2021年8月2日月曜日

空襲から76年 長岡で「平和の森コンサート」+

 1945年8月1日の長岡空襲から76年を迎えるのを前に、長岡市の平和の森公園で31日夕、「平和の森コンサート」が開かれました。鎮魂曲「祈り」で幕開けし、「ジュピター」や「リベルタンゴ」などが演奏されました。会場脇を流れる柿川には、炎を逃れようと多くの人が飛び込んで命を落としました。コンサートは市民有志による実行委員会が毎年開いており、ことしで27回目になります新潟日報が伝えました。
 76年前の8月1日、長岡市上空に飛来した125機のB29爆撃機は、夜の10時半から1時間40分にわたって、16万3千発もの焼夷弾を投下し市街地の8割が焼け野原になり、1488人の命が奪われました。
 あの日の惨劇を思い起こすことは、戦争の愚かさ、平和の尊さを見つめることになります。
 しかし実体験を語れる体験者は減り続け、記憶の伝承は年々厳しさを増しています。今年ボランティアとして長年語り部などを務めた金子登美さんが87歳で他界しました。空襲で父と姉を失った金子さんは戦災資料館の業務日誌に2月、「…落ち着かない時ではあるが、唯一つ、この世ではっきりしているのは『戦争は悪いこと』である。~ これだけは後の世にしっかりと伝えていきたい」と書きました。
 新潟日報の社説を併せて紹介します。
 + 2日付新潟日報記事を追加
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空襲から76年 平和願う調べ響く 長岡で「平和の森コンサート」
                            新潟日報 2021/08/01
 1945年8月1日の長岡空襲から76年を迎えるのを前に、新潟県長岡市本町3の平和の森公園で31日夕、「平和の森コンサート」が開かれた。会場では、せみ時雨の中、地元のアーティストが平和へのメッセージを歌や演奏に込めて披露した。
 市民有志による実行委員会が毎年開いており、ことしで27回目。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、観客を約100人に絞って実施した。
 長岡空襲では判明しているだけで1488人が亡くなった。会場脇を流れる柿川には、炎を逃れようと多くの人が飛び込んで命を落とした。公園には児童を慰霊する平和像が立つ。
 コンサートは、オリジナルの鎮魂曲「祈り」で幕開け。フルートやギター、チェロなどで「ジュピター」や「リベルタンゴ」など、なじみのある曲が演奏された。地元のデュオ「ひなた」も平和への願いを歌声に乗せて響かせた。会場には「8・1忘れない」などと書かれた市民手作りの灯籠が飾られた。
 同市の50代の公務員は「空襲で当時の人たちがどれほど大変な経験をされたのか。思いをはせながら音楽を聴いた」と話した。


社説 長岡空襲の記憶 語り継ぎ平和を守りたい
                            新潟日報 2021/08/01
 慰霊と追悼の願いを込めた大花火大会は今年も感染禍で開催が見送られた。そうした中で平和のバトンを次世代へつないでいくために、古里で起きた戦火の記憶をたどる大切さを胸に刻みたい。
 第2次大戦中に県内で唯一、米軍による大規模な市街地爆撃を受けた長岡空襲から1日で76年となった。
 1945年8月1日、長岡市上空に飛来した125機のB29爆撃機は、午後10時半から1時間40分にわたって、16万3千発もの焼夷(しょうい)弾を投下した。市街地の8割が焼け野原になった
 火の海の中を多数の市民が逃げ惑い、幼い子どもを含む多くの人たちが亡くなった。
 7月20日に訓練で落とされた模擬原爆による犠牲を含め、死者は1488人に上る。
 長岡市は例年、空襲があった8月1日夜に、慰霊の花火「白菊」3発を打ち上げ、2、3日は平和への祈りを込めた花火大会を開いてきたが、昨年は新型コロナウイルスの感染拡大で戦後初めて中止された。
 今年は1日に白菊を上げ、2、3日は大会に代わり市内11地域で短時間花火を打ち上げる
 花火に託された願いを受け止め、理不尽な形で人生を断たれた人々の冥福を祈り、静かに夜空を見上げたい。
 あの日の惨劇を思い起こすことは、戦争の愚かさ、平和の尊さを見つめることになる。
 長岡では戦災資料館が空襲の歴史を現在に伝えてきた。殉難者の遺影や、焼けた時計、空爆を予告する米軍のビラといった戦災資料を展示している。
 市民ボランティアが国民学校(小学校)区ごとの住宅焼失地図の作成を担うなど運営の要となってきた。
 ただ実体験を語れる体験者は減り続け、記憶の伝承は年々厳しさを増している。
 今年は、空襲で父と姉を失い、運営ボランティアとして長年語り部などを務めた金子登美さんが87歳で他界した
 「…落ち着かない時ではあるが、唯(ただ)一つ、この世ではっきりしているのは『戦争は悪いこと』である。時の流行的な考えに左右されることなく、これだけは後の世にしっかりと伝えていきたい」
 新型ウイルス感染が拡大し、五輪開催の行方が定まらなかった2月末、金子さんは資料館の業務日誌にこう書き残した。
 継承活動の世代交代が欠かせない中、資料館は誰もが語り部になれるように、体験に基づく紙芝居を作り、演者を養成している。そうした取り組みは今後さらに重要になろう。
 感染禍で、広島などへの修学旅行に代わって資料館を訪れる県内の中高生が増えているという。見学をきっかけに、それぞれの地域や学校などで身近な戦争の歴史を学ぶ取り組みを進め、平和について考えたい。
 肉親を亡くし、猛火の中をさまよった当時の記憶を生涯胸に留め、ぶれることなく平和を希求した金子さんの思いを、私たちも確かに受け継ぎたい。


平和のバトン 次世代に 長岡空襲76年 市内各地で追悼
                            新潟日報 2021/08/02
 長岡空襲から76年となった1日、新潟県長岡市の各地で慰霊の行事が催され、1488人の犠牲者に市民が祈りをささげた。二度と戦争は繰り返さない-。時がたっても癒えない心の痛みを抱える遺族、平和への願いを受け継ごうとする子どもたちが思いを一つにした。
 アオーレ長岡では、市主催の平和祈念式典が行われた。新型コロナウイルス感染拡大で昨年に続き人数を大幅に絞り、約230人が参加。遺族や小学生ら8人が代表して献花した。
 当時12歳の櫻井信子さん(88)が、一緒に逃げた母を失った体験を語った。母は腹を負傷して苦しみ、5人の子どもを残して亡くなった。櫻井さんは「母の無念を抱えて76年生きてきた」と語り、「1488人の一人一人に未来や人生があったはずだ。生きたいと思いながら亡くなった人たちに心を寄せてほしい」と訴えた。
 参加した70代の男性は「世界中で戦争や紛争がなくならないのは残念だ。世界の子どもたちが手をつないでいくことを期待したい」と願った。
 境内にあった防空壕(ごう)で多くの人が亡くなった平潟神社(表町1)では、約20人が参列して戦災殉難者慰霊祭が営まれた。姉を亡くした80代の女性は「姉のことを一日も忘れたことはない。平和のために高齢な私にもできることはやりたい」と話した。
 犠牲となった学童や教職員を慰霊する平和像がある平和の森公園(本町3)でも追悼行事が開かれた。市内14の小中学校の児童生徒ら約280人が黙とうし、花輪や千羽鶴を手向けた
 級友と鶴を折った表町小6年の男子児童(11)は「僕たちにできるのは戦争を起こさない強い気持ちを持ち続けること。鶴に込めた思いが届き、安心してもらいたい」と力強く語った。
 身元が分からなかった犠牲者が眠る昌福寺(四郎丸4)では、市仏教会が法要を行い、冥福を祈った。