2021年10月21日木曜日

日本経済をここまで衰退させた財務官僚に反省はないのか(世に倦む日々)

 矢野財務事務次官が「文芸春秋」11月号に発表した「バラマキ」批判の問題が話題になっていて、いまやTV各局や朝日新聞などは、コロナ禍から国民生活と日本経済を立て直すために、給付金を手厚く支給しようとか、消費税を減税しようとする各党の公約に対して、それはバラマキだと貶め、財政健全化の意識が欠落していると糾弾する論調になっているということです。

 財政規律は本来は必要でしょうが、財政赤字は米国の要求に従うなどの政府による放漫経営によって生れたものなので、いまさら財政規律を盾に国民への給付を攻撃するのは的外れです。
 「世に倦む日々」氏は、「バラマキ」問題について最も正しい反論をしたのは共産党の小池晃で、むしろこれまで資本の側に一方的にバラマキが行われてきた」ことを暴露したと述べました。巨額な円を動員して行ったアベノミクスや、安倍氏による海外向け60兆円と言われるバラマキはその典型ですが、もっと長期的に見れば、消費税が創設されたこの31年間の消費税収397兆円に対して、同時期に行われた法人3税の税収の減税分は298兆円で、それに所得税の減税分を合せるとほぼ消費税収匹敵することこそ、資本の側に一方的にバラマキが行われてきたとされる所以です(所得税の減税は富裕層に手厚い)。
     ⇒19.10.11)消費税「10%」で起こる消費者購買行動の“根本的変化”
 その結果招来されたのは多くの国民の貧困化でした。日本経済は大いに衰退しました。
 矢野次官の主張には、極右の高市政調会長が「円建ての国債で国が破綻することはあり得ない」と激怒したということですが、この期に及んで自民党や財務省あるいはメディアが財政規律を強調する欺瞞は許されません。
 記事中に日銀保有国債の永久国債化」という言葉が出てきますが、それは「利払いだけを続け元本は償還しない国債」という意味で、海外には実施例もあるので当然検討されるべき事柄です。

 記事は「資本側は、政府が国民に再分配するものをバラマキと呼貶めて無価値化するが、われわれは、政府が資本に供与するものをバラマキと呼ぶ。言葉の意味づけの立場が違うこの思想闘争に勝たねばならない」と結んでいます
 関連記事
 10月17日)財務次官の「国家破綻」論は過去の財政破綻否定論と整合しない
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本経済をここまで衰退・荒廃させた責任者である財務官僚に反省はないのか
                         世に倦む日々 2021-10-19
選挙戦での各党間の論戦と並行して、財務事務次官の矢野康治が月刊誌に発表した「バラマキ」批判の問題が議論になっている。麻生太郎の了承の元で上げたらしく、麻生太郎の代弁を寄稿した内容だ。テレビ各局の報道番組はどれも矢野康治の肩を持つ姿勢で選挙報道に臨んでいて、大越健介がそうであり、反町理もそうであるコロナ禍から国民生活と日本経済を立て直すために、給付金を手厚く支給しようとか、消費税を減税しようとする各党の公約に対して、それはバラマキだと貶め、財政健全化の意識が欠落していると糾弾している。20年ほど前から、日本のマスコミはその論調で固まった。霞ヶ関もその態度で固まった。弱者国民を救済する経済政策にはバラマキのレッテルが貼られ、邪悪なものとして断罪される。「国民に耳の痛い話をする」ことが王道で正論とされ、負担を上げて社会保障を切り下げる政策の提唱と推進をマスコミは政治家に求めてきた。朝日新聞が率先してその意見を繰り返し、マスコミの常識として染みついている。それが新自由主義の政策であるという認識はマスコミには皆無だ。

できれば、マスコミと霞ヶ関の標準プロトコルである「バラマキ」言説は、今回でピリオドを打つ政治の幕にしたいと思う。「バラマキ」とは分配の問題である。「バラマキ」とは再分配を拒否する側のイデオロギー工作のフレーズであり、狡猾な観念操作の刷り込みである。必要で正当な政策を邪悪化し矮小化する言説だ。そこには、国民の税金を集めた国家予算を、教育や社会保障など国民多数の福利のために使うことを原理的に否定する思想が孕まれていて、いわば特権階級が国の予算を専有し私物化することを正当化する動機と意図がある。今回の「バラマキ」問題について最も正しい反論をしたのは共産党の小池晃で、むしろこれまで資本の側に一方的にバラマキが行われてきたという暴露である。そのとおりだ。小泉構造改革もそうだったが、アベノミクスの政策内容もまた、相次ぐ法人税引き下げを始めとして資本の側へのバラマキ一辺倒の嵐だった。内閣官房HPにアベノミクス成長戦略の資料の8年分があるので確認をいただきたいが、企業へのバラマキと、労働者の人件費を切り下げるための労働法制改悪の羅列と推進だったことが分かる。

この機会に、あらためて国の予算がどのように編成されてきたかを洗い直す必要があるが、竹中平蔵や安倍晋三が行ってきた手口は、省庁から上がる概算要求にシーリング⇒上限を嵌め、それを義務的経費として一律に10%削減を要求し、浮かせた分を戦略的投資として勝手に官邸で大盤振る舞いで使っていた。その構造と慣習に着目する必要がある。戦略的投資は安倍政権では経産省(今井尚哉)が牛耳っていて、毎年の骨太の方針で「成長戦略」の目玉事項として位置づけられていた。8年間の具体的な詳細は省くが、結果を言えば、経済成長の実となるものは一つもなく、日本のGDPを増やす効果を得たものはなかった。経産省の趣味と酒池肉林と、新自由主義者(特に外国人投資家)のグリード⇒意地汚いなたかりと満足と、日本の古い大企業の経営の持ち支えだけである。18日のプライムニュースで西田昌司が、アベノミクスの「財政出動」は全く貧相で、中身的には潰れかかりの日本の大企業(メーカーを指すらしい)の赤字補填の意味しかなかったと過激な指摘をしていた。まるで野党の発言だが当たっている。

10%削減のシーリングが何をもたらしたかは誰もが知るとおりで、例えば大学の研究費削減であり、日本の科学の基礎研究の荒廃と衰退であり、人材の未育成であり、産業競争力の劣化である。ずっと言われながら、立花隆などに批判されながら、改めることなく、毎年毎年削りまくってここまで来た。国立大学の研究室に配る金を削り、理工系の基礎研究を潰しながら、沖縄科学技術大学院大学みたいな技系官僚の道楽アカデミー(総額220億円)を作り、外国人を集めて虚飾のバラマキをやっている。あのようなネオリベ・アカデミーで真の研究成果が出ることはない。西田昌司は私と同じことを言っていて、アベノミクスの第2の矢は最初の19兆円の財政出動だけで終わったと批判し、10年間で200兆円規模の大型公共投資をやるべきだったと憤っていた。そのとおりだが、できれば14年に消費税を5%から8%に引き上げたこと、19年に消費税を10%に引き上げたことにも触れてもらいたかった。この二つでどれほど景気を腰折れさせ、デフレの病弊を深刻化させたことか。アベノミクスの財政政策は、国民からすれば緊縮財政そのもので、財政のマイナス出動(収奪)以外の意味はなかった。

傲慢に「バラマキ」批判をする矢野康治に言わなくてはいけないのは、ここまで日本経済をだめにした張本人は誰なのかということだ。日本経済全体の舵取りをしている責任者は誰なのか。マクロ経済の司令塔は誰なのか。予算の原案を組んでいるのは誰なのか。国民の富である税の分配を決めるのは誰なのか。エレクトロニクス、半導体、、競争力のあった産業をここまで壊滅させ、製造業の正規労働者を非製造業の非正規労働者に変えたのは誰なのか。外資が儲けるためだけにに政策を総動員し、国民経済をボロボロにし、プロレタリアとシャッター街だらけの日本にしたのは誰なのか。実務を担っているのは財務省ではないか。なぜ、日本のGDPを1000兆円にする計画を考えないのか。他の先進国と同じように、25年前の2倍3倍の経済規模にすることを構想しないのか。若者全員に夢と希望を与える経済政策を案出しないのか。経済が徐々に膨らむ将来を国民に確信させる政策を出さないのか。なぜ、収奪することばかり考え、負担を受け入れさせることばかりに必死なのか。なぜ国民をどんどん貧乏にしたいのか。どこの国の財務省なのだ。

18日のプライムニュースの西田昌司と大塚耕平の話を聞きながら、13年前に書いた「ドリームジャンボな大型給付金の試論」を思い出した。200兆円の大型給付金を出せと提案している。この革命的な景気対策により、15年後に所得倍増させると説いた。あらためて、この策は正鵠を射ていたと確信する。西田昌司は、200兆円の公共投資を10年間でやるべしと言っている。古典的なケインズ政策である。悪くはないが、これを自民党政権が執行すると必ず中抜きで投下資金が真空に消え、銀座の下水道に回収される始末になるだろう。東京五輪の計画と事業のようになるはずだ。それよりは実際に直接に国民の懐に入れる方がずっとよく、その経路の方が個人消費を回して弾ませる波及効果が高い。今でも有効な経済政策であり、実行する価値のあるシンプルで大胆な分配策のアイディアである。この記事を書いたとき、国の借金は857兆円だった。私はこう書いている。「日本の財政赤字は官僚が作り出したものであり、官僚が天下りと無駄遣いのシステムを維持する限りは財政赤字は膨らみ続ける。857兆円の赤字はすぐに1000兆円を超え、1100兆円を超える」。

今、国の借金は1200兆円になっている。コロナ対策の手当の必要もあり、臨時の支出増で借金がさらに膨らむのは間違いない。大塚耕平の日銀保有国債の永久国債化300兆円の案を聞きながら、それをやるなら、この200兆円の大型給付金を同時設定してもらいたいと思った。実行するなら、アベノミクスの演出を模倣して、柱を複数本立てる政策構成を打ち出すべきで、その方が後ろ向きなイメージを消せていい。このまま何もしなくても、6年後には国の借金は1400兆円を超えるだろう。西田昌司が言うように、財務省の言うプライマリーバランス論など何の意味もない。現実には借金を永続的に増やし、無策なまま日銀保有国債額を思考停止で積み上げているだけだ。いつか訪れる破滅を惰性で待っているに過ぎない。それなら、MMTが機能する可能性のある現局面で、すなわち通貨円への国際的信認が保たれている今、新コンセプトでの外科手術に果敢に挑戦するべきだろう。もうアベノミクスの延長はできない。分配が焦点になっている。それは、経済を確実に成長と拡大に導くものでなければならない。必要なのはサプライ策ではなくデマンド策である。大型給付金こそが最も手早く簡単で効果的だ。

最初に戻って、あらためて、社会科学の重要な真実に気づいた。経済政策の言説と論争と選択は、マルクスの言うとおり階級闘争そのものだ。そのことを思い知らされた。バラマキの語の意味をめぐって、イデオロギー闘争が行われ、対立する二勢力が意味を奪い合っているのである。資本側は、政府が国民に再分配するものをバラマキと呼ぶ。貶めて無価値化する。われわれは、政府が資本に供与するものをバラマキと呼ぶ。言葉の意味づけの立場が違う。この思想闘争に勝たねばならない。