2021年8月11日水曜日

東京五輪閉幕 もう腐食はごまかせない(信濃毎日新聞 社説)

 信濃毎日新聞が「東京五輪閉幕 もう腐食はごまかせない」とする社説を出しました。

 東京五輪の経済的損失計り知れません。13年9月に開催都市に決定して以降、都や政府、組織委が五輪のために使ったカネは「総額3兆円」に上るといわれています。それに組織委の赤字補填やコロナの水際対策などを加算すると総費用は4兆円規模に膨らむとみられています。
 週刊ポストの試算によると経費の内訳は、東京都分が1兆4519億円、政府分が1兆3059億円で、合計約2兆7500億円に上ります。その財源は税金で賄われているので1人当たりの税負担額は都民が10万3929円、都民の負担金を除いた国民1人当たりの負担は1万408円になります
 1998年の長野冬季五輪で長野県は施設整備などで1兆6000億円もの県債を抱え、また長野市は979億円を投じて6つの競技会場を建設しましその際の694億円の借金は20年後の18年3月にようやく完済しました勿論施設の維持費も年間2億2000万円以上と莫大で、長野市の負の遺産の象徴となりました。
 しかも長野五輪時には、五輪招致費用が記載された会計帳簿を早々に「焼却し、それを長野県庁が不問に付したという有名な話も残っています。

 信濃毎日新聞は、「東京五輪では経費をどこにどう使ったのか。業務委託の詳細を含め、情報開示を徹底するのは組織委の義務と言っていい。この大会で残せるものがあるとすればスポーツの祭典に名を借りた悪弊と矛盾を絶つに資する、厳正な総括をおいてほかにない」と述べています。電通とパソナのハイエナのような荒稼ぎも明らかにされるべきです。

 Business Journalに「五輪閉会式に酷評『日本の恥』『退屈、支離滅裂』『延々と茶番』…原因は“電通”仕事?」と題した記事が載りました。
 開会式に続いて閉会式も実にさえない演出であり、それは「電通が仕切ったことによるもの」とする記事です。
 その抜粋版を併せて紹介します。全文には下記からアクセスしてください。
 ⇒ 五輪閉会式に酷評「日本の恥」「退屈、支離滅裂」「延々と茶番」…原因は“電通”仕事?
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〈社説〉東京五輪閉幕 もう腐食はごまかせない
                          信濃毎日新聞 2021/08/09
 新型コロナ感染の第5波が、東京五輪と並行するように全国へと広がっている。
 専門家は、選手村や競技場でのまん延、あるいは大会参加者と国民との相互感染よりも、祭典が誘発する緩みを警告していた。
 開催強行の理由を曖昧にし、菅義偉首相は「五輪は感染拡大の原因ではない」と言い逃れる。国際オリンピック委員会(IOC)も「別世界だ」と強弁する。
 政権は景気刺激、監視強化、党利党略に利用し、IOCは商業主義に徹した。権威にぶら下がる企業の利権だけが守られている。理念の空文化は隠しようもない。
<約束は果たされず>
 開会式で4千食の弁当が余り、大会組織委員会が処分していたことが明るみに出た。食品ロスは規模の大きな大会に付きまとう。組織委は「実行可能な抑制」に取り組むと強調していた。
 環境に配慮し「持続可能な社会のありようを示す」は、東京大会が掲げた理念の一つだ。
 低公害・低燃費のバスが都内を走る構想のはずが、選手や大会関係者を輸送するため全国から集められた2千台に上る車両は、大半が通常のバスだった。
 国立競技場の建設に使われたインドネシアからの輸入木材は、持続可能な調達基準に違反し、熱帯雨林の破壊を助長したと、環境団体に糾弾されてもいる。
 その国立競技場を造る再整備により、野宿者が居場所の公園から閉め出された。集合住宅の入居者が立ち退きを迫られた経緯とともに、あらゆる排除を否定した五輪憲章に逆行する。
 大会延期に伴う「簡素化」では史上最多の33競技339種目の縮小は見送られた。肥大化し、広域開催となった大会は、コロナ対策や医療態勢の確保を難しくする副作用を生んでいる
 関連予算は3兆円を超え「コンパクト五輪」は見る影もない。安倍・菅両政権がうたった経済効果は無観客で霧消し、都民と国民に負債だけが残された。

<招致反対のうねり>
 土着の文化と景観、自然環境を壊し、弱者から住む場所を奪う横暴は、これまでの五輪で繰り返されてきた。IOCや企業が利益を吸い上げる大会に、各地で膨大な税金が投じられている。
 負担とリスクに見合わない―。住民の反対で、招致から撤退する都市が相次ぐ。IOCは、複数の都市を競わせてきた選考方式の変更を余儀なくされた
 各国の反対運動は、格差拡大への不満を投影し、他の市民運動との協力関係を深めている。国境を超えた連帯も芽生え、2019年には、東京で初めての「反五輪サミット」も開かれている。
 東京五輪も国内外から強い非難を浴びてきた。
 国内の感染状況は深刻で、病院や療養施設に入れず自宅待機を強いられる感染者が増えた。飲食店は限界まで追い詰められ、収入が激減して不安を募らせる女性や若者、ひとり親家庭も多い
 菅首相は「選手の活躍が夢と感動、勇気を与える」と述べる。十分な支援を受けられないまま、文字通り生存を懸けて闘う人々の悲鳴より、この国の政治は情緒的な「意義」を優先した。
 コロナ禍と1年延期で、選手たちは満足に調整できずにきた。特に海外の選手は、日本の酷暑や時差に慣れる時間が限られ、練習相手も伴えない不利な条件に置かれた。それでも力を振り絞る姿は見る者を魅了し、日本人選手も努力の成果を見せた。「選手に罪はない」との声も聞かれる。

<続けるつもりなら>
 ただ、それだけでいいか。「選手第一」の本義は、競技者自身が五輪を考え、発言し、IOCや組織委を突き動かす主体性の発揮にあると信じたい。
 感染が収まってからでいい。選手有志が集まって東京大会を振り返り、世界に意見を発信できないか。五輪開催が困難な場合や選手間の公平性が損なわれる時、どんな代替手段が望ましいのか。政治や利権と切り離した、スポーツ本来の魅力を捉え直すきっかけにもなるに違いない。
 放送権料に固執し、負担を開催都市と国に押し付け、特権だけは享受するIOCの面々に、自浄能力は期待できない。最低限、第三者機関を設けるべきだ
 招致都市の大会計画に盛られた約束は実現可能か。大会後の履行状況も検証し、経費超過を厳しく監視、指導する仕組みが要る。度重なる招致不正疑惑を防ぐ上でも意思決定の中立性、透明性を高めなくてはならない。
 東京五輪では経費をどこにどう使ったのか。業務委託の詳細を含め、情報開示を徹底するのは組織委の義務と言っていい。この大会で残せるものがあるとすれば「スポーツの祭典」に名を借りた悪弊と矛盾を絶つに資する、厳正な総括をおいてほかにない。
 美辞麗句を並べて“成功”を演出するのでは、オリンピックの命脈を縮めるだけだ。


五輪閉会式に酷評「日本の恥」「退屈、支離滅裂」「延々と茶番」…原因は“電通”仕事?
                        Business Journal 2021.08.08 
     (前 略

■消された「開会式の簡素化案」
     (中 略)

■「また変なパフォーマンス」
 そんななか、8日20時に閉会式がスタート。国旗の入場・掲揚と国歌斉唱後は約30分かけて各国の選手が入場。数時間前に熱戦を追えたばかりのバスケ女子チームのメンバーたちや、女子卓球団体・銀メダルの石川佳純、伊藤美誠、平野美宇、野球・金メダルのチームメンバー・田中将大、森下暢仁、アーティスティックスイミング・デュエット4位の乾友紀子と吉田萌、空手の女子の形で銀メダルの清水希容、スポーツクライミング女子複合・銀メダルの野中生萌、銅メダルの野口啓代などがリラックスした様子を見せた。
 入場が終わると、光の動きを多用したプロジェクションマッピングで五輪のシンボルマークが会場上空に映し出されたかと思うと、ムードは一転してステージ上には東京スカパラダイスオーケストラが登場し、演奏を披露。それに合わせて“東京の日曜日の昼下がりの公園”を再現するという設定のなか、数多くのパーフォーマーたちがダンスやボールを使った芸などを展開。世界的に有名なDJ松永のソロパフォーマンスや、アニメ『鬼滅の刃』を用いた演出などが行われたほか、1964年の東京パラリンピックでも披露された坂本九の曲『上を向いて歩こう』が流れるシーンなども見られた。
 パフォーマンスは約20分にわたり繰り広げられたが、SNS上では以下のように賛否両論の感想があがっている

<せっかく光のショーで素晴らしい雰囲気になったのに、また変なパフォーマンスが始ま
 った>(原文ママ/以下同)
なんだか恥ずかしいわ 見てられない 日本の演出や音楽シーンってこんなの?>
<またよくわからん茶番出はじまるし密の問題で仕方ないんやろけど引きで見ると人がパ
 ラパラしててなんやこれという感じ>
<椎名林檎がリオ五輪でやったようなダンスなら演奏とバッチリで綺麗だったのに>
<選手たちちょっと退屈そうじゃない?>
<閉会式なんかぐちゃぐちゃだな>
<しらけるわー。全然面白くないやん。さっさとしょーもないパフォーマンス辞めて下さ
 い。恥ずかしいわ。いつまでやるねん>

<こうやってオリンピック閉会式を見ていると色んな国があるんだなぁって、ディズニー
 のイッツ・ア・スモールワールドに乗ってるような気分になる>
<奇をてらうこともなく、定番で彩られてなんて真っ当な閉会式なんだ>

<今の映像でもう泣きそう>
<開催されて良かった!こんなに楽しく見れたの初めて!>

■「一気通貫的な意思がない」
 企業のブランディング・PR戦略などを手掛けるクリエイティブ・ディレクターはいう。
全体的に“酷い”という印象。“日本の恥をさらした”と評価されても仕方がない。戦いを終えた選手たちが楽しそうな様子で、国をこえて交流して親交を温めるシーンなども見られた入場行進は良かったが、その後、照明が落ちた暗い中で通り一辺倒のプロジェクションマッピングが行われたと思ったら、今度はスカパラの音楽に合わせて多くのパフォーマーたちがバラバラに延々とパフォーマンスをあちこちで続け、“いったい何を見させられているのか”という感想しか持てない。選手たちも動きが止まっているように見えた。
 結局、五輪のクロージングとしてこの閉会式で“何を刻みたいのか?”という、演出サイドの一気通貫的な意思がないことが、根本的な原因。開会式と閉会式を通じていえることは、最大公約数的に歌舞伎や祭り、太鼓、今風の音楽、パフォーマンス、ダンス、プロジェクションマッピングなどを“とりあえず全部盛り込みました”として、批判を封じようという姿勢が感じられ、結果的に退屈な内容になってしまっている。
 確かに五輪の閉会式は式典的な要素もあり、単純にエンターテインメント的なショーの部分だけを追求できないという難しさがあるのは理解できる。でも、今回のような支離滅裂な内容になってしまうくらいなら、退屈だといわれてもよいから、日本の文化や伝統をしっかりと見せたり、選手にクローズアップしたりと、軸を据えたプログラムにしたほうが、まだよかったのではないか」
 また、広告代理店のクリエイターはいう。
「制作チームに各方面から多くの人が参加しているものの、実質的に演出全体を仕切っているのは電通。開会式と閉会式を見て感じるのは、“いかにも電通の仕事”という点に尽きる。電通仕切りとなった時点で、こうなる結果は見えていた
 果たして世論の感想はいかに――。 (文=編集部)