2019年11月9日土曜日

安保法制判決 司法は本質を直視せよ

 司法は何故 違憲立法審査を徹底的に忌避するのでしょうか。
 安全保障関連法は違憲で、施行により精神的苦痛を受けたとする訴訟に対して東京地裁が7日に下した判決は、またして「原告に損害賠償で保護すべき利益はない」として、門前払いするものでした。立証に不可欠な証人尋問も認めなかったことは、端から棄却ありきの考えだったからとしか思えません。
 「原告に損害賠償で保護すべき利益はない」という文言は勿論、「平和的生存権は具体的権利保障するものではない」の表現も、あるいは「具体的な危険が発生したとは認め難い」と言い立てるのも、いずれも理解に苦しむものばかりです。「合憲」と言えないものの、訴えを却下するために尤もらしいことを並べ立てたとしか思えません。それにしても到底納得できるものではありません。
 「原告の精神的苦痛は義憤ないし公憤。法的保護を与えられるべき利益でない」に至っては、もはや偏見・暴論の類で言葉を失います。判事とは実際に戦争が勃発するまでは危険性は皆無と思う人種なのでしょうか。

 東京新聞と北海道新聞の社説を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【社説】安保法制判決 司法は本質を直視せよ
東京新聞 2019年11月8日
 安全保障関連法は「違憲だ」とする集団訴訟で東京地裁は訴えを退けた。ただ合憲とも言わず憲法判断を避けたのは、問題の本質を直視しない表れではないか。司法の消極主義は極めて残念だ。
 ピストルの例え話をしよう。銃弾が発射され、標的の人に向かって飛んでいる。それを超スローモーションで見たら…。確かに銃弾は空中にあるので、その時点では人には何ら被害は起きていない。しかし、危険は刻一刻と迫り、いずれは人に命中する

 二〇一四年に政府は従来の解釈を一転させ、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。それに基づき安保法制がつくられ、一六年に施行された。事実上の解釈改憲であり、大多数の憲法学者から当時、「違憲」「違憲の疑い」と指摘された。
 安保法制は野党や国民からも「戦争法案」と呼ばれ、「戦争ができる国」へと変質しているとの声が上がった。元内閣法制局長官は別の裁判所で「丸ごと違憲」と証言している。
 確かにかつての「専守防衛」の枠から逸脱する防衛力が装備されつつある。自衛隊の任務も変わりつつある。
 例えば海上自衛隊の護衛艦「いずも」は事実上の空母に改修され、F35B戦闘機が搭載予定だからだ。これは憲法九条下で保有できないとされてきた攻撃型空母の機能を果たしうる。

 防衛費も二〇年度の概算要求は約五兆三千二百億円と過去最大規模に膨らむ。軍事大国化はもはや懸念の域を超えつつある。中東で米国が求める有志連合には加わらないが、自衛隊がいずれ中東地域に派遣され、近くの米軍艦船が攻撃されたら、自衛隊は紛争に巻き込まれる恐れはないか。交戦状態にならないか。閣議決定以来、なし崩し的に事は進み始めている。

 全国二十二の地裁で起こされた訴訟だ。東京の原告は実に約千五百五十人。みんなが迫りくる“ピストルの弾”という危険におびえている。札幌地裁に続き、今回も判決は「原告の精神的苦痛は義憤ないし公憤。法的保護を与えられるべき利益でない」と一蹴した。だが、この訴訟の本質は、安保法制に対する憲法判断を迫ったものだ。
 それに応答しない判決は肩透かし同然である。ならば「合憲」と言えるのか。違憲なら止めねばならぬ。その役目は今、司法府が負っている。裁判官にはその自覚を持ってもらいたい。


社説 安保法制判決 憲法判断回避は無責任
北海道新聞 2019/11/08
 集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は憲法に違反するものだとして、約1500人が国に損害賠償を求めた集団訴訟の判決で、東京地裁はきのう原告の請求を退けた。
 全国22地裁・支部で提訴された同種の集団訴訟のうち2件目の判決で、今年4月の札幌地裁判決に続く原告側敗訴となった。
 原告は、安保関連法施行で平和的に生きる権利を侵害されたと主張したが、判決は法的保護を与えられる利益とはいえないと判断。憲法判断をすべき理由がないとして請求を棄却した。
 行政や立法府が憲法を守らない場合、司法はそれを是正する役割を担う。最高裁が最終的権限を有する違憲立法審査権は、そのためにある。
 立証に不可欠な証人尋問も認めなかった東京地裁の判決は、門前払いに等しい。これでは憲法を巡る審理の深まりは期待できない。

 安保関連法を巡っては、「日本を取り巻く安全保障環境の変化」という薄弱な根拠で、憲法9条を実質的に骨抜きにする憲法解釈の変更を行った
 極めて違憲性が強く、廃止するのが筋だ。
 三権分立の根幹が問われる重要な局面で憲法判断を回避した東京地裁の判決は、司法の責任の放棄と言わざるを得ない

 東京地裁判決は、安保関連法の施行で、日本が反撃されたり、テロの対象となったりする危険が増したという原告の主張について、具体的な危険が発生したとは認めがたいとして退けた。
 憲法判断は、具体的な権利の侵害が審理の対象となるとされ、抽象的な訴えでは中身の検討に入らないことが多い。
 しかしながら、「戦争は繰り返したくない」という空襲体験者やテロ攻撃などの巻き添えを恐れる米軍基地周辺住民の不安は、果たして具体性を欠いた訴えだっただろうか。
 高度に政治的問題は司法審査になじまないとして、憲法判断を避ける「統治行為論」も影響したとみられる。
 前橋地裁や横浜地裁の訴訟で証人尋問に臨んだ宮崎礼壹元内閣法制局長官は、安保関連法について「長年の政府解釈や国会議論に反しており、違憲だ」と述べた。
 その事実だけでも憲法判断を行う理由になるのではないか。
 立憲主義が問われている今こそ、司法が憲法判断と向き合うべきだ。