2021年8月10日火曜日

長崎平和祈念式典 原爆投下から76年 / 長崎平和宣言

 長崎に原爆が投下されて76年になる9日10時45分から長崎市の平和公園で平和祈念式典が行われ、被爆者や遺族、菅首相のほか、およそ60か国の代表らが参列しました。
 コロナ感染防止対策から式典は2年連続で規模が縮小され、参列者は例年の1割のおよそ500人でした。
 式典では、この1年に亡くなった被爆者など3202人の名前が書き加えられた18万9163人の原爆死没者名簿が納められました。
 長崎平和宣言のなかで田上富久長崎市長は「核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください」「一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准してください」と、日本政府と国会議員訴えました。
 菅首相は、あいさつで「核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の努力を着実に前に進める」と述べたものの、被爆認定していない「被爆体験者」の救済には言及しませんでした。また今年1月に発効した核兵器禁止条約についても触れませんでした。
 「黒い雨訴訟」で広島高裁が今年7月原告全員を被爆者と認定し、国が上告を断念したあと加藤官房長官「具体的な審査認定については、長崎県、長崎市ともよく相談していきたい」と述べましたが、首相はそれにも言及しませんでした。

 この日、長崎市の爆心地では、県内外から集まった高校生およそ70人が爆心地を示す碑を囲む「人間の鎖」を作り、核兵器のない世界の実現を誓いました。
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長崎に原爆投下 きょうで76年 “最後の被爆地に”式典で発信へ
                   HK NEWS WEB 2021年8月9日 6:50
長崎に原爆が投下されて9日で76年です。新型コロナウイルスの影響で被爆者の記憶を伝える活動が難しくなる中、長崎は原爆の日に合わせて犠牲者に祈りをささげ、核兵器のない世界の実現に向けて「長崎を最後の被爆地に」という訴えを発信します。
長崎原爆の日の平和祈念式典は台風の影響が一時懸念されましたが、9日は予定どおり午前10時45分から長崎市の平和公園で行われ、被爆者や遺族、菅総理大臣のほか、およそ60か国の代表らが参列します。
そして原爆がさく裂した午前11時2分に黙とうをささげます。
ことし1月には核兵器の開発や製造、使用などを禁じる核兵器禁止条約が発効しましたが、核保有国や日本など核の傘のもとにある国は参加していません。
長崎市の田上市長は式典で、日本政府に核兵器禁止条約に参加し、核兵器のない世界の実現に向けてリーダーシップを発揮するよう求めることにしています
また、広島のいわゆる「黒い雨」の裁判をめぐり政府が上告せずに原告を被爆者と認定したことを受けて、長崎では被爆者としての認定を求めて裁判を続けている「被爆体験者」と呼ばれる人々の救済を政府に働きかける動きが活発になっています。
式典のあとは長崎の被爆者団体が菅総理大臣と面会し、「被爆体験者」の救済を要望する予定です。
感染拡大で長崎を訪れる修学旅行生や外国人は減り、被爆者が悲惨な体験を伝える活動は難しくなっていて、10日からは原爆資料館の一時閉鎖が決まるなど、被爆者の記憶を伝える活動は難しくなっています。
それだけに被爆地・長崎は9日の原爆の日に合わせて犠牲者に祈りをささげ、二度と誰にも被爆体験をさせてはならないという意味を込め、「長崎を最後の被爆地に」という訴えを国内外に発信します。

早朝から 祈る人たちの姿
長崎市の爆心地を訪れた福岡県の69歳男性は「すさまじいことが起こり、多くの人が亡くなったことを決して忘れてはいけないと、年に1回、この日は必ずここに来るようにしています。核がある世界を次世代に残してしまった大人の責任を思いながら手をあわせました」と話していました。
長崎市の平和公園を訪れた市内に住む82歳男性は「私自身は被爆していないので実際に被害を受けたわけではないが、毎年8月9日は当時の悲惨な原爆の被害を思い起こさせる。きょうは世界の恒久平和を思いながら手を合わせたい」と話していました。


菅首相、平和祈念式典であいさつ 核禁条約や「被爆体験者」救済触れず
                              毎日新聞 2021/8/9
 長崎市松山町の平和公園で開かれている9日の平和祈念式典に参列した菅義偉首相は、あいさつで「核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の努力を着実に前に進める」と述べた。一方、国が被爆認定していない「被爆体験者」の救済には言及しなかった。今年1月に発効したものの日本が署名・批准していない核兵器禁止条約についても昨年まで参列した安倍晋三前首相と同様、触れなかった
 広島や長崎では原爆投下後まもなく放射性物質を含む「黒い雨」や灰が広域で降ったとされ、一帯にいた人たちが体調不良などを訴えている。しかし、国が定める被爆地域の外にいた場合は被爆認定されず、長年の問題になっている。
 広島では住民84人が起こした「黒い雨訴訟」で、広島高裁が今年7月14日、原告全員を被爆者と認める判決を言い渡し、国側が上告を断念。国は加藤勝信官房長官が「具体的な審査認定については、広島県、広島市とともに長崎県、長崎市ともよく相談していきたい」と述べ、長崎の被爆体験者も救済する可能性に言及したが、その後発表された首相談話では明記されなかった
 菅首相は今月6日にあった広島市の平和記念式典では訴訟に触れ「原告と同じような事情にあった方々についても、救済できるよう早急に検討を進める」と述べており、長崎の式典での発言も注目されていた。【樋口岳大】


長崎 高校生が爆心地で「人間の鎖」 核兵器ない世界の実現誓う
                     NHK NEWS WEB 2021年8月9日
長崎市の爆心地では、県内外から集まった高校生およそ70人が爆心地を示す碑を囲む「人間の鎖」を作り、核兵器のない世界の実現を誓いました
9日午前7時前、長崎市の爆心地には核兵器廃絶を求める署名を国連に届ける活動を行う「高校生平和大使」や、長崎や広島、奈良など9つの県の高校生ら、合わせておよそ70人が集まりました。
高校生たちは1人ずつ爆心地を示す碑に花を手向けて原爆の犠牲者に祈りをささげました。
そして、高校生平和大使の富崎莉早さんが「原爆投下から76年がたち、当時を知る人が少なくなるなか、若者の関心も薄れてきているように感じる。私たちが次の世代にバトンをつないでいきましょう」と挨拶したあと、全員で碑を囲んで「人間の鎖」を作りました。
「人間の鎖」は例年は手を直接つないで作りますが、新型コロナウイルスの感染防止のため、去年に引き続き手袋をつけたうえで、リボンの端と端をもって作りました。
兵庫県から参加した高校2年生の片瀬奏磨さんは「原爆投下直後の様子などを知り改めて残酷なことが起きたんだと感じた。友人と話したり署名活動に参加したりして活動を続けていきたい」と話していました。


                

 今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を終える直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。

 世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。
 核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山(たくさん)の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。
 このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。

 原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。
 小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。
 人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法、核兵器禁止条約が発効したのです。
 この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。
 一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。
 この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。
 日本政府と国会議員に訴えます。
 核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。
 「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。
 核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
 国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米露がさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。
 地球に住むすべての皆さん。
 私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人一人が当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。
 核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人一人が声をあげ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。
 「長崎を最後の被爆地に」
 この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人一人が持ち続けるべき希望なのです。
 この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。
 長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。
 被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。
 原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意をささげ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。
                          2021年(令和3年)8月9日

                              長崎市長 田上 富久