2019年11月1日金曜日

ただじゃ済まない萩生田発言 ~ (日刊ゲンダイ)+

 文科省は予定していた大学入試における英語の民間試験について、来年4月からの実施を見送る方針を固めまし
 同省は、今の大学入試センター試験に代わって「大学入学共通テスト」を新たに実施することにて、英語の民間試験はの共通テストの柱の1つだったのですが、利用する大学から難易度の異なる試験を合否判定に使うことは難しいという指摘が相次いだ他に、高校や受験生からも受験料などの費用負担が大きいといった問題でクレームがついていました。
 そもそも採点結果の公平性が疑われるようなものは、試験科目としての根本要件を満たさないものですし、萩生田大臣の「身の丈にあわせて」という発言に至っては、受験の平等性を根本的に損なうもので、文科省の間違った見識を決定的にしました。
 当面見送るというのは当然のことですが、そののちに果たして十分に納得性のあるものが提示されるのかも大いに疑問です。
 
 日刊ゲンダイが「ただじゃ済まない萩生田発言 安倍政権を倒すのは受験生」とする記事を掲げ、問題の本質とその根深さに迫りました。
「日々雑感」氏のブログを併せて紹介します。
 
「学生混乱の英語民間試験で業者は“ボロ儲け”」を追加します。
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ただじゃ済まない萩生田発言 安倍政権を倒すのは受験生
 日刊ゲンダイ 2019/10/30
阿修羅文字起こし
 発言を撤回すれば「なかったこと」になると思っているのか。
 2020年度から始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間試験には批判が根強い。経済状況や住む地域によって受験機会に不公平が生じかねないからだ
 
 この懸念に対し、萩生田文科相は24日のBSフジの番組で「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』と言うのと同じ」と牽強付会に強弁し、「裕福な家庭の子どもが回数を受けてウオーミングアップできるというようなことがあるかもしれないが、自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで頑張ってもらえれば」などと発言した。
「身の丈に合わせて」という言葉には、侮蔑的なニュアンスを感じずにいられない。「身の程をわきまえて」「分相応に」――。そんな上から目線である。弱者を切り捨てる冷酷政権のホンネに怒りの炎は燃え広がる一方だ。
 
 経済格差による教育の格差を容認しているとの批判を受け、萩生田は28日、「不安や不快な思いを与える説明不足な発言だった」と謝罪。それでも批判はやまず、29日の閣議後会見で、改めて発言を撤回、謝罪したが、それも形だけだ。こう言っていた。
「どのような環境下にいる受験生においても、自分の力を最大限発揮できるよう自分の都合に合わせて、適切な機会を捉えて2回の試験を全力で頑張ってもらいたいとの思いで発言をしたものです。国民の皆さま、特に受験生の皆さんに不安や不快な思いを与えかねない説明不足の発言であったと考えておりまして、改めてこの場を借りておわび申し上げたいと思います」
 
貧しい家庭は教育を諦めろという暴論
 これのどこが謝罪なのか。「身の丈」を「自分の都合」と言い換えただけで、結局、経済格差や居住地による不公平を是正する気はまるでないことが分かる。撤回するのは発言よりも、問題だらけの英語民間試験の方だろう。
 それに、「不快な思い」と言うが、そういう感情論の問題ではない。教育基本法には「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」と書かれている。これは、憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と、同26条「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」を具現化したものだ。
 
「萩生田文科相の“身の丈発言”は、憲法の理念に反するだけでなく、若者の未来を奪う許しがたいものです。生まれた家が裕福ではなく、奨学金をもらって学費を工面した若者が、何百万円という借金を背負って社会に出ていく。それで正社員になれればまだいいが、安倍政権は非正規社員を増やし、大学を出ても困窮にあえぐ若者たちがいる。こういう現状があるのに、さらに入り口で貧しい人を切り捨てようというのです。本来は、そういう格差を是正するのが政治の役割なのに、教育行政が格差を是認し、加速させようとしている。軍事費にはカネをつぎ込むけれど、教育にはカネをかけたくないのが安倍政権のホンネで、貧しい人は教育を諦めろと言っているに等しい。親の力で自動的に将来が決まる封建的な社会を是認するようなものです」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)
 
格差を固定化し若者の夢を奪う政治でいいいのか 
 親の経済力による教育格差が歴然としてあるのは事実だ。幼少期からの塾通いなどで、難関大学ほど富裕層の子弟は多い。東京大学の「学生生活実態調査」によれば、東大生の親の62・7%が年収950万円以上だという。地方や離島に住んでいれば、試験を受けに行くのにも飛行機代や宿泊費がかかり、諦めざるを得ないこともある。
 
 だが、教育行政をつかさどる文科相が、それを是認するような発言をしてはダメだ。若者の夢を奪う政治ではいけない。
資源がなく、成長の伸びしろが見込めない国では、教育が唯一の資源と言ってもいい。それなのに、国民に格差の容認を迫り、富裕層の子弟だけが満足な教育を受けられる社会でいいと考えているような政権には国の実態が見えていないし、見る気もないのでしょう。安倍1強体制の長期政権が続いた歪みもあるし、これだけ世襲が増えると、支配層が格差の固定化に疑問を持たなくなってくる。周囲がみんな富裕層で、そのための政治をするようになってしまいます。叩き上げの苦労人を売りにしていた萩生田氏も、勝者の側に立つようになった。英語民間試験の導入にしても、教育関係の企業を儲けさせるためだとしか思えません。受験生や、その親のことはまったく考えていないのです」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
 
 身の丈に合わせた教育とは、格差の固定化に他ならない。安倍首相ら世襲政治家すべてがそうだとは言わないが、富裕層の子弟は裏口入学もでき、まともに授業を受けなくても卒業できる階級社会でいいのか。かつては「立身出世」という言葉もあったが、教育の機会均等をなくせば国力は下がる。貧乏人の子どもは高等教育を受ける必要はないというのであれば、安倍一味が憧憬する明治を通り越して、江戸時代の「士農工商」の世界である
 
連中の奴隷が私兵にされてしまう
 ジャーナリストの斎藤貴男氏も日刊ゲンダイ連載でこう断罪していた。
<警鐘を乱打し続けてきた優生学的教育制度の不安は、完全な現実となった。“グローバル人材”の育成と愛国心の涵養を両輪とする教育改革の狙いは自明だ。彼らにとって下々の人生など、ただ己に奉仕させる道具以上でも以下でもないのである><こんな手合いを放置していたら、権力に近くない家庭の子どもは、みんなあの連中の奴隷か私兵にされてしまう>
 
 萩生田発言に象徴される選民思想、エリート意識は、同じく謝罪に追い込まれた河野防衛相の発言にも見てとれる。28日夜に開かれた自らのパーティーで、「私はよく地元で“雨男”と言われました。私が防衛大臣になってから、すでに台風が3つ」と言い、会場の笑いを誘った。災害派遣にあたっている自衛隊員をねぎらう話の流れとはいえ、災害をネタにして笑いを取る必要がどこにあるのか。今なお苦しんでいる被災者がたくさんいるのに、あまりに無神経だ。被災状況を「まずまず」と言った二階幹事長と同じで、国民に寄り添う気持ちがまったく感じられない。
 そもそも、大臣規範で閣僚は政治資金パーティーの自粛が規定されている。
 よりによって防衛相が、列島が立て続けに災害に襲われ、甚大な被害が出ているタイミングで政治資金パーティーを開催している場合なのか。
 
「新自由主義に染まり、被災者に対しても自己責任を押し付けるのが安倍政権です。すべての分野で弱者を切り捨て、病人やLGBTは生産性が低いからと切り捨てにかかる。優生思想が浸透して、本来は弱者に回すべきカネを軍拡と大企業につぎ込んでいるのです。揚げ句に未来を担う子どもたちを育てるはずの教育行政にまで新自由主義を持ち込み、生まれながらの格差を拡大することもいとわない。その先には経済的徴兵制があるのでしょう。貧しい家の子は勉学などしなくていいから兵隊になって戦争に行けということです。萩生田氏の発言は、そういう安倍政権のホンネが有権者に垣間見えたわけで、若者に重いテーマを突きつけた。受験生とその保護者が立ち上がり、倒閣運動が広がる可能性が出てきました」(金子勝氏=前出)
 香港のように立ち上がらなければ、日本の若者たちにも未来はない。
 
 
共通テストを民間業者に任せるのは安倍自公政権の「利権創出」事業の一環か
日々雑感 2019/10/31
 
 2020年度から始まる大学入学共通テストで使われる英語民間試験をめぐり、
(中 略)文科省は、民間試験の活用を大学入試改革の目玉の一つと位置付け、20年度の実施を前提に成績提供システムの導入を進めてきた。一方で、民間試験をめぐっては、当初から受験生の住む地域や家庭の経済状況などによって、受験機会に格差が生じる問題などが指摘されてきた。
 そこで、文科省は、格差を減らす対策として、共通IDを使って大学に送ることができる成績を、高校3年の4~12月に受けた原則2回までに限ったり、低所得世帯の受験料減免を業者に求めたりしてきた。来年度予算の概算要求には、離島の受験生の交通費や宿泊費の一部を補助する支援策を盛り込んだ。
 だが、根本的な課題の解決には至らず、今年9月には全国高校長協会(全高長)が、20年度のシステム稼働を延期するよう文科省に要望。大学の関係者などからも反発が続いていた
以上「朝日新聞」より引用)
 
 共通テストの何が問題で民間テストの導入になったのか。そのために「身の丈にあった」受験をしなければならなくなる若者たちの苦悩はどうなるのだろうか。
 人生で大きな節目となる共通テストがそのような格差拡大を助長するものになることを国民は求めているのだろうか。そうではないだろう、より公正・公平な人生の節目を求めているはずだ。
 一度のテストでは運・不運があってはならない、ということから数度の試験結果で学力を判断しよう、というのが「改革」の動機だろうが、改革は必ずしも「より良くなる」ことではない。自公政権が長年やって来た「構造改革」を見れば明らかだろう。
 
 萩生田光一文部科学相は30日の衆院文部科学委員会で「基本的には円滑な実施に向けて全力で取り組む」と述べたようだが、円滑な実施と公平・公正な試験制度とはまた異なる。数度の民間業者が実施する試験がすべて「同程度の難易度」かを誰が判定するのか。すべての試験結果が同じでなければ、受けた民間試験の難易度によって運・不運が分かれるだろうし、民間業者によって問題の傾向が異なれば、受験生が振り分けられることが考えられる。
 民間試験業者はもとより商売だ。より多くの受験生を集めなければ赤字経営になりかねない。それとも文科省がすべての試験用紙を買い上げる形で民間業者の受験生獲得競争を抑止するのか。
 
 いや、文科省が共通テストを民間に委託する理由は何だったのだろうか。「延期になれば文科省の信頼は地に墜(お)ち、入試改革が困難になる」。文科省幹部は30日、延期論に危機感を募らせているようだが、入試改革が改悪ならば直ちに旧に復すべきだ。民間業者に委託しなければならない必然性がどれだけあるというのだろうか。それとも受験生の長期減少から経営難に陥っている予備校を助けるための自公政権特有の「業界支援」の一環なのだろうか
 
 受験は受験生を持つ親にとって経済負担は相当なものだ。それは昔から同じで、共通テスト以前の各大学が試験を行っていた当時でも、受験生は各大学に近くの宿泊施設に宿泊して二日ないし三日の受験に大学の試験会場へ通った。地方であればあるほど、大都市圏に集中する大学受験にかかる費用は大きくなった。「身の丈に合った受験」をすれば良い、という萩生田氏の言葉は「身の丈に合った受験」しか出来ない格差をいかにして縮小させるかという方向へ向かわない、という文科省の意志表明なのだろうか。そうだとすれば受験改革ではなく、受験改悪だ。一年近く、文科省は一体何をしていたのだろうか。
 
延期論浮上も…学生混乱の英語民間試験で業者は“ボロ儲け”
日刊ゲンダイ 2019/11/01
 来年4月から実施予定の英語民間試験が揺れに揺れている。
 「不透明」「不公正」「欠陥制度」などの批判を受け、延期の可能性が浮上。実施でも延期でも、この大混乱は現役高校生や保護者にとって迷惑千万な話だが、民間試験導入の背景には受験生をないがしろにした“儲け主義”がある。
(中 略)
 
■ベネッセや英検のメンバーが有識者会議に
 延期論に、試験を実施する民間業者も慌てているに違いない。民間試験導入は業者にとって“濡れ手で粟”だからだ。
 受験生は採用された7種類の民間試験のうち、高校3年時に受験した成績を2回分まで大学に提出できる。中でも、通信教育大手「ベネッセコーポレーション」の「ジーテック」と「日本英語検定協会」の「英検」に多くの受験者が集中するとみられている。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏はこう言う。
受験生は本番の試験に備えて回数をこなしたいはずです。試験の実施業者にとっては、受験に備える生徒に自社の参考書をアピールできるうえ、受験者の増加に伴い多額の受験料が入ってくるでしょう。相当なうまみがあると考えられます
 
 実際、民間試験導入のプロセスには業者による利益誘導のにおいがプンプンする。民間試験を巡り文科省の有識者会議の傘下に設置された協議会には、ベネッセの高校事業部GTEC事業推進課長や日本英語検定協会の制作部研究開発課主任らが名を連ねていたからだ。東大文学部教授の阿部公彦氏(英米文学)は昨年2月、民間試験導入の問題点について、本紙にこう指摘していた。
 <入試に外部の民間試験を導入するのか話し合う会議で、民間業者がこの案を推進するのは当然でしょう><一部の人たちが大学入試をビジネスチャンスと捉えていたということです>
 安倍政権は大学受験までカネ儲けのネタに差し出したのか。受験生が気の毒でならない