元野球選手張本勲さん(80)の姉の小林愛子さん(82)は、10数年前に請われて小学校で初めて証言をした際、児童らの感想文の熱量に圧倒されました。核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」署名集めをたった一人で始めたのは2018年春で、当初の目標は、弟の張本さんが誇るプロ野球最多安打記録の「3085」筆でした。地道に活動を続け、昨年末ついに追い抜きました。
1945年8月6日、小林さんは、広島の爆心地から約2・3キロの自宅で、母と張本さんと共に原爆に遭いました。爆風で家は崩壊し、子2人に覆いかぶさった母の背中にはガラス片が突き刺さり、小林さんのシャツは母の血で真っ赤に染まりました。勤労動員で市中心部に出ていた4歳年上の姉点子(てんこ)さんは、全身にひどいやけどを負い、数日後に息を引き取りました。目も鼻も分からないほど焼かれ死んでいった点子さんの死は余りにも悲惨で、戦後、原爆の話題が出ることは一切ありませんでした。
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行く先々で集めたヒバクシャ国際署名3481筆 弟・張本勲さんの記録超える
東京新聞 2020年10月26日
「ヒバクシャ国際署名」に取り組む、元プロ野球選手張本勲さんの姉で被爆者の小林愛子さん=兵庫県加古川市で(共同)
たった1人でこの2年半、核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」3481筆を集めた。元プロ野球選手張本勲さん(80)の姉で、広島で被爆した小林愛子さん(82)=兵庫県加古川市。核兵器禁止条約の来年1月発効が決まり、「核兵器がこの世から全てなくなるまで、命ある限り署名活動はやめない」と思いを新たにしている。
◆断られても「被爆死した姉の無念を思えば」
「お仕事中、失礼します!」。市役所、郵便局、銀行、企業―。小林さんは兵庫県内外、どこへでも飛び込み「子どもたちが幸せになるために、お願いします」と署名用紙を差し出す。かばんにいつも用紙を忍ばせ、旅先でもチャンスがあれば喫茶店やスーパーで署名を願い出る。断られても、決してくじけない。「原爆で亡くなった姉の無念を思えば、何てこともない」
1945年8月6日、小林さんは広島の爆心地から約2・3キロの自宅で、母と張本さんと共に原爆に遭った。爆風で家は崩壊。子2人に覆いかぶさった母の背中にはガラス片が突き刺さり、小林さんのシャツは母の血で真っ赤に染まった。その血が生臭かったのを、今も鮮明に覚えている。
勤労動員で市中心部に出ていた4歳年上の姉点子(てんこ)さんは、全身にひどいやけどを負い、数日後に息を引き取った。優しくてかわいかった自慢の姉。「姉が何か悪いことでもした? 原爆さえなければ、今も仲良く話ができていたのに」。父を早くに亡くし、強い絆で結ばれていた家族に点子さんの死は重くのしかかり、戦後、原爆の話題が出ることは一切なかった。
◆「条約が発効しても、核兵器がなくならないと」
「こんな悲しい話なんて思い出したくないし、誰も聞きたくないはず」。そう考えていた小林さんだったが、十数年前、熱心な依頼を受けて小学校で初めて証言をした際、児童らの感想文の熱量に圧倒された。「私の話で何かを感じてくれる人がいるなら、話さなければ」。原爆と向き合い、核廃絶の活動をしていこうと腹をくくった。
署名集めを始めたのは2018年春。当初の目標は、弟の張本さんが誇るプロ野球最多安打記録の「3085」。地道に活動を続け、昨年末ついに追い抜いた。
75年たつ今も脳裏に焼き付いているのは、目も鼻も分からないほど焼かれ死んでいった姉の姿だ。「あんな悲劇は2度と起こさせない。条約が発効しても、核兵器がなくならないと意味がない」(共同)