15日、76回目の終戦記念日にあたり、日本共産党は小池書記局長が談話を発表しました。
しんぶん赤旗は15日に、「76回目の終戦の日 過去に学び平和守り抜く決意」とする主張を、また17日に、「菅政権と8・15 過去の反省なしに未来はない」として、菅首相が就任後初めて終戦記念日の全国戦没者追悼式で述べた式辞を批判する主張を掲げました。
以下に紹介します。
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終戦記念日にあたって
日本共産党書記局長 小池晃
しんぶん赤旗 2021年8月15日
一、76回目の終戦記念日にあたり、日本共産党は、日本軍国主義による侵略戦争と植民地支配の犠牲となった人々への深い哀悼の意を表明するとともに、痛苦の体験をへて国民が手にした憲法9条を守り抜き、平和な日本と世界を築くために全力をあげる決意を新たにします。
一、今年の終戦記念日は新型コロナ感染症の深刻な感染急拡大の中で迎えています。これは菅政権の無為無策と五輪強行によってもたらされた“人災”にほかなりません。それにもかかわらず、菅政権や改憲勢力は自らの大失政を棚に上げ、憲法に「緊急事態条項がないから」などと改憲策動に“コロナ危機”を利用しています。内閣に権限を集中する“独裁体制”をつくる「緊急事態条項」の創設や、憲法9条の改定をめざす、「火事場泥棒」のような改憲策動を絶対に許すことはできません。
一、中国が、東シナ海、南シナ海などで、力ずくで現状を変えようとする覇権主義をエスカレートさせています。これに対して、米バイデン政権は「自由で開かれたインド太平洋」の名で中国に対する軍事同盟と軍事的対応の強化で対抗しています。菅政権は、この米国の戦略に全面的に追随し、日米首脳会談で、日米同盟を「インド太平洋」の全域に拡大することを米国に誓約しました。台湾海峡情勢などをめぐり、安保法制が規定する「存立危機事態」や「重要影響事態」の適用を検討しており、そうなれば、集団的自衛権による武力行使も可能となってしまいます。
軍事対軍事の対立、軍拡競争の悪循環に陥ってはなりません。日本共産党は、米国であれ、中国であれ、どんな国でも、覇権主義の行動に対しては、「国連憲章と国際法を順守せよ」と迫る外交努力を尽くすことを求めます。市民と野党の共闘の原点である、集団的自衛権容認の閣議決定を撤回し、安保法制を廃止して、立憲主義を取り戻すために、多くのみなさんと力を合わせる決意です。
一、終戦記念日を機に閣僚による靖国神社への参拝がつづいていることに、強く抗議します。靖国神社は日本による侵略戦争と植民地支配を美化・正当化する施設です。閣僚がここに参拝や奉納をすることは、日本政府が歴史に学ばず、いまだに侵略戦争に無反省であることをアジアと世界の人びとに示すものにほかなりません。
一、核兵器禁止条約が今年1月に発効し、核兵器は国際法上初めて違法となりました。国民の圧倒的多数が、核兵器禁止条約への署名・批准を求めています。しかし、菅政権は唯一の戦争被爆国の政府でありながら、この期に及んでも「核抑止力」に固執して被爆者・国民の悲願に冷たく背を向け続けています。菅政権を倒し、核兵器禁止条約に参加する政府をつくるため、日本共産党はこの問題でも、市民と野党の共闘をさらに発展させるため全力をあげます。
主張 76回目の終戦の日 過去に学び平和守り抜く決意
しんぶん赤旗 2021年8月15日
きょうは、日本がアジア・太平洋戦争に敗北した1945年8月15日から76年です。日本の侵略戦争が310万人以上の日本国民と、2000万人を超すアジア諸国民の命を奪った痛苦の過去を決して忘れることはできません。
いま戦後最悪の感染症である新型コロナが猛威を振るい、多くの国民がかけがえのない命の尊さと重みを改めてかみしめる中で、命を守ることを最優先にする政治のあり方も問われています。
「歴史探偵」の重い言葉
1月に死去した作家の半藤一利さんは、ベストセラー『昭和史』をはじめ近現代史を中心に多くの本を著わし「歴史探偵」として知られます。書店の棚に並んでいる半藤さんの数多くの著書の中に『戦争というもの』があります。最後の原稿となった一冊です。
「バスに乗り遅れるな」「欲しがりません 勝つまでは」などの言葉をもとに、国家が国民を戦争に駆り立てる怖さを描き、「戦争は国家を、豹変(ひょうへん)させる。歴史を学ぶ意味はそこにある」と語りかけます。「戦争の残虐さ、空(むな)しさに、どんな衝撃を受けたとしても、受けすぎるということはありません。破壊力の無制限の大きさ、非情さについて、いくらでも語りつづけたほうがいい」「戦争によって人間は被害者になるが、同時に傍観者にもなりうるし、加害者になることもある。そこに戦争の恐ろしさがあるのです」。半藤さんの思いを真剣に受け止めなければなりません。
天皇絶対の専制政治の下、日本軍国主義は1931年9月に中国東北部への侵略を本格化(いわゆる「満州事変」)させ、37年の日中全面戦争への拡大をへて、41年12月のハワイ・真珠湾やマレー半島への奇襲攻撃で対米英戦争に突入しました。15年にわたる戦争は、日本本土を荒廃させ、アジアの国々に甚大な被害をもたらしました。侵略戦争と植民地支配による深い傷痕はいまも残されています。日本政府に対して戦争被害の救済を求め、責任を追及する国内外の声は消えません。
戦前戦中にかけて国民は真実を知らされず、戦争に異を唱えることは厳しく弾圧されました。「大本営発表」は日本軍の「戦果」を水増しして虚偽の情報を流しました。新聞やラジオも戦争推進一色に染まり、軍部の暴走をあおりました。国民を欺く政治がいかに破滅的結末になるのか―。歴史の教訓を踏まえることが不可欠です。
昨年辞任した安倍晋三前首相は、過去の戦争を反省せず美化し続けました。菅義偉政権も基本的に同じ立場です。それは終戦記念日前に閣僚が侵略戦争賛美の靖国神社を参拝したことに示されています。歴史を学ばない政権に国政を担う資格はありません。
憲法こそ平和の力に
菅首相は、自衛隊を憲法9条に明記する自民党の改憲について「しっかり挑戦したい」(『月刊Hanada』9月号)と公言しています。しかし、国民は9条改憲を望んでいません。日本世論調査会の「平和世論調査」(1日付「東京」)では、9条改憲を明確に支持する答えは2割程度にとどまっています。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(憲法前文)ことを誓った原点を守りいかす政治への転換が必要です。
主張 菅政権と8・15 過去の反省なしに未来はない
しんぶん赤旗 2021年8月17日
菅義偉首相が就任後初めて終戦記念日の全国戦没者追悼式で式辞を述べました。アジア諸国への侵略戦争に一切言及せず、歴史と向き合うことを誓う文言もありませんでした。侵略戦争を美化する靖国神社に菅首相が玉串料を納め、13日と15日に計5人の閣僚が参拝したことも、過去に無反省な政権の姿をあらわにしました。植民地支配を問い直す世界の流れに逆らう態度は許されません。
無反省の継承許されない
菅首相は「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました」と述べたものの、日本が引き起こしたアジア・太平洋戦争で2000万人を超すアジア諸国民の命を奪ったことにまったく触れませんでした。
その一方、安倍晋三前政権が集団的自衛権の行使容認を正当化する意味で使った「積極的平和主義」の旗の下で世界の課題に取り組むと表明しました。いずれも前首相の式辞をそっくり引き継いだものです。
第2次安倍政権以前の歴代首相は全国戦没者追悼式の式辞で、アジア諸国の人々に多くの苦しみを与えたこと、この事実を謙虚に受け止めて反省することを例年表明してきました。2007年、第1次政権当時の安倍首相もこの表現を踏襲しました。
しかし安倍氏は12年に政権復帰した後、この文言を一掃しました。首相として最後の20年の式辞では、19年にはあった「歴史の教訓を深く胸に刻み」との表現を消し去り、「積極的平和主義」を初めて盛り込みました。本来は、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング氏が、戦争の根源にある構造的な暴力をなくす意味で提唱した考えです。前政権は、海外で戦争する国づくりを正当化する言葉として、ゆがめて使いました。
安倍氏は15年、終戦70年にあたっての首相談話で「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と、朝鮮半島の植民地化を進めた日露戦争を賛美しました。一国の首相が植民地支配を公然と美化することは決して許されません。官房長官としてこの談話に関与したのが菅氏でした。
いま世界では過去にさかのぼって植民地支配や奴隷制度の不当さを問い直す動きが発展しています。昨年、米国で起きた白人警察官による黒人暴行死事件を機に、人種差別、排外主義の根絶を求めるたたかいが広がりました。差別の根底に、過去の植民地支配や奴隷制度があることが改めて注目され、今日に続く問題として解決を迫られています。ドイツ政府は植民地だったナミビアで20世紀初頭に犯した大虐殺を公式に謝罪し、補償を表明しました。
侵略の不正義正してこそ
国連のバチェレ人権高等弁務官は植民地主義、奴隷貿易の真実の解明と被害への賠償を求め「過去に対処するための措置は、私たちの未来を変えるでしょう」と述べました。
日本軍国主義による侵略戦争と植民地支配がアジア諸国に多くの被害を与えた歴史的事実を認め、自ら犯した不正義を正すことは日本がアジアの一員として生きていく上で必要不可欠です。過去を反省しない菅首相の姿勢では、世界各国と未来に向かって本当の信頼と友好を築くことができません。