2020年12月31日木曜日

31- 桜問題の"年内幕引き"に見事に失敗した安倍前首相の政治生命

 安倍前首相は「桜」前夜祭問題に年内決着を図るべく、「国会での虚偽答弁を訂正したい」として、24日には記者会見をし、25日には衆院と参院の議院運営委員会で各党議員からの質問に応じました。
 答弁はいつも通りの要領を得ないものの繰り返しでしたが、安倍氏自身は決定的なボロを出すこともなく逃げ切ったと思っているようで、運営委終了後記者団の質問に「説明責任を果たすことができたと思っている来年の衆院選には出馬をし、国民の信を問いたいと思う」と答えました
 説明責任を果たしたというのは大甘な認識で、野党側は“安倍氏の国会での説明でも真実が明らかにならなかった”として、安倍氏に公開質問状を出し来月5日までに回答するよう求めました。
 質問状では、前夜祭の明細書や領収書の提出を求めたほか、国会で謝罪した「事実と異なる」答弁はどれなのか、具体的に明示するよう求め、安倍氏側が23日付けで修正した政治資金収支報告書も参加費の補てん分など「つじつまが合わない」としています。

永田町コンフィデンシャル」がこの問題を取り上げ、「桜問題の“年内幕引き”に見事に失敗した安倍前首相の政治生命 『3度目の首相』の線は確実に消えた」とする記事を出しました。
3度目の首相」など絶対にあってはならないことですが、どうも本人はそれを視野に入れていたようで、宴席では近しい人物に「来年の衆院選が終われば細田派に戻る。会長として戻るつもりだ」と度々明言していたそうです。最大派閥の会長になるということは、即キングメーカーになることを意味し、その先に「3度目の首相」も見えてくるという訳です。
 それが“年内幕引き”失敗したことでなぜ「確実に消えた」のか、そこには永田町特有の仕組みがあるようですが、永田町の事情に通じた著者の述べるところを読んでも分かるようで分からないというのが実感です因みにコンフィデンシャルとは「機密の、内密の」というような意味で、差し詰め「永田町秘聞」というようなニュアンスです。
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桜問題の"年内幕引き"に見事に失敗した安倍前首相の政治生命 「3度目の首相」の線は確実に消えた
         永田町コンフィデンシャル PRESIDENT Online 2020/12/28
「桜を見る会」の会費補填問題が動いた。安倍晋三前首相の公設第1秘書が、補填分を含む前夜祭の収支の未記載だった責任をとって政治資金規正法違反罪で略式起訴。安倍氏はそれを受けて12月24日に記者会見、25日に衆参両院の議院運営委員会に出席した。「年内幕引き」を狙った形だが、この戦略の「損得」はどうだったのか――。

「他の大ニュースにぶつける」という首相時代の手段を踏襲
「露骨な日程設定だなぁ」
安倍氏が12月24日午後6時から衆院議員会館で記者会見を行うことを知った新聞、テレビの記者たちは失笑を禁じ得なかった。
前日の23日、小池百合子都知事は、同日の新型コロナウイルス感染者数を発表する際、翌24日の発表分はさらに多くなる可能性が高いと「予告」していた。従って、同日のニュースは「コロナ拡大止まらず」が大きく報じられることは確定していた。安倍氏は、そこに併せて記者会見を設定した
7年8カ月に及ぶ安倍政権下では、不都合な真実が発生した時、他の大ニュースを発表して報道を分散させ、ダメージを少なくするのが常套手段だった。退任してからも、同じ手法を使ったのか。
「同じ」と言えば、会見時間が午後6時に設定されたのも、首相の時と同じだった。

「年内に幕引きを図ろう」と考えたが…
首相の時は、自分が言いたいことを冒頭で長々と発言し、記者からの質問にいくつか答えると、その後に公務があるとの理由で会見を打ち切り、しばしば問題視された。24日行われた会見は部屋の使用許可が午後7時までであるという理由で質問は打ち切られた
ちなみに、会見の司会を行ったのは、安倍氏が首相時代に会見を仕切ってきた長谷川栄一・前内閣広報官。一貫して首相時代のルーティンで、ものごとが進んだ印象だ。
秘書の略式起訴と、自身の不起訴が決まった日に会見を開き、さらには翌25日に国会で与野党の質疑を受ける決断をしたのは、年内に幕引きを図ろうと考えたからだ。東京地検が刑事処分を24日に行うことにしたのも、安倍氏側の意向を「忖度」し、年内に政治決着を図ることが可能な日程とした、との報道もある。

「来年の衆院選には出馬をし、国民の信を問いたい」
24日の記者会見で安倍氏は、結果としてウソの国会答弁を繰り返したことに「道義的責任を痛感している」と語り「深く深く」反省すると頭を下げた。
また25日の国会では「秘書を問い詰めて修正していれば問題がなかった。忸怩たる思いがある」と言って唇をかんだ
一連のやりとりも、閣僚の不祥事などが発覚した時、「任命責任は首相である私にある」と言いながら、自らの政治責任は取らなかった首相時代の安倍氏とかぶる。
2日間のマスコミ、野党の追及は、決定的なボロを出すこともなく終わった。安倍氏は逃げ切った、という感触をつかんでいるのかもしれない。国会終了後、記者団の質問に答え、「弁明の機会を与えていただき、感謝している。説明責任を果たすことができたと思っている」と自己評価。さらに「来年の衆院選には出馬をし、国民の信を問いたいと思う」と断言した。
当然ながら野党側は「『秘書がやりました。私は知らない』だけ。到底納得できない」(立憲民主党の福山哲郎幹事長)などと、2021年も追求の矛先を緩めない考えだ。ただ、新たな攻め手があるわけではない。対野党対策という意味では、年内に一定の説明責任を果たした実績をつくったことで、安倍氏はポイントを稼いだといっていい。

自民党内で「No More Abe」の空気が充満しつつある
しかし、足元の自民党はそういうわけにいかない。党内では「No more Abe」の空気が充満しつつある
安倍氏は、ことし8月末、持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に首相を辞任することを表明。当時は「潔い」という評価もあり、政権末期に支持率が大幅に回復。その後、バトンを受け継いだ菅義偉首相も高支持率でロケットスタートを切ることができた。ということで、9、10月ごろ、党内における安倍氏の評価は、党の窮地を救った英雄に近かった。
そんな状況に安倍氏も気をよくし、いち早く夜会合への出席を「解禁」。宴席では近しい人物に「来年の衆院選が終われば派閥(細田派)に戻る。会長として戻るつもりだ」と明言することも少なくなかった。
この経緯は11月6日に配信した「「『10年後も闇将軍として君臨か』首相を辞めてから活発に動く安倍氏の今後」に詳しいのでご参照されたい。

内閣低迷の主因として、内部から批判の対象に
最大派閥の会長になるということは、即、党総裁選などで強大な発言力を持つキングメーカーになることを意味する。そして、その先に「3度目の首相」も見えてくる。安倍氏は「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」の会長に就任した。普通に考えれば、「ポストコロナ時代」にもう一度日本のかじ取りをする、という意欲があるということだ。少なくとも、そういう観測が出ることを楽しんでいたのは間違いない。
だが、その空気は今回の件で一変した。
党内には「首相を辞めてもまだ党に迷惑をかけるつもりか」「コロナ対策に政府・与党が一体として取り組む時に、ダメージは大きい」という批判の声がにわかに高まっている。「3度目の首相」の線は確実に消えた。次の衆院選で議席を失う可能性は低いだろうが、そこで当選しても「みそぎが終わった」ということで細田派を安倍派に衣替えできる環境ではないだろう。

安倍氏の説明に「納得できない」と応えた人は76%に
読売新聞社が26、27日に行った世論調査で菅内閣の支持率は45%だった。前月の61%から16ポイントの大幅下落だ。同紙によると、発足直後の調査から3カ月の支持率低下は29ポイントに及び、1978年3月以降の歴代内閣で、2008年の麻生内閣と並んで最大の下落となった。
各社の調査も似た数字が並ぶ。自民党の支持も落ちている。支持急落の原因は、菅内閣の新型コロナウイルス対策が後手に回っていることへの不満が主要因とみられるが、首相官邸や自民党幹部たちは、そうは考えない。この時期の「桜を見る会」問題が傷口を広げたという声が圧倒的に多いのだ。
これは「自分たちは一生懸命取り組んでいるのだが、後から弾が飛んできている」と自己弁護する考えがあるからなのだろう。実際、読売新聞の調査では安倍氏の説明に「納得できない」と応えた人は76%に達している。
政府・自民党に対する風当たりが強くなればなるほど、自民党内の不満は安倍氏に向けられる。出口が見えない新型コロナ対策では、菅内閣も当面苦戦が続く。支持の回復も簡単ではないだろう。そういう局面が続く間は、安倍氏に対する身内の視線は冷たい

早期決着を目指した安倍氏の思惑とはうらはらに、21年は安倍氏にとって厳しい年となる。