2019年11月20日水曜日

「沢尻エリカ逮捕劇」は安倍後援会疑惑から逃げる煙幕術(世に倦む日々)

 安倍政権になってから、政権がピンチに陥るたびに覚せい剤絡みで有名芸能人を逮捕することで世間の注目をそらして窮地を脱して来ました。そうしないでメディアに延々と政権のデタラメぶりを取り上げられていては持たないからです。

 今回の「沢尻エリカ逮捕事件」もまさに「桜を見る会前夜祭の会計」に関する件で「安倍晋三後援会」がピンチに陥っているタイミングで起こされました(覚せい剤絡みの事案は逮捕のタイミングを自由に設定できるという特性があります)。
 「世に倦む日々」氏が総括的にこの問題を取り上げました。
 同氏は、嘗てはこの種の主張は安倍応援団から「陰謀論」として片付けられる傾向があったものの、今回の沢尻エリカ逮捕劇」明白さによって「われわれは陰謀論のレッテルの呪縛から解放され、想像力の自由を手にした」としています。
 以下に紹介します。
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沢尻エリカ逮捕のスピン工作 - 疑惑から逃げる安倍晋三の煙幕術
世に倦む日々  2019-11-18
沢尻エリカが薬物所持で逮捕された件は、明らかに衆目を眩ますためのスピン工作だ。安倍晋三の指示によるものであり、「桜を見る会」の疑惑から国民の関心を逸らせるための国策捜査である。この事件が発生しなければ、今週のワイドショーは月曜から安倍晋三の疑惑一色となり、批判と糾弾の世論が盛り上がっていた。夜のテレビ報道も、自ずから「桜を見る会」にフォーカスせざるを得ず、野党が要求する集中審議の開催へ圧力が強まる進行になっただろう。国民の注目は、野党追及チームとニューオータニの動向に集まっていた。沢尻エリカ逮捕の一撃が突然入ったことで、水を差された形になり、「桜を見る会」の報道量は縮小せざるを得ない。安倍晋三側は、沢尻エリカの薬物犯罪の情報を小出しにリークし、今週のワイドショーを埋め、時間稼ぎをして、「桜を見る会」の疑惑を揉み消す思惑だろう。

ラサール石井が16日に発した疑念と推察は当を得ている。安倍晋三の政治を正しく分析した妥当な認識だ。いつでも逮捕できる予定者リストが準備されていて、安倍晋三が窮地に陥ったとき、刑事ローンチして醜聞騒動をハプンさせるのである。マスコミ報道から安倍晋三に都合の悪いニュースを消す。衝撃で煙幕を張る。この安倍晋三の謀略手法は以前から指摘されていたが、今回ほど露骨に、見え見えに行われた事例は過去にない。高校生ほどの常識があれば、この件を権力によるスピン工作として疑わない者はいないだろう。安倍晋三のこの手口は、清原和博が逮捕された2016年3月のときも指摘され、このときは甘利明の口利き疑惑が沸騰して頂点に達した状況だった。昨年末から新年にかけてのゴーン逮捕とリーク報道も、明らかにスピン工作のオペレーションで、これは移民法(入管法改正)から国民の目を逸らせるためのものだった。

おそらく、安倍晋三は、先週半ばの時点で、このスピン工作の手で逃げる方策を決断し、側近のJ-CIA長官の北村滋と相談していたのだろう。北村滋と中村格(現警察庁長官官房長)は、安倍政権のボディガードであり、こうした非常事態を乗り切る役目の危機管理対策官だから、刑事ローンチ発進のリストを常にアップデートしている。週刊誌等に薬物疑惑が示唆されている芸能人の名前は、当局からリストがリークされているもので、つまり監視状態にあって、証拠もすでに押さえられ済みで、いつでも逮捕できる予備軍だということを意味する。沢尻エリカも大物の一人として上がっていた。今回の標的を選んだのは安倍晋三だろう。インパクトが大きく都合がいい。沢尻エリカをこの時点で検挙すると、来年の大河ドラマが吹っ飛ぶ可能性があり、NHKの経営リスクは大変なものだ。下っ端の警察官僚の判断で、こんな大捕物をこの局面で実行できるはずがない

逮捕前日(15日)の夜、TBSが自宅前で沢尻エリカを張り込んでいて、午後9時45分に映像を撮っている。警察から指示があったからで、国策捜査プロジェクトの一環だったことが窺える。この時点で逮捕が決まっていた。麻取(厚労省)の捜査では、ここまであからさまな逮捕劇の見せ物はやらない。トップダウンの国策捜査だから、警察庁組織犯罪対策部の出番だった。始めに逮捕ありきで全体が動き、罠に嵌まった獲物の始終をテレビで見せた。TBSの後は週刊文春の映像が流され、渋谷のクラブ店内で遊ぶ沢尻エリカの様子が隠し撮りされていた。週刊文春にも警察から手配が回っていて、撮影要員を店に潜入させていたのである。北村滋・中村格の指揮で、大がかりな国家権力プロジェクトが動いていた形跡は明瞭だ。MDMAのカプセルが発見されたのも、密告者が事前に教えていたからだと考えられ、警察側が万全を期して捕り物を決行していた事情が伝わる。

安倍政権によるスピン工作を疑う声は、ラサール石井だけでなく、金子勝、室井佑月、松尾貴史など著名文化人から次々と上がり、それらの発言が大量にリベラル系Twで拡散され、大きな渦となって16日夜のネット世論を覆う展開となる。それに対して、堀江貴文や百田尚樹や有本香ら右翼が脊髄反射で反撃し、「陰謀論」のレッテルを貼って罵倒するというバトルに発展、翌日のスポーツ紙のネタとして拾われる顛末となった。この種の問題で、スピン工作だ陰謀論だという衝突がこれほど大きな規模で発生し、ネットの言論空間を揺らしたのは初めての事態ではないか。右翼側の罵詈雑言の嵐はいつもの生理反応だが、多少とも言論の社会的責任のあるリベラル系文化人が、ここまで踏み込んで安倍晋三による権力工作の所在を確信し、断言し、謀略の因果関係を喝破したのは、これまで例のないことだ。それほど今回のスピン工作は明白で、タイミング的にも疑う余地のない、決定的な性格のものだったと言える。

敢えて言えば、今回の沢尻エリカ逮捕の一件は、スピン工作という言葉からネガティブな要素を払拭し、政治言論の世界での市民権を与えたと言えるかもしれない。現実に権力者がスピン工作の政治行為を行うことが可視化され、市民の間で周知され、スピン工作の用語が一般的な概念として成立した瞬間と言えるのではないか。すでに、クリントンがモニカ・ルインスキーとの醜聞のダメージを極小化するため、アフガン攻撃を敢行した謀略の事実は世界の常識となっている。米国政治の場合、スピン工作の典型例がこの事件だとすれば、日本の場合は、今回の沢尻エリカ逮捕が具体例として説明されることになるだろう。その意味で、今回の件は政治学的な出来事だ。そして、スピン工作の語が市民権を得たということは、この言葉にネガティブな偏見を塗り込んでいたところの、「陰謀論」の語が相対化されたことを意味する。「陰謀論」という語を吐きつければ、それで相手を論破し打倒した気分になれるという、そういう関係性と効能が失われた。

嘗ては、「陰謀論」の語は、政治の武器として水戸黄門の印籠の威力を持っていた。権力によるスピン工作を疑う思考や認識は、「陰謀論」の一語で迎撃され回収されるのが常であり、したがってレッテル攻撃を恐れて躊躇しがちな、言いたくてもなかなか言い出せない、勇気を必要とする言論行動だった。だが、今回の安倍晋三による沢尻エリカ逮捕のスピン工作により、言わばそれを奇貨として、われわれは「陰謀論」のレッテルの呪縛から解放され、想像力の自由を手にしたと言えよう。マルクスは言った。Doubt everythingすべてを疑えと。