く関係ない」の一語で済ましています。
 また「総合的、俯瞰的な活動を求めることになった」などの抽象的な表現も、政府による会員の選別を合理化できる理由になっていません。日本学術会議に一定の予算を割き、会員は公務員として扱われることを介入の理由にしたいようですが、税金が投じられるのであればなおさら会員の選定を恣意的に行うことは避けなければなりません。「時代が変わったから」といっても別に「学問の自由・独立」の原則が変わったわけではないので、それも理由にはなりません。何よりも、政府の方針に異を唱えた6人の任命を拒否したのですから、綺麗ごとを言い立てるのではなくその理由をキチンと説明すべきです。
 菅首相は説明を要求する世論の高まりに、グループインタビューを編み出して対応しましたが、結局何一つ、回答らしい回答をすることができませんでした。
 LITERAの記事を紹介します。
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菅首相が「日本学術会議」問題で理由を説明せず しかも記者会見でなく3社だけの「グループインタビュー」形式で追及封じ込め
                             LITERA 2020.10.05
 憲法に保障された「学問の自由」を踏みにじり、違法が指摘されている「日本学術会議」任命拒否問題で、本日はじめて菅義偉首相が内閣記者会の「グループインタビュー」に応じ、「それぞれの時代の制度のなかで法律に基づいて任命をおこなっている」「学問の自由とはまったく関係ない」と主張。一方、6人を任命拒否した理由については「個別の人事に関することについてはコメントを控えたい」などと言い、説明を拒絶した。
 たしかに、こんな無茶苦茶な人事介入、理由を説明することなどできないだろう。
 しかし、すでに指摘されているように、国会での過去の答弁などからしても、法解釈としては総理大臣が任命を拒否することはできず、菅首相がやってのけたことは違法行為だ。にもかかわらず「法律に基づいている」と言い張ったのである。
 まあ、ここまでは、官房長官時代に「問題はない」「指摘は当たらない」と突っぱねてきたのとまったく同じだが、今回、菅首相はこんなことまで口にした。
「事実上、現在の会員が自分の後任を指名することも可能な仕組みとなっている。こうしたことを考えて、推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか、考えてきた」
 つまり、自ら掲げる「悪しき前例主義の打破」の一貫だと主張したわけだが、首相の独断で憲法と法律を犯すことが許されるなどあるわけがない。ようするに、菅首相は「法治国家」という大前提さえ崩すことを自己正当化してみせたのである。
 総理大臣になってその強権独裁がパワーアップしているかのような発言の数々だが、菅首相のこうした発言のみならず、きょうはもうひとつ、大きな問題が浮上した。菅首相がおこなった、この「グループインタビュー」なるものの存在だ。

グループインタビューなのにテレビは菅首相のコメントだけを放送、記者会見に偽装
 まず、これだけ大きな問題となっているのだから、本来なら会見を開いて国民に向けて説明をおこなうのは当然の話。百歩譲ったとしても、官邸でのぶら下がり取材でしっかり質問時間を確保し、そこで説明するべきであることは言うまでもない。
 しかし、きょう菅首相が発言をおこなったのは「記者会見」ではなく、内閣記者会常勤幹事社である読売、日本経済、北海道新聞の3社との「グループインタビュー」でのこと。「会見」ではないため、NHKで生中継されることも、YouTubeなどで生配信されることもなし。その「グループインタビュー」の時間は30分にも満たない短いものだった。
 そして、「グループインタビュー」終了後に、ようやく収録された映像が“解禁”されたのだが、その模様は異常そのものだった。まず、会場の前方中央に設けられたテーブル前に菅首相が着座し、菅首相を囲むようにコの字型に配置されたテーブルに3人の記者が。そして、後方に並べられた椅子に座り、黙って「インタビュー」を見つめる多くの記者たち……。
 しかも、あらためて菅首相の姑息さを思い知らされた点がある。夕方のニュース番組などは菅首相のコメント部分だけを放送していたのだが、その様子は、一見するだけではまるで「記者会見」を開いたかのようにしか見えなかったのだ。
 実際には「記者会見」とはとても言えないシロモノでしかないのに、あたかもしっかり説明をおこなったかのように見せかける──。これを暴挙と言わずして何と言おうか。
 いや、恥を知るべきは、この暴挙に加担した大手メディアの記者たちだ。
 繰り返すが、菅首相は3社3記者からの質問に答えるだけで、他の記者たちはその様子を淡々と眺めるだけ。手を挙げて質問することもできず、ただ「同席」しているだけだった。国民の「知る権利」に奉仕するべき場面で、自由に質問も封じ込められた場に黙って座っていることを、記者として恥ずかしいことだとは感じなかったのか。
 その上、フリージャーナリストの畠山理仁氏のツイートによると、この「グループインタビュー」への「同席」が許されたのは、先日3日に原宿のパンケーキ店でおこなわれた「完全オフレコ懇談会」の参加対象とされた内閣記者会常勤幹事社。それ以外のフリーの記者らは別室で「音声」を聞くことが許可されたというが、それも抽選だったというのである。

日本学術会議問題を質問したのは北海道新聞だけ 日経、読売は一切触れず
 菅首相は就任以降、「Go Toトラベル」の東京除外解除もあったというのに記者会見を一度も開かず、国会での所信表明演説さえもまだおこなっていない。そんななか、日本学術会議の問題が発覚したのだ。メディアとして記者としていま要求すべきは、広く開かれた記者会見の開催であることは論を俟たない。
 にもかかわらず、記者会見開催の要求にも応えない菅首相サイドからの「パンケーキ懇談会のお誘い」には唯唯諾諾と従った(いまのところ、この“パンケーキ懇”を蹴ったことがわかっているのは朝日、東京、京都新聞のみ)。そして、今度は質問することさえ許されない「グループインタビュー」などという「会見」に擬態した国民を騙すような詐欺的な催しに乗ってみせたのである。
 ちなみに、「グループインタビュー」で日本学術会議問題を質問したのは北海道新聞の記者のみ。読売新聞の記者の質問は「政権発足から3週間経っての手応え」「外交」「東京五輪」「憲法改正」「敵基地攻撃能力の保有」、日本経済新聞の記者が質問したのは「国際金融センター構想」「東証のシステム停止」「成長戦略」「携帯電話料金値下げ」「経済対策の編成と規模」についてだった。
 この結果だけでも、菅首相のこの作戦は効果があったと言っていいだろう。そして、菅首相はこれからも、内閣記者会常勤幹事社に対して順番で「グループインタビュー」を許可してゆく、というこのやり口を続けていくのではないか
 そうすれは、ごく一部のメディアからの質問しか受け付けていないのに、会見をやったように見せられるうえ、内閣記者会を分断することで「会見を開け」という要求を封じることができるというわけだ。
 それにしても、日本学術会議問題にかんする説明も滅茶苦茶だった菅首相に対して、説明責任を追及すべきメディアがこの体たらく……。「毒まんじゅう」ならぬ「毒パンケーキ」を頬張って、すっかり骨抜きになったということなのだろうか。(編集部)