「レイバーネット日本」が毎週木曜日に掲載する書評欄〔週刊 本の発見〕に、宇沢弘文の「人間の経済」が取り上げられました。
小泉(竹中)政権時代に大々的に導入されたミルトン・フリードマンの新自由主義(市場原理主義)に対して、シカゴ大学でフリードマンと同僚だった宇沢教授はそれを「偽物」であると批判しました。
宇沢氏はいずれはノーベル賞に輝くだろうと多くの人が期待しましたが、惜しくも2011年3月東日本大震災のさなかに倒れ、2014年に他界しました。
志真秀弘氏の書評を紹介します。
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〔週刊 本の発見〕 宇沢弘文『人間の経済』 評者:志真秀弘
ひたすらな探究心をなにが支えたか?
『人間の経済』(宇沢弘文、新潮新書、720円、2017年4月刊)
レイバーネット日本 2019-11-21
本書は2009年から2010年にかけて行われた宇沢弘文による講演やインタビューをまとめたもの。2008年9月に起きたリーマン・ショック後の経済社会の混迷を解き明かすことを目的に編集されていたが、かれは2011年3月東日本大震災のさなかに倒れ、2014年に他界してしまう。2017年に刊行されたこの本は文字どおりラスト・メッセージになった。それだけにかれの経済思想の根幹「社会的共通資本」の考えがうまれる道筋がわかりやすく描かれている。
社会的共通資本とは何か? 宇沢によると
①大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、
②道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、
③教育、医療、司法、金融制度などの制度資本
が社会的共通資本の重要な構成要素である。これらを安定して運営することで豊かな社会の発展がえられ人間の自由と尊厳が保障される。それはソ連社会主義の崩壊、グローバル資本主義の矛盾の進行などを見据えて考え抜かれたいわば第三の道ともいえる。
宇沢はリーマン・ショック以後の世界の混迷ははかり知れず、80年前の恐慌の比ではない。パックス・アメリカーナという一(いち)時代の「終わりの始まり」とみる。これを牽引したのはミルトン・フリードマンの市場原理主義にほかならない。シカゴ大学で宇沢の同僚でもあったフリードマンの主張を、宇沢は金(かね)がすべての「似非経済学」と喝破する。この新自由主義に対するデヴィッド・ハーヴェイの批判を宇沢は評価する。ハーヴェイはマルクス主義者だからというような狭い了見と宇沢は無縁だ。ケインズ=ベヴァリッジにはじまる近代経済学に学ぶことから出発して、しかし、そこに閉じこもらないで、宇沢はさらにみずからの考えを創り上げる。
そこには1966年のシカゴ大学事件も関わっていた。ヴェトナム反戦運動のメッカになったシカゴ大で、成績を徴兵委員会に送るなと要求して学生たちが大学本部を占拠する。成績にかこつけてまず活動家たちから先に前線に送ろうとする政府に反対する行動だった。当時シカゴ大教授だった宇沢は、成績をつけないことを提案し、それが通り占拠は解かれる。が、いくつもの傷が宇沢にものこる。かれとともに調停作業をした助教授の一人は、懲役10年の刑に服する。かれは、のちに宇沢に会い「ノーム・チョムスキーはえらい。54回も逮捕されている。わたしは1回だけだ」と語ったという。
これらのエピソードは宇沢が信義と友情にあつい人であることを物語るだけではない。数学者育ちの思考力と合わせて、かれにはいのちを、人間を、人の心をこそ大切にする宗教心がある。ケインズは、支配者側の心のままだったが、石橋湛山には「仏の心」があったと終章に書かれている。この「仏の心」はほかならぬ宇沢のものでもあって、宗教心も宇沢の経済学への道を貫くものと思えてならない。
かれが数学者の道から経済学研究に転向する契機は、河上肇の『貧乏物語』を読んだこと。万人の生活を良くする道を探究しようとして宇沢は経済学を選んだが、かれにも河上肇と共通する実践的求道者の魂が脈うっていたのだろう。水俣をはじめとする反公害闘争、成田闘争などとの深い関わりからも宇沢の経済思想は生まれた。この本はかれという人間を知る最良の手引きでもある。