2019年11月24日日曜日

平気で嘘をつく安倍首相 それは驕りではなく・・・(日刊ゲンダイ)

 「ウソは泥棒の始まり」といわれ忌むべきものとされてきました。「あの人はウソ吐(つ)き」というのは勿論「あの人を信用してはいけない」という警告で、普通そう言われてしまえばその人は社会的に「お終い」の烙印を押されたことを意味しました。
 元文科省事務次官の前川喜平氏は、先の参院選で「偽造、捏造、安倍シンゾー」という卓抜した標語を考案しました。それは辛辣ではあるものの、さすがに身に備わった品位を持っていました。

 われわれが以前から聞かされていたものは「息をするようにウソを吐く」というもので身も蓋もないものでした。
 昨年一年間、「モリカケ」問題で見せつけられた安倍氏のウソ・デタラメの数々は、まさに身も蓋もないものでしたが、今年また、「桜を見る会」にまつわる安倍氏(とサポーターの菅氏)のウソ・ゴマカシをこれでもかと見せつけられました。
 この問題は「モリカケ」問題に比べると遥かに真相を直感的に理解できるものなので、その分ウソ・ゴマカシが手に取る様に分かります。

 日刊ゲンダイが「平気で嘘をつく安倍首相 驕りではなくイカれているのだ」という、これ以上はない辛辣な記事を出しました。「いい加減にして欲しい」がリアルに感じられるものです。

 ところで安倍氏は政治家になってからウソつきになったとの理解があるようですが、それは根本的に間違っています。
 安倍首相は子どもころからウソつきで、ウソがバレても常に開き直って決して「ウソ」だと認めませんでした。それは養育係の久保ウメ氏が述懐しているところです。

 夏休みの最終日、晋三氏の兄は宿題の日記ができていないと涙顔になっていたが、当人は「宿題みんな済んだね?」と聞かれると全くできていないのに平然と「うん、済んだ」と答えていました。当然学校ではバレて、罰として1週間でノート1冊を埋めて提出するよう宿題が出るのですが、それでも彼は自分ではやらないので、ウメ氏と母親の洋子氏が代りに(筆跡がバレないように)左手で宿題を仕上げることを繰り返したということです。

 その結果ウソを吐くことに全く罪悪感を持たない人間として成人したのでした。当然自己愛の強い、自己防衛本能に長けた「自己中」の人間になる筈です。あとは推して知るべしです。

追記)親から事実上放任されて成長した人間が陥る可能性のある欠陥については、下記の記事が参考になります。そこでは何故か固有名詞が出ていますが、当然一般論で語られるべき普遍性のあることです。

お知らせ
都合により25日と27日は記事の更新ができません。
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平気で嘘をつく安倍首相 驕りではなくイカれているのだ
日刊ゲンダイ 2019/11/23
「もっと国会で議論すべき大事なことがあるだろう」
「国家予算から見れば5000万円程度の事業で大騒ぎする話じゃない」

 安倍首相主催の「桜を見る会」をめぐり、野党が政権を追及し続け、それをメディアが報じることに対して批判があるが、お門違いだ。
「桜を見る会」疑惑は嘘とペテンにまみれた安倍政権の本質を表す問題である。安倍晋三という政治家が総理大臣としていかにふさわしくないかを見せつけた、これほど分かりやすい事象はない。単なる「長期政権の驕り」ではなく、平気で嘘をつく、イカれた男が首相をやっている、というすべての国民にとっての大問題なのである。

 今月8日の参院予算委員会で安倍が「招待者の取りまとめには関与していない」と答弁してから2週間。次から次へと矛盾が露呈し、安倍本人も官邸も霞が関もボロボロだ。安倍は20日の参院本会議で、事務所が「花見ツアー」への参加を地元支援者に広く募っていたこと、自身も推薦者について事務所に意見を言っていたことを、認めざるを得なくなった。
 当初「関与していない」と言い切った神経には呆れるが、「虚偽答弁だ」と突っ込まれると、「最終的な取りまとめには関与していない」と詭弁を弄して言い逃れ。訂正しても非を認めない感覚は常人の想像を超えている。

■国民をナメている
 菅官房長官もメチャクチャだ。招待者に安倍昭恵夫人の推薦枠があった一件で、発言が二転三転。20日の衆院内閣委員会で、「昭恵夫人の招待枠もあるのか」という質問に、「ありません」と答えたのだが、同じ委員会で内閣官房の役人は「安倍事務所において参加者を募るプロセスで、夫人からのご推薦もあった」と、菅とは異なる答弁。すると菅は「夫人は(事務所の)推薦作業には関与していない」とお茶を濁していた。

 安倍後援会が主催した「前夜祭」の夕食会に関する疑惑でも菅はトンデモ発言。後援会が収支に関与しない「会費制」の場合、首相夫妻が会費未払いなら法律違反になる恐れがある、と21日の記者会見で指摘されると、「首相も夫人も食事をしていない」と屁理屈をこね、開き直ったのだった。
 招待者名簿の廃棄についての内閣府官僚の「シュレッダー」答弁に至っては噴飯モノだ。共産党議員の資料要求と廃棄日が同日だったことで証拠隠滅が疑われると、「シュレッダーの順番待ち」で廃棄が遅れ、たまたま同じ日に重なったと説明。電子データも同日に廃棄しているからシュレッダー答弁は言い訳にすらならないし、シュレッダーが高性能すぎて順番待ちになどならないことはちょっと調べれば、すぐバレる。

 それでも、政府見解を崩さないためにはキテレツ答弁を繰り出すしかない官僚の苦しさ。異常異様としか言いようがない。
 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)がこう言う。
不都合なことが起きると毎度、嘘で取り繕う。安倍政権は国民に対しナメてかかっています。『桜を見る会』の問題は安倍首相が公金を使って、自身の関係者に利益供与したこと。どんな言い訳をしようが、公的行事を私物化した事実から逃れられません。『国会ではもっと議論すべきことがある』という批判もナンセンスです。政治倫理の問題であり、公職選挙法(有権者の買収)という法律の問題でもある。当然、国会で議論すべき疑惑です」

自己愛と自己防衛を優先、羞恥心がない
 森友問題でもそうだったが、「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」なんて嘘をつくから、閣僚も官僚も安倍を守るため、発言との整合性を取ろうとして、どんどんデタラメになる。その結果、起きたのが公文書改ざんや近畿財務局職員の自殺だった。だが、これほどのことがあっても、安倍には全く反省がない

 国会ですぐバレる嘘をつける首相。その嘘に周囲を従わせ、ツジツマ合わせを強いる首相。それがあからさまになっても恥じない首相――。オツムの検査が必要なのではないか、と心配になるが、精神科医の和田秀樹氏はかつて本紙のインタビューでこう言っていた。
〈普通の家庭に育てば、「ウソをついてはいけない」と親から教えられる。安倍首相の場合は、「ウソをついてでも権力を維持することが大事だ。どうせ大衆はすぐに忘れる」と家庭で教えられてきたんじゃないでしょうか。そうでないと、あそこまで堂々とその場しのぎのウソや言い逃れを連発することはできません。良心や羞恥心の問題ですが、安倍首相にはそれがないのだと思います〉

 恥の感覚がないのは、家庭や育ちの問題なのか。安倍の生い立ちを取材し、その人物像についての著書も出版している政治評論家の野上忠興氏はこう話す。
「安倍晋三研究で50人近い人に会って感じたのは、多感な時期に両親が選挙のため不在で、それが安倍さんの人間形成に大きく影響したのではないかということです。養育係だったウメさんが『宿題を“やったよ”というからノートを見ると真っ白だった』と言ったのが象徴的で、平然と嘘をつく。もっとも、普通は成長とともに『嘘をついてはいけない』ということを学ぶものですが、『自己愛』が強く、『自己防衛』が全てに優先される安倍さんは、そのまま大人になってしまった。その場しのぎのいい加減な答弁を繰り返すのも、恥ずかしいという気持ちより、自分を正当化することの方が大事だからです。安倍さんに付ける薬はありません」

■国会の冒涜を許してはいけない
 何度も何度も見せつけられる嘘に国民も一種の麻痺状態に陥らされるが、元参院議員の平野貞夫氏は、「国会の冒涜を絶対に許してはいけない」と苦言を呈する。国会の冒涜とは、つまり国民に対する冒涜である。平野氏はこう続ける。
「『桜を見る会』の問題には、公職選挙法や政治資金規正法など精査していけばいくつもの違反がありますが、それ以上に重大なのは、安倍首相の度重なる虚言によって、議会の秩序が破壊されていることです。本来なら、衆院議長が職権で『懲罰』を要請するような問題なのです。議長が動かないなら野党は懲罰動議を出し、それが本会議に上程されないようなら、審議を止めてでも、国民に議会のありようを示すべきだと思います」

 映画監督の三谷幸喜の最新作「記憶にございません!」は、中井貴一扮する首相が記憶喪失になったことで、過去に約束していた利権やしがらみから解放され、国民のために働く善良な首相に生まれ変わるというストーリーだ。
 記憶をなくした首相が勝手なことをするため、それまで首相を操っていた邪悪な官房長官が慌てふためく様子などが笑いを誘う喜劇だったが、フィクションだから笑っていられるものの、現実の首相が「記憶にございません」さながら嘘をつきまくるのは悲劇でしかない。イカれた首相には、一日でも早く退場いただくしかない。