東京新聞が3日、先日81歳で亡くなった素粒子の研究でノーベル物理学賞を受けた名古屋大特別教授・京都大名誉教授の益川敏英さんを悼む社説を掲げました。
益川さんは、平和運動にも熱心に取り組み「反戦」を積極的に発信し続けました。
大学では労働組合の活動に熱心に参加し、ノーベル物理学賞受賞理由となった小林・益川理論の研究をしていたときも、京都大学職員組合の書記長として多忙な組合業務をこなしていました。朝の通勤途上の喫茶店で思索をした後、昼は組合業務を行い、その合間を縫って後輩で後にノーベル賞を共同受賞した小林誠氏(原在 名古屋大特別教授)と議論をしながら研究をしていたということです。
ノーベル物理学賞の受賞が決定した後の08年10月10日に、小林誠氏と共に文科大臣に面会した際に益川さんは、大学受験などでは難しい問題は避け、易しいものを選ぶよう指導していると話しました。そして、考えない人間を作ることを「教育汚染」、親も「教育熱心」でなく「教育結果熱心」であるなどと批判しました。
60年安保やベトナム反戦の運動に参加し、家が米軍の焼夷弾の直撃を受けた名古屋大空襲の経験から平和運動にも意欲的に取り組み、05年には「九条科学者の会」呼びかけ人を務め、同年7月には、自身が参加する「安全保障関連法案に反対する学者の会」で安倍首相(当時)とその内閣に退陣を求めました。
同月に没した鶴見俊輔氏を偲んで11月に開かれた講演会でも、「安倍首相は日本が戦争ができると言っているが、憲法は絶対にそう読めない」「憲法前文は涙が出るほど美しい。それにこそ日本の生きる道が書かれている」と発言しています。
また選択的夫婦別姓制度の導入を支持しました。(以上ウィキペディアより抜粋)
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<社説> 益川さんを悼む 平和訴え続けた科学者
東京新聞 2021年8月3日
素粒子の研究でノーベル物理学賞を受けた名古屋大特別教授・京都大名誉教授の益川敏英さんが、八十一歳で亡くなった。幼時に名古屋で空襲を経験したことから、平和運動にも熱心に取り組み、「反戦」を積極的に発信し続けた。
ノーベル賞は高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授の小林誠さんらと共同で受けた。宇宙の起源の謎「CP対称性の破れ」を理論的に説明した一九七三年の「小林・益川理論」が業績だ。この中で当時三種類しか確認されていなかった素粒子クォークが「六種類ある」と大胆に予言。六種類目が見つかったのは二十年も後だった。
こうした難しい研究内容とは裏腹に、受賞後の会見で「(受賞は)大してうれしくない」「われわれは科学をやっているのであって、ノーベル賞が目標ではない」と語るなど、率直でユーモラスな物言いで知られた。
子どもが本来持つ好奇心にそぐわないとして、マークシート式テストの受験を「教育汚染」と批判するなど、教育の現状にも厳しい目を向けた。
さらに、益川さんを際立たせたのは、相次ぐ「平和」や「反戦」への発言であり、「学問の独立」への毅然(きぜん)とした態度だった。
受賞以前に設立された「九条科学者の会」の呼びかけ人の一人になった。各地で「科学の発展は、豊かな社会を築き上げる。憲法九条は平和な社会の基盤。だから『科学×九条』は豊かで平和な社会だ」などと講演し、護憲の立場を強く訴えた。
二〇一五年には、米軍や防衛省の助成を受けて軍事を研究する日本の大学を著書で批判。一八年には、東海地方の市民が「安全保障関連法は憲法違反だ」として国を訴えた訴訟の原告団に加わった。
国が、日本学術会議の会員候補者のうち六人を理由を明かさず任命拒否した問題では今春、「学問の自由が奪われれば、科学は政治の召し使いになる」と政権を批判する声明の賛同者にもなった。
権力への「忖度(そんたく)」とは対極、全力投球で信念を貫いた益川さんの生き方を深く心にとどめ続けたい。