米軍は8月中にアフガニスタンから完全に撤退することを決めました。
ところが反政府勢力のタリバンの攻撃は激しく、15日にはついに首都カブールを制圧し、ガニ大統領は国外に脱出しました。こんなにも早く首都がタリバンに制圧されるなどと想定していなかった米国は、大使館員らを安全に脱出させるために軍隊を再派遣し、撤退完了まで合計5000人の軍隊を駐在させることにしました。
そもそもアフガニスタンへは1979年末、アフガニスタンの不人気な人民民主党(PDPA)政権を支援するため、ソ連軍がアフガニスタンに入ったのが外国勢力侵攻の始まりでした。そのときは米国が反政府勢力のタリバンに大々的な軍事援助を行ったためソ連軍はタリバンを制圧できず、9年後の1988年5月に撤退を決めたのでした。
2001年9月11日、米国ツインタワーに旅客機が突っ込んで崩壊させるテロ事件が起きたのを契機に、アフガニスタンの仕業だとしてジョン・ブッシュ大統領がアフガンに侵攻し、かつて軍事援助したタリバンを相手に闘いましたが制圧することはできす、20年に渡って進駐したのちに撤退を決めたのでした。一体この20年は何だったのかという話です。
しんぶん赤旗は「アフガニスタンは再びタリバン統治に後戻りし、道理のない軍事対応の破たんが示された」と述べました。
史上空前の戦争国家米国はかつてベトナム戦争で初めて敗退し、その後イラク戦争では石器時代に戻すと称した過激な爆撃で国土を破壊しましたが、制圧のためには数十万ないし百万を要するといわれた地上軍の派遣は叶わずに撤退し、アフガンでも同じような結果を招きました。
いまや米国の17歳から24歳の男性新兵の約71%と女性新兵の84%が、肥満、高校卒業資格の欠如、赦免されない犯罪歴という三つの理由で、軍の健康診断に合格できない事態になっているということです。まさに戦争国家の「破綻」です。
⇒(6月7日)ロシアへの恫喝に失敗したバイデンがプーチンと会談
(マスコミに載らない海外記事6月6日)米軍の悲劇 (cocolog-nifty.com)
マスコミに載らない海外記事に「アフガニスタンでのアメリカ敗北はソ連の失敗より酷い。これがどのように起きたのか?」とする記事が載りました。
そのなかで、旧ソ連の撤退と米軍の撤退を比較して、ソ連が去った後でさえ、彼らが訓練し武装させた国軍は、激しく成功裏に戦ったのに対して、米国と同盟国が何千億ドルもの経費で訓練し武装させた軍隊は、兵員数でも兵器の内容においてもはるかにタリバンに勝っているのに、ごく僅かに抵抗しただけで四方八方に散ったのは士気の問題で、彼らの多くが政府に命を捧げたいと思っていないからだと断言しています。
米国の会計監査責任者がいみじくも「アフガンでの米国・サプライチェーンの最後はタリバンだ」と述べていることが、米軍と結託したアフガン政権の腐敗を端的に物語っています。
しんぶん赤旗と併せて二つの記事を紹介します。
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アフガン政権 崩壊 米の軍事対応破たん タリバン 首都を制圧
しんぶん赤旗 2021年8月17日
今月末までの駐留米軍撤収を見越し、アフガニスタン各州の都市を次々制圧してきた同国の反政府勢力タリバンは15日、政府側の最後の拠点だった首都カブールに進軍し、大統領府を制圧しました。ロイター通信などが伝えました。ガニ大統領は国外脱出し、「タリバンが勝利した」とアフガン政府崩壊を認めました。
9・11同時多発テロを受けた2001年の米国主導のアフガニスタン報復攻撃が当時のタリバン政権を崩壊させ、約20年におよぶ多大な犠牲の末に、同国は再びタリバン統治に後戻りします。道理のない軍事対応の破たんが示されました。
中東の衛星テレビ局アルジャジーラは16日、大統領府を占拠するタリバン戦闘員らの姿を伝えた上で、タリバン報道官が戦争終結を宣言し、新政権の樹立については間もなく発表されると述べたと報じました。
15日のタリバン進軍を受け、首都の国際空港には退避を望む数千人の市民らが詰めかけ、銃声が響くなど混乱。カブール市内の通りも脱出を試みる車で埋まりました。
国連のグテレス事務総長は同日、人命保護のために「最大限の自制」をタリバンを含む全当事者に呼び掛け。また、タリバン統治下での女性の権利後退にとりわけ「懸念」を示しました。
米国による同国再建の取り組みの象徴となっていた在カブール米大使館では、15日夜までに全職員が空港へ退避。米国旗も降ろされ、閉鎖されました。
バイデン米大統領は首都制圧に先立つ14日の声明で、「もう1年だろうと5年だろうと、米軍駐留が(アフガン情勢で)違いを生むことはない。次の米大統領にこの戦争を引き継ぐつもりはない」と述べ、今月末までの米軍撤収方針を変えない考えを改めて示していました。
日本や欧米など各国政府は15日、国外退避を求める外国人や市民の安全を尊重するよう呼び掛ける共同声明を出しました。
アフガニスタンでのアメリカ敗北はソ連の失敗より酷い。これがどのように起きたのか?
マスコミに載らない海外記事 2021年8月16日
ポール・ロビンソン 2021年8月13日
Information Clearing House
アフガニスタンで衰えつつあるアメリカ駐留部隊最後の兵士が荷物をまとめて出て行く中、30年以上前、この国からのソ連撤退を思わせるものがある。だが、実はワシントンの敗北は遥かに深刻なのだ。
1979年12月、アフガニスタンで政権の座にある不人気なアフガニスタン人民民主党(PDPA)政権を支援するため、ソ連軍がアフガニスタンに入った。彼らは間もなく、ムジャーヒディーン・ゲリラに対する血まみれの戦争の泥沼にはまっているのに気がついた。
9年後、ソ連は十分に流血したと判断し、1988年5月に撤退を始めた。ソビエト軍最後の分遣隊は翌年2月、橋を渡って、ソビエト社会主義共和国連邦に帰還した。
12年後、アメリカ軍がタリバンと戦うため到着した。他のNATO諸国の軍隊がそれに続いた。彼らは共に、ソ連より長く駐留したが、今や撤退しつつある。ジョー・バイデン大統領は、アメリカ軍は、8月末までにアフガニスタンを撤退すると約束した。
アメリカが、その最長の戦争から撤退を完了する中、敵は進撃中だ。これまでの一週間で、タリバンは、いずれも木曜日に陥落した二番目と三番目の大都市、カンダハルとヘラートを含め、アフガニスタンの34州の首都のうち12を攻略した。
タリバン前進の勢いは注目に値する。一部の場所では、政府軍は戦いせずに逃走した。ガズニ州知事は、その地域からの自由な脱出と引き換えに、彼の都市を放棄したと言われている。アメリカに訓練された政府軍は逃げたり、一団となって脱走したり、ある場合には、タリバンに寝返った。それは総崩れだと言って良かろうが、アメリカ軍は、まだ完全に去っていない。政府は首都カブールを固持するのは可能かもしれないが、それすら、もう確実ではない。
要するに、アフガニスタンでのアメリカとNATOの20年戦争は不名誉な失敗で終わったのだ。丸ごと絶対に。もちろんソ連も戦争に破れたが、それほど出し抜けではなかった。
最後のソ連部隊が、アフガニスタンとウズベク・ソビエト社会主義共和国を結びつける友好橋を渡った後、ムジャーヒディーンは手っ取り早く政府軍を打倒することが可能だと確信し、大攻撃を開始した。彼らの攻勢は完全に失敗した。アフガニスタン軍は一歩も引かず、主要人口集中地区の一つも敵の手に落ちなかった。アフガニスタン人民民主党(PDPA)体制が最終的に倒れたのは、二年後、ボリス・エリツィンのソ連後のロシア政府がアフガニスタンに資金力を止めた時のことだった。
これまでの一週間に起きたこととの対比は、これ以上明白になり得ない。ソ連が去った後でさえ、彼らが訓練し、武装させた軍隊は、激しく成功裏に戦った。現在、アメリカと同盟国が何千億ドルもの経費で訓練し、武装させた軍隊は、ごく僅かな抵抗の努力だけで四方八方に散ったのだ。
だが公正のために言えば、問題は、軍事演習や機関銃の木箱ではない。現在のアフガニスタン軍には、両方ともたっぷりある。彼らはタリバンに数で勝り、補給はより豊富だ。問題は士気だ。簡単に言えば、彼らの多くが政府に命を捧げたいと思っていないのだ。
アフガニスタン人民民主党(PDPA)には、収賄や、無能さや、党派的内輪もめやに対する当然の悪評や、宗教や私企業に対するマルクス主義攻撃など、アフガニスタン国民を遠ざけた、独断的、反生産的政策があった。一方、アフガニスタン人民民主党(PDPA)の敵、タリバンの先駆者ムジャーヒディーンは、先進的なスティンガー・ミサイル供給の約束を含め、アメリカの大規模支援を享受していた。
ソ連に支援された政府の方が、現政府より良く戦った事実には、従って一つしか説明しようがない。アフガニスタン人は、社会主義PDPAに配慮したほど、現在の支配者に配慮していないのだ。それは重要なことを物語っている。
そこで、アメリカとNATOが、なぜカブールでそれほど長い間政権を支援して過ごしたのか、カブール政権がなぜそれほど嫌われるようになったかの疑問が生じる。
最初の疑問への答えは、主に威信だ。現政権を据えた欧米諸国は、彼らの評判は、その存続に結びついていると感じて、支える価値がないことが明確になった時でさえ、それを放棄することを拒否したのだ。
二つ目の疑問への答えは、現政府のひどさの多くが、欧米諸国に追求された政策によるものだということだ。
1992年にナジブラが打倒された後、アフガニスタンでは、麻薬密売軍閥指導者が権力を求めて戦い、アフガニスタン国民にあらゆる種類の残虐行為を行った邪悪な内戦を経験した。タリバンは、残忍ながら、買収されずに公正を実施して出現すると、多くのアフガニスタン人が安堵のため息をついて、彼らを支持した。
周知の通り、カナダ人将軍リック・ヒラーは、タリバンは「忌まわしい殺人犯で人間のくず」だと述べている。彼が言い損ねたのは、タリバンの敵は、時々に、もっと酷いことだった。アメリカと同盟諸国が、アフガニスタンに侵攻した際、これらの敵は故郷に戻り、今回は欧米列強の支持を得て、連中の犯罪的な手口を再開したのだ。予想通り、現地の人は、さほど感銘しなかった。
その後、欧米列強はアフガニスタンに湯水のように金を注ぎ込んだ。適切な管理がない貧しい国に現金を注げば、結果は大規模収賄だ。アフガニスタンはそうなった。
単にこれは政府の権威を失墜させただけでなく、支援金の多くがタリバンの手中に流れた。アフガニスタンでアメリカ出費の会計監査責任を負う米国当局者ジョン・ソプコが言う通り「アフガニスタンでのアメリカ・サプライチェーンの最後はタリバンだ」。誰がタリバンを武装させ、支払ったか知りたいと望むなら、答えはアメリカがそうしたのだ。
ソ連はイデオロギーと人的資源で戦争の流れを変えられると考えていた。欧米は、金と資源を注ぎ込むことで、アフガニスタンで勝てると想像した。だがナポレオンが言った通り「戦争において、士気と身体能力の比は三対一だ」。今週のアフガニスタンでの出来事が、この要点を証明している。
ポール・ロビンソンはオタワ大学のロシアとソ連史教授、軍の歴史と軍の倫理について書いており、Irrussianalityブログの著者。
記事原文のurl:http://www.informationclearinghouse.info/56715.htm