日刊ゲンダイが「 ~ 泥沼のアフガン 自衛隊機 救出失敗 外務省も大失態」とする記事を出しました。一旦海外で緊急事態が勃発したときには、何を措いても自国民の救出をするのが国家に課せられた責務ですが、日本は何もすることができず、実際に救出できたのは僅かに自力で空港に到達した邦人女性の1名だけでした。それ以外の退避希望者数百人はアフガニスタンに捨ておかれることになりました。
一応退避用に20数台のバスを仕立てたようなのですが、全てタリバンの検問所で制止され空港には到達できませんでした。緊迫した26日夜の段階でそのままバスで通過できるという甘い考えは通用しませんでした。後述する韓国の対応と比べると大人と子供、月とスッポンの違いです。
アフガニスタンの大統領府がタリバンの手に落ちたのは15日でした。現地の日本大使館は即日閉鎖し、トルコのイスタンブールに臨時事務所を開設しました。2日後の17日には12人いた大使館員は全員アラブ首長国連邦のドバイに脱出しました。それっきりで、彼らは在留邦人やJICA等でのアフガニスタン人の協力者やその家族数百人の救出活動はしませんでした。
因みに他の国々は、全て26日よりも前の段階でアフガニスタンからの撤退を完了しています。その一部を紹介すると、カナダ3700人、英国1万3700人、ドイツ5347人、フランス2500人、イタリア4832人などです。救出された避難者にはいずれも自国民の数十倍のアフガニスタン人が含まれています。基本的には現地の協力者と思われますが、人数が膨大なので空港に詰め掛けた一般の避難者も含まれているかも知れません。下記の記事を参照ください。
⇒(今井佐緒里 YAHOOニュース28日)「退避は、もうほぼ時間切れ。24ヵ国の自国民とアフガニスタン関係者らの避難状況は。日本との比較」
それに対して日本が在留邦人の救出に動き出したのは23日で、日本の自衛隊輸送機の第1便がカブール空港に到着したのは25日でした。この間の動きは下記の通りで、単に輸送機を送り込めば救出できるというものでないことは余りにも当たり前のことです。
23日 正午すぎに、岸防衛相が「在外邦人等の輸送」を命令。C2輸送機1機出発。
24日 C130輸送機2機が出発
25日 C2輸送機1機がカブール空港に到着(他の2機は隣国パキスタンで待機)
(退避希望者が空港に到達できなかったため輸送は行われなかった)
26日 カブール空港で自爆テロ。退避希望者数百人が20台以上のバスに分乗しカブー
ル空港に向かったものの爆発事件のため到達できず
27日 政府専用機パキスタンに到着 自力でカブール空港に到着した1名を救出
28日 カブール空港は米軍撤退専用に変わり他国機は使用不可に
(上記YAHOO記事より抜粋)
こうした日本の無様さと対照的なのは韓国で、日刊ゲンダイは韓国大使館員の英雄的な活躍を次のように報じています。
「韓国では、いったんカタール退避後に現地に戻った大使館員4人が、各国との激しい争奪戦を制し、いち早く現地のバスを確保。米軍人に同乗してもらい、タリバンの検問を抜け、群衆が押し寄せるゲートを避けて空港入り。現地大使館などで勤務したアフガン人職員や家族ら計390人を軍用機で韓国へ移送させる任務を遂行した」
日本の無能さによって生み出された現地関係者の悲劇は、決して「無能な政権のせい」というような簡単な言い方で片付けられるような問題ではありません。
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<大メディアは何も報じていない>
泥沼のアフガン 自衛隊機 救出失敗 外務省も大失態
日刊ゲンダイ 2021年8月28日
(記事集約サイト「阿修羅」より転載)
「遺体、そしてまた遺体……。本当に恐ろしい光景だった」――。地元ジャーナリストは米CNNに当時の様子を、そう振り返った。アフガニスタンの首都カブールの空港付近で26日に起きた連続爆弾テロで、米兵13人が死亡。アフガン人も含めた犠牲者は少なくとも170人、うち28人はイスラム原理主義組織タリバンのメンバーのようだ。
バイデン米大統領は過激派組織「イスラム国」(IS)系武装勢力の犯行と断定。「許さない。代償を払わせる」と報復攻撃を示唆したが、国外退避希望者が殺到する空港付近のテロはバイデン政権がまさに警戒していた事態であり、誰もが懸念した「悪夢」だ。
バイデンは22日、ISが混乱に乗じてテロ攻撃を行う可能性を指摘。米英両国の在アフガン大使館も「安全保障上の脅威」があるとして空港に近づくな、と強く警告した直後の大惨事である。
タリバンが15日にカブールを制圧し、政権を奪取してから、まだ10日余り。敵対するISも絡み、泥沼のアフガン情勢はますます混迷を深め、日本政府も右往左往。コロナ対策同様に菅政権は「後手後手」で、各国に比べ現地邦人らの救出作戦は大きく出遅れた。
現地の日本大使館は首都陥落当日に閉鎖し、トルコのイスタンブールに臨時事務所を開設。2日後の17日には12人いた大使館員が、カブールの空港から英軍機に同乗してアラブ首長国連邦のドバイに脱出した。
前職は在英公使の岡田隆駐アフガン大使が機転を利かせたようだが、アフガン人スタッフの置き去りに、自民党内から批判が噴出。19日の党外交部会では「日本は冷たいと受け取られかねない」との声が上がった。
退避希望者にまで「自助」を押しつけ
各国が軍隊を派遣して退避作戦に乗り出す中、官邸内も焦りだし、前外務次官で国家安全保障局(NSS)の秋葉剛男局長の進言を受け、菅首相が自衛隊機の派遣方針を事実上決めたのは22日夕。すでに首都陥落から1週間が経っていた。
現地に残る日本人は国際機関で働く「若干名」。大使館などで働いていたアフガン人らも救出対象で家族を含めると500人規模とみられる。
テロ発生後もバイデンは8月末に期限を迎える米軍撤退の延長には及び腰だ。カブールの空港内から治安を守る米軍が去れば、自衛隊機の離着陸は困難となる。残された時間はごくわずかで、出遅れは致命的だった。国際ジャーナリストの春名幹男氏はこう話す。
「大使館員の国外脱出後に、自衛隊機を派遣しても現地の詳細な状況を把握できるわけがない。スタッフや家族の人定のため、慌てて大使館員数人を呼び戻したようですが、アベコベです。実際、25日の自衛隊機の現地到着から丸2日間は1人も運び出せなかった。菅首相の唐突な派遣決定は『リーダーの決断』を演出したかっただけではないか。横浜市長選の惨敗などで追い込まれた立場だけに、オペレーション度外視で賭けに出たのでしょう。進言した秋葉氏も外務省出身者として2年ぶりにNSS局長ポストを奪い返した手前、腕の見せどころとばかりに功を焦ったように映ります」
退避作戦の難航も当然で菅政権はナント、退避希望者にまで「自助」を押しつけたのだ。
「無能と強権」を生み出した日本の戦争協力
自衛隊は現地移動を支援せず、空港まで来るのは「自己責任」。空港外のゲートには米軍撤退までに脱出しようと数千人が殺到、圧死者まで出ている。空港に続く道路にはタリバンの戦闘員が検問所を設け、「どこへ行く」「家へ戻れ」と銃を向けて脅してくる。
自力で来いとは無理な相談で、空港へ行くこと自体が命のリスクとなりかねない。それでも、26日夜には数百人が20台以上のバスに分乗し、一気に空港へ向かおうとしたが、テロ発生で断念。結局、27日までに空港にたどり着けた日本人は1人だけ。彼女の救出を最後に派遣された自衛隊員らはアフガンを離れてしまった。
いくら自衛隊法の縛りがあるとはいえ、現地スタッフは見殺しも同然。こんな時こそ外務省の出番で、韓国では、いったんカタール退避後に現地に戻った大使館員4人の大活躍を伝えている。
各国との激しい争奪戦を制し、いち早く現地のバスを確保。米軍人に同乗してもらい、タリバンの検問を抜け、群衆が押し寄せるゲートを避けて空港入り。現地大使館などで勤務したアフガン人職員や家族ら計390人を軍用機で韓国へ移送させる任務を遂行した。
この極めて危険な任務を韓国軍は「ミラクル(奇跡)作戦」と命名。韓国外務省はアフガン人らを難民ではなく、自国の現地業務に貢献した「特別寄与者」として受け入れる。
一方、この国はアフガン人を自衛隊機に乗せたとしても、近隣国に送るのみ。その先はそれぞれ民間機で移動してもらい、あとは「ご勝手に」。難民として自国に受け入れる気はなく、それすらも画餅に帰した。
自民党内の「日本は冷たいと受け取られかねない」との危惧は誤りだ。日本政府は血も涙もなく単に「冷酷」なのである。
この20年の総括こそメディアの役割
「英ロなど各国とも撤退作戦を相次いで完了させたのに、日本政府はあまりに無力。C2輸送機1機とC130輸送機2機を派遣しながら、めぼしい成果ナシでは大失態です。目に余る場当たりで菅政権の政治責任は重いのに、大メディアは厳しい目を向けない。なぜ、デタラメの一部始終をきちんと報じないのか、不思議でなりません」(春名幹男氏=前出)
そもそも20年に及ぶ「テロとの戦争」とは何だったのか。米国は2001年の9・11同時多発テロへの「報復」としてアフガンを攻撃。首謀者のビンラディンをかくまっているとロクに証拠を出さず一方的にタリバン政権を叩きのめした。傀儡政権の樹立後もタリバン残党狩りで度重なる「誤爆」。民間人の命を奪い、「復讐の連鎖」を断ち切ることはできなかった。
揚げ句に米国はタリバン掃討を諦め、アフガンを見捨てた。この間、米国がアフガン政府軍に拠出した軍事支援は総額800億ドル(約8・8兆円)に達し、03年から16年だけで軽火器60万丁、車7万6000台、航空機208機を供与。今や息を吹き返したタリバンの手に渡って、軍備増強とは強烈な皮肉だ。
そんなお粗末、無責任な米国にシッポを振り続けたのが、日本の歴代政権だ。小泉政権は憲法論争を巻き起こし、特別措置法を作って海自のインド洋派遣にこぎつけた。特措法の国会参考人招致で「有害無益」と断じたのは、アフガンで医療行為を続けてきた医師の中村哲さんだ。与党議員は嘲笑や罵声をぶつけたが、中村さんは19年にアフガンで凶弾に倒れた。
今の情勢は対岸の火事ではないのに、菅政権はまるで他人事。今なお米国頼みで今後、独自の外交戦略を熟議する気はさらさらない。高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)は言う。
「かつてイスラム諸国から信頼を得ていた日本なら、在アフガン大使館は閉鎖せずに済んだはず。その日の丸ブランドは、中村さんの懸念通り対テロ戦争の走狗と化して失墜。また、小泉首相は『自衛隊の行くところが非戦闘地域だ』などと、ふざけた国会答弁の連続で、イラクで邦人3人が人質になると『自己責任』と言い放った。政府が国民の命を守らず、個人に責任転嫁し、首相が大事な答弁をごまかす。今の菅政権につながる『無能と強権』という異様な政治の契機も、対テロ戦争です。大メディアはタリバンの女性の人権無視や、ISの残虐非道ばかりに焦点を当てますが、今こそ対テロ戦争と日本政治を総括すべきです」
この20年から目をそらし続ける限り、大メディアも菅の空疎な会見と変わらない。何も報じていないことになる。