日本の人質司法は世界に知れ渡りました。今日、検察を正義の機関であると考える人はあまりいないと思われます。
特に特捜部はまず事件のストーリーを組み立てて容疑者を逮捕し、その線に沿って容疑者を締め上げると言われています。その途中で特捜部の見込み違いが分かったケースが出ても、検察は面子に拘って、そのまま強引に容疑者を被告人に仕上げ、ほとんどの場合有罪となります。
2011年、東京地検特捜部に「震災復興融資詐欺事件」で逮捕・起訴され、2年4月の実刑判決を受けて服役した経営コンサルタントの佐藤真言氏はその犠牲者でした。まさに特捜検察が「普通の市民」に牙をむいたのでした。大金を払って依頼した特捜OB大物弁護士は、裁判において必要な主張を行わずに職責を全うしなかったということです。
佐藤氏はその余りの不条理な体験から自らが弁護士になろうと決意し、出所後 大変な努力を重ね予備試験を経て5年という超短期間で司法試験に合格しました。郷原氏によれば、それでも非情な壁があって実際に弁護士になれるかはまだ分からないということです。
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服役後5年“不屈の闘志”で司法試験合格した佐藤真言氏を阻む「不条理の壁」
郷原信郎が斬る 2019年11月6日
2011年、東京地検特捜部に「震災復興融資詐欺事件」で逮捕・起訴され、実刑判決を受けて服役した経営コンサルタントの佐藤真言氏が、今年の司法試験に合格した。5年前には、服役していた佐藤氏が、予備試験を経て司法試験合格まで5年という「超短期合格」を果たすまでの経緯が、産経新聞の記事【元受刑者のコンサルが司法試験合格 「負け犬」から奮起】で紹介されている。
産経新聞記事では、「『負け犬』からの奮起」という言葉が使われているが、決して、佐藤氏は、「負け犬」などではない。経営コンサルタントとしての役割を果たし、社会に貢献していたのに、特捜部の全くの見立て違いの捜査によって逮捕され、引き返すことをしない検察によって、起訴させられた、まさに“被害者”だった。
佐藤氏を「悪質経営コンサル」と誤認した特捜部
きっかけとなったのは、2010年に、元銀行員の経営コンサルタントAが国税局の査察で摘発されたことだった。Aは、銀行に在職時に、大口の融資話をまとめてはリベートを吸い上げて巨額の利益を得、しかも、その融資先会社は殆ど営業実体がないにもかかわらず虚偽の決算報告書で優良企業のように見せかけていた。東京地検特捜部がAを詐欺で逮捕し、立件された事件だけでも被害額は15億円に上った。
この巨額詐欺事件の元銀行員Aと、「元銀行員の中小企業向け経営コンサルタント」というところだけ共通していた佐藤氏を、特捜部は「粉飾決算の指南役」として捜査の対象とした。佐藤氏を、Aと同様の「悪質コンサル」と見た特捜部は、佐藤氏の自宅を捜索、捜索に赴いた係官は、佐藤氏の住まいのあまりの質素さに驚く。札束も、隠し財産も全くない。佐藤氏への取調べが始まり、その説明から、特捜部の見立てが完全に誤っていたことが明らかになっていくが、特捜部は、引き返そうとはしなかった。
佐藤氏の顧客の会社のほとんどは、リーマンショックによる不況で経営が悪化し、倒産の危険にさらされている状況で、佐藤氏の経営再建に向けての助言・指導を受けていた。売上や在庫を若干水増しして、決算内容を債務超過に至らない最低限のレベルに維持しながら、銀行融資の返済を続けている会社ばかりだった。融資する金融機関の側も、厳しい経営状況を把握しており、決算書の内容を厳密に突き詰めることなく融資継続の是非を判断しているという状況だった。
検察改革で追い込まれた特捜部の「起死回生」のための事件
特捜部は、その顧客会社のうちの一社が「東日本大震災復興緊急保証制度」に基づく保証融資を受けていたことをとらえ、「悪徳コンサルタント会社が実質破綻の中小企業を利用して震災復興の保証制度を食い物にした」という構図で組み立てて、佐藤氏とその会社の社長を逮捕した。
この事件の立件には、当時、検察不祥事を受けた検察改革で縮小されようとしていた特捜部の組織としての思惑があった。2011年4月に「検察の再生に向けての取組み」が公表され、取調べの可視化の試行など様々な施策が打ち出され、その一環として、特捜部の特殊直告班(主として政界汚職事件など特捜部の独自捜査を担当する部門)が縮小し、一班体制とされることになっていた。それに伴い、廃止されることになった「特捜部特殊直告2班」が、「起死回生の一打」を狙って手掛けたのがこの事件であった。
顧客会社は、社長の突然の逮捕で、銀行融資がストップ、会社は破産に追い込まれ、取引先の零細業者も連鎖倒産した。詐欺に問われた信用協会の保証付き融資も、結果的に、返済不能となった。
会社の倒産は、検察の強制捜査のためだった。しかし、会社が倒産し、銀行融資が結果的に返済不能となってしまったため、融資した銀行は、検察官から「粉飾決算を見過ごしたのか」と言われ被害届を出すよう求められれば、出さざるを得ない。被害弁償ができない1億円を超える詐欺事件となれば、執行猶予はつかない。佐藤氏は、懲役2年4月の実刑判決を受けて、服役した。
佐藤氏は、「貸し渋り」「貸し剥がし」が横行する中小企業金融の実態に幻滅して大手銀行を退職、経営コンサルタントとして中小企業経営者に寄り添い、経営改善の支援に懸命の努力をしていた。
普通に聞けば、「銀行から融資名目で1億円を騙し取って実刑判決を受けた」というと、「詐欺師」であったかのように思うだろう。しかし、佐藤氏が詐欺罪に問われた事実は、それとは全く異なる。
佐藤氏は、経営コンサルタントとして苦しい経営状況の中小企業が、金融機関からの融資の継続によって経営を立て直すことに尽力してきた。「粉飾」も佐藤氏が指導して始めさせたわけではなく、決して「粉飾」を指南したわけではない。
金融機関から融資を騙し取る「融資詐欺」の「詐欺師」の典型は、美濃加茂市長事件の贈賄供述者だ。会社の実体もなく、売上も全くないのに、関係機関の代表者印等を偽造、受注証明書・契約書等の公文書・私文書を偽造して、多くの地方自治体・医療機関等から浄水装置を受注しているかのように装ったり、送金元の名義を偽って代金が入金されたように見せかけたりして、事業の実体がないのにあるように偽装して、金融機関から融資金を騙し取っていた。それが、典型的な犯罪としての「融資詐欺」であり、佐藤氏の事件の発端となった経営コンサルタントAの詐欺も同様だ。
佐藤氏の行為は、融資を受けた会社の会計の「紛飾」が否定できるわけではないので、関与が否定できなければ、形式的には詐欺罪が成立することになる。しかし、検察が中小企業の金融取引の実情をわきまえていれば、凡そ、詐欺罪で立件して起訴するようなことではないことはわかったはずだ。
佐藤氏の事件を取り上げた著書・ブログ
7年前、石塚健司氏の著書【四〇〇万企業が哭いている ドキュメント検察が会社を踏み潰した日】(講談社)で初めてこの事件のことを知り、懸命に中小企業の経営改善に取り組む経営者と、それを必死に支える経営コンサルタントという、2人の「ひたむきに生きている善良な市民」が東京地検特捜部の非道な捜査・起訴に踏みつぶされたことに、衝撃と憤りを覚えて書いたのが【「正義を失った検察」の脅威にさらされる「400万中小企業」】。
その後、2人と会って、じっくり話を聞き、改めて、特捜部という権力機関が、このような普通の市民に襲い掛かることの恐ろしさを、私自身の検事時代の経験も含めて書いたのが【特捜検察が「普通の市民」に牙をむくとき】だ。
その後、控訴審でも一審の実刑判決がそのまま維持され、上告したものの、絶望的な状況に追い込まれた佐藤氏自身が、自らの著書【粉飾】(毎日新聞社)を公刊した際に書いたのが【佐藤真言氏の著書『粉飾』で明らかになった「特捜OB大物弁護士」の正体】だ。佐藤氏の著書の中で明らかにされている「特捜OB大物弁護士」は、高額の私選弁護費用を請求しながら、佐藤氏の弁護人として行うべきであった主張を全く行わないどころか、無意味に300万円もの「贖罪寄附」を行わせるなど、最低の弁護活動であり、それが、佐藤氏を「実刑判決の確定」という最悪の事態に追い込むことになった。
私の検察問題への関与を変えた“佐藤氏事件の衝撃”
佐藤氏の事件の衝撃は、その後の私の検察問題への関与の仕方を変えることになった。
私は、2006年に弁護士登録をしたものの、仕事の中心は、組織のコンプライアンスに関するもので、講演や不祥事対応、第三者調査等が中心だった。登録後の数年間は、裁判所に行ったことすらなかった。検察の在り方は、以前から厳しく批判していたが、検察の実務経験を持つ有識者としての、外側からの評論がほとんどだった。大阪地検の証拠改ざん問題等の検察不祥事からの信頼回復のために法務省に設置された「検察の在り方検討会議」に委員として加わったのも、その延長上だった。
しかし、佐藤氏の事件を知り、その巻き添えで逮捕された顧客会社の社長の控訴審の弁護を受任し(執行猶予とはならなかったが、懲役2年4月から2年に減刑)、私は、「やはり弁護人として法廷で検察と戦うべきだ」と強く思うようになった。実際の刑事裁判のフィールドで、検察官と真剣勝負をすることで、初めて、検察の在り方に具体的な影響を与え、佐藤氏のような人を出さないようにすることにも貢献できると考えた。
それ以降、弁護人として戦ってきた事件が、ブログでも紹介してきた「美濃加茂市長事件」「青梅談合事件」「国立循環器病研究センター事件」「福田多宏氏法人税法違反事件」などだ。そういう意味で、佐藤氏の事件は、私の「検察権力との戦い」の原動力になった事件だといえる。
これらの事件に共通するのが、「検察官が判断を誤り、処罰すべきではない人間を処罰する方向に暴走し、引き返すことができない構図」であった。
夢に向かって懸命の努力を続ける佐藤氏に立ちはだかる「不条理の壁」
佐藤氏は、私と最初に会った時に、「刑務所に入ることになっても、出てきて10年たったら法曹資格がとれると聞いています。私のような目に遭わされる人が出ないように、弁護士になりたい。」と話していた。その佐藤氏は、服役後、その夢に向かって、懸命の努力を続け、今年9月、司法試験合格という快挙を成し遂げた。経営コンサルタントの仕事を続けながら、予備試験を2回目で合格、1回の司法試験で、一気に最終合格にこぎつけた。
「“謂れなき刑事事件”で苦しめられる人を弁護人として救いたい」という思いが原動力となった佐藤氏の不屈の闘志と集中力が、どれほど凄まじいものであったか。
しかし、産経記事でも書かれているように、佐藤氏は、司法試験の超短期合格という快挙を成し遂げたにもかかわらず、「禁錮以上の刑を受けた」という欠格事由のため、実際に法曹資格を得るのは容易ではない。刑を受け終わって10年経過すると刑が消滅するので、佐藤氏の場合、あと5年余りで形式的には要件を充たすことになる。しかし、法曹資格取得のためには司法研修所に入所する必要があるが、その入所に関しては明確な規定がなく、裁量に委ねられている。佐藤氏が実際に入所できるのが何時になるかはわからない。法務省に、今後のことを聞き行った際、担当官から「悪知恵を付けてまた詐欺をやるのか」というようなことを言われたそうだ。産経記事のツイッターでのコメントにも、一部のそのような趣旨のものがある。
私自身も関わった「検察の在り方検討会議」等による検察改革で追い込まれた特捜部は、中小企業を倒産の危機から救う経営コンサルタントの佐藤氏を、「悪質コンサル」と誤認して逮捕し、引き返すこともなく起訴し、佐藤氏は実刑判決を受けて服役した。その経験から、「『普通の市民』に牙をむく特捜部から市民を守る弁護士になりたい」と願う佐藤氏は、懸命の努力の末、司法試験合格という快挙を遂げた。ところが、その忌まわしい「懲役前科」が、今も、佐藤氏の前に立ちはだかっている。
まさに「不条理の壁」そのものである。