菅首相は就任早々から「自己責任論」を強調して猛批判を浴びました。その一方で、これはあまり知られていないことですが、愛読書にマキャベリを挙げました。政治家がマキャベリストを自称するのはかなりの勇気と覚悟がいる筈ですが、いまになってみるとそれ以前の問題として、「一体そうしたことの自覚があったのだろうか」という疑念が湧きます。
菅首相は国家観や思想性の欠如を言われて久しいのですが、何故か彼がすることなすことはすべて新自由主義者然としていることは間違いありません。
しんぶん赤旗の8月23日~25日に3回にわたり、「憲法と新自由主義」と題して 新自由主義の本質とそれがいかに菅政治に反映されているかを分かりやすく解説した連載記事(赤旗政治部長・中祖寅一氏担当)が載りました。格調の高い論文です。
日本の政治に新自由主義が大々的に持ち込まれたのは小泉政権時代で、その実務を行ったのが竹中平蔵氏でした。当時小泉政権は先ず「郵政解散」を行い、郵政を民営化すれば日本はバラ色に染まるかのような大宣伝を行って選挙に勝利しましたが、実際には何一ついいことはありませんでした。
1985年に成立した労働者派遣法は日本にも非正規労働者を生み出す根拠法となりました。ただそこではまだしも派遣労働者の適用業種を制限するなど一定の制約がありましたが、竹中氏はそれを大々的に緩和した挙句、小泉純一郎氏と歩調を合わせて政界を去って会長職に就いた先が、人材派遣業最大手のパソナでした。壮大なマッチポンプということができます。それどころかいまだに新自由主義的「構造改革」を政治に反映させる司令塔である経済財政諮問会議のメンバーに収まって幅を利かせています。
経済活動の本質は弱肉強食です。それを適正に緩和するのが政治である筈ですが、その逆に、政治がなりふり構わずに大企業の後押しをするというのが新自由主義の本質です。
新自由主義が大企業の儲けを最優先とする思想であり、ことごとく日本憲法の理念に反しているものであることが、この論文から良く分かります。
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憲法と新自由主義 上
労働者派遣 規制廃し「人貸し」復活
しんぶん赤旗 2021年8月23日
コロナ・パンデミックは新自由主義の破綻を誰の目にも明らかにしました。新自由主義を終わりにし、巨大企業の横暴に規制をかけ、人間らしい政治と社会を取り戻すことは、来たるべき総選挙の最大の争点の1つです。新自由主義を終わらせるたたかいを、憲法の視点から考えてみます。(3回連載)
新自由主義は、巨大企業の活動に対する規制をできるだけ少なくし、自由競争に任せるという「規制緩和万能」の思想であり政策です。
古典的自由主義は、封建制や絶対王政のもとでの自由への制約の撤廃を主張しました。これに対し新自由主義は、19世紀以降の資本主義の矛盾の拡大のもとで 労働者、市民のたたかいでかちとられた労働者・国民の権利を守るための企業活動への規制の撤廃を主張します。いわぱ労働者のたたかいに対する資本の側からの「反撃」で「資本の自由」を要求するものです。
日本国憲法は、国民の命と生活を守り、企業の活動にさまざまな制約を課す根拠となる権利を豊かに規定しています。25条の生存権、26条の教育を受ける権利、27条の労働の権利、28条の労働基本権などです。そこからさまざまな民主的憲法原則が広がっています。
新自由主義はこれらの憲法原則を敵視し、憲法への攻撃としてあらわれてきます。
「使い捨て」自由
パートや有期雇用、派遣労働をはじめとする非正規雇用の拡大、労働時間規制の撤廃など労働法制の規制緩和を進めることは新自由主義の最大の柱の一つです。派遣労働について考えてみます。
憲法27条2項とそれに基づく労働基準法は、労働者を使用するものが雇用主の責任を負う(直接雇用の原則)とします。小説『蟹工船』に出てくるような、ひどい搾取の温床となった戦前の「人貸し」など間接雇用を排除する狙いでした。労働基準法6条の「中間搾取の禁止」や職業安定法44条の「偽装請負の禁止」も同様の憲法的原則です。
財界は1980年代から 「巻き返し」を図り85年に労働者派遣法を成立させます。派遣労働は、労働者と派遣先企業との実体的労使関係と、派遣会社との雇用契約が分離する間接雇用です。導入時は特殊な職種に限定されましたが、数次の改悪を経て原則自由化され、現在では製造業も含め140万人もの派遣労働者が存在します。
昨年来、コロナ不況のもとでの派遣切り・非正規切りが横行。食住を一気に失う生活困窮者が急拡大しています。
派遣先企業はいつでも派遣会社との派遣契約を打ち切れるため、派遣労働者の「使い捨て」が自由にできます。憲法27条の勤労権保障は、正当な理由がない限り解雇できないというルールを含みますが、派遣労働では事実上「解雇の自由」が認められてしまいます。低賃金で雇用の調整弁となる派遣労働者は、パート・有期労働者とともに、その存在が労働者全休の賃金を押し下げ、無権利状態に置く“重し”ともなってきました。
労働者の反撃で、派遣先企業が直接雇用義務を負う場合が規定されるなど「改革」もなされてきましたが、「使い捨て自由」の「派遣」という働かせ方自体は変わりません。
女性の貧困深刻
男女雇用機会均等法に基づき結婚・出産などを理由とする解雇は無効とされますが、企業は、派遣契約を打ち切ったり、派遣労働者の交代を要求するなど結婚・出産を理由とする派遣切り=解雇が横行しています。
コロナ禍においても、非正規雇用は女性が多いため、非正規切りが女性に集中し「女性の貧困」が深刻化しています。女性差別は正規と非正規の差別にすり替えられ、強められてきました。 (つづく)
憲法と新自由主義 中
大企業税逃れ 困窮者搾取する消費税
しんぶん赤旗 2021年8月24日
歴代の日本経団連会長ら財界勢力は、政府の経済財政諮問会議の主要メンバーとなり、医療、介護、年金などの大幅削減方針をつくって政府に実行させてきました。その狙いは、社会保障の財源となる法人税や企業の社会保障費負担を軽減することにあります。経済財政諮問会議は新自由主義「構造改革」の司令塔という位置付けです。
財界、自公政権による社会保障削減の動きは、憲法の生存権保障の枠組みを正面から攻撃、破壊するものです。
日本国憲法25条は1項で国民の生存権を定め、2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなけれぱならない」と規定しています。
感染症体制弱い
コロナ禍で新感染症に立ち向かう体制の脆弱(ぜいじゃく)さが露呈しました。1994年に847ヵ所あった保健所は469カ所へと半減。感染症病床は1998年のおよそ9000床から2019年には約1800床に激減しました。ICU(集中治療室)など重症者用病床が国際的に見ても極めて少ない水準であり、公的病院の統廃合や独立行政法人化への批判が噴出しています。
ところが菅政権は、全く無反省に病床削減、高齢者の窓口負担を2倍化する法案を通常国会で強行しました。
憲法は、財産権や経済活動の自由に対する「公共の福祉」による制限を特別に明記(22条1項、29条2項)。これは生存権保障などのため、企業に経済的その他の負担を課すことを認めたものと理解されています。企業の利益に対し税を課し、労働者、国民の社会保障の財源にすることも含まれます。
法人税の穴埋め
財界は、法人税や企業の社会保障費の負担を軽減する一方で、国民の各種保険料の増額、窓口負担の値上げに加え、「代替財源」などとして消費税の導入・増税を主導してきました。
消費税を「社会保障の財源にする」というのが全くデタラメであることは、消費税導入以来の総税収額の8割以上が法人税減税の穴埋めに消えていることからも明らかです。
消費税導入の狙いは、所得税や法人税など直接税中心から間接税中心へと税のあり方の根本を切り替え、企業の税負担を軽くすることにあります。すべてが「もうけ第一」です。
消費税をはじめ間接税は、所得の低い人ほど負担が重くなる逆進性が強く、人権保障にも平等原則にも反します。民主的税制の原則は、直接税を中心として、総合所得の高い人に高い税率を課す累進性によって負担の公平を維持するもの。戦後改革(シャウプ勧告)で導入されました。
この点でも新目由主義は憲法の税制の原理を破壊してきました。高額所得者への税負担軽減という逆立ちも続いています。
日本共産党の志位和夭委員長は8月4日の党創立記念講演会で、コロナ禍による大不況のなかで「税収増」となったことをあげ、その要因は消費税が10%に引き上げられたからだと指摘。消費税収は法人税、所得税を抜いて初めて税収のトップになったとし、「困窮している人に最も残酷な税金を、ついに税収の中心に据えてしまった」と新自由主義政治を批判しました。 (つづく)
憲法と新自由主義 下
「強いもの勝ち」 諸権利を握り直す
しんぶん赤旗 2021年8月23日
中小小売店を保護するため、スーパーマーケーットや量販店などの出店を規制する大規模小売店舗法(大店法)が1998年に廃止されました。1989年から開始された日米構造協議で米国は、「大店法は日本の市場への進出の障害(非関税障壁)だ」といって撤廃を強く求めていました。
大規模店舗の出店が自由になれば、街の商店は壊滅的打撃を受け、コミュニティーの崩壊につながるとして反対の声があがりましたが、日本の財界の支持も背景に強行されました。スーパーや量販店に加え、コンビニエンスストアの出店が進むなか、全国各地の商店街がシヤッター通りと化し、人情味あふれるコミュニティーの多くが消え去りました。日本の財界もこれを推進しましたが、スーパーやコンビニの進出加速の思惑とともに量販店で安い食料品や日用品を労働者が買えば、賃金を下げられるという思惑もありました。
社会的規制かけ
憲法22条1項、29条2頂は、財産権や営業の自由に対し、経済的弱者保護のために巨大企業の活動に規制を加えることを認めています。商店主の営業の自由や生存権の保障のために、大企業の権利に社会的規制をかけることを認めているのです。大店法は、もともとこうした趣旨からつくられた法律でした。
巨大資本からみれぱ、これも「市場競争」の自由を否定する“不当な規制″だということになります。
さらに新目由主義は、経済的弱者保護の観点からの社会的規制だけでなく、国民の安全や環境、衛生を維持するための規制まで敵視しています。例えば、食品安全のための成分表示や、医療機関や保育所の設置基準まで「規制緩和」を要求してきました。
憲法は、人権と人権が衝突する場合における最低限の相互調整を「内在的制約」として認めています。新自由主義は、そのような制約さえ不服として認めず、“安全性や衛生上の問題は消費者、利用者が自分で判断しろ″と乱暴に主張するのです。
「自己責任」反論
新目由主義が、徹底した強いもの勝ちの「競争原理」と、その結果としての貧困や挫折を広く国民に受け入れさせ、市民を分断させるイデオロギーが「自己責任」論です。尊厳を踏みにじられることへの怒り、人間的感情さえ奪う影響力をもってきました。
しかし、資本主義が生み出すさまざまな矛盾と格差の中で、尊厳を保ち人間らしく生きるため、国の救済を求める権利は憲法が保障したものです。権利を守るために労働者が連帯する権利(労働畢革権)まで人権として保障しています。「自己責任」論は、憲法が保障する生存権をはじめとした諸権利を否定する暴論です。要求と権利を基礎にした連帯こそ「自己責任」イデオロギーヘの反論です。 `
資本の活動に対する諸制約を壊し続ける新自由主義は、憲法に対する攻撃として表れるー新自由主義を終わりにし、新しい政治を実現することは、私たちが憲法の諸権利を握り直し、それを政治、生活の場に生かしていくたたかいでもあります。
(おわり この連載は中祖寅一が担当しました)