2022年12月11日日曜日

ミンスク合意はウクライナ軍の戦力を強化するための時間稼ぎだったと前独首相

 櫻井ジャーナルによれば、ドイツのアンゲラ・メルケル前首相はメディアのインタビューで、ミンスク合意はウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語ったそうです。驚くべき信義違反で呆れ返る話です。

 2014年2月、米国のオバマ政権(バイデンとビクトリア・ヌランドら)が主導してウクライナのキエフでクーデターが起こされ政権が転覆されると、新政権は南部のオデッサで反クーデター派の住民を虐殺し、続いてドンバスドネツクとルガンスクへ戦車部隊を突入させました。
 ドンバスにはロシア語を話す住民が殆どで親ロシア派と見られていたためです。ところが軍や治安機関の中にもネオ・ナチ体制を拒否するメンバーは多くいたため彼らは武器を保持したままドンバス軍に合流しました。それによってドンバス軍が政府軍(キエフ軍)より強くなり思うように制圧できなくなりました。
 そのためドイツとイギリスが仲介して政府軍とドンバス軍の間で、14年と15年の2回にわたり休戦協定=ミンスク合意が結ばれました。それはウクライナ政府が東部ドンバスの2地域に対して強い自治権を付与するというもので、本来であれば15年中には実施される筈でしたが、何も実行されないでいて、19年の大統領選では「ミンスク合意の履行」を公約に掲げたゼレンスキーが当選しました。
 メルケルは、政府軍が十分に優勢になるための時間稼ぎにミンスク合意を結んだと述べた訳で、それは当然米国を含むNATO諸国とウクライナの間でまず秘密裡の合意があって、偽りのミンスク合意およびミンスク合意2が結ばれたことになります。何とも米英独等の不誠実さを絵に画いた話です。
 ゼレンスキーは当時は民間人だったので関与していませんが、大統領に就くと直ぐに全てを了承したうえで21年末にはドンパス攻撃の準備を完了していました。
 その時点からバイデンがプーチンにウクライナ侵攻を激しく煽ったのは、そうした路線上のものと見れば十分に納得がいきます。それにしても米英独は好戦国家です。
 メルケルがこの時点でそんな重大な秘密を暴露したのはもうプーチンの先行きは長くないと判断したからかも知れません。しかしつい最近も東部の戦況を視察したゼレンスキーが「戦況は困難を極めている」と深刻そうに吐露しているので、メルメルの見通しのようにはならないと思われます。
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ミンスク合意はウクライナ軍の戦力を強化するための時間稼ぎだったと前独首相
                         櫻井ジャーナル 2022.12.09
 ドイツの首相を2005年11月から21年12月まで務めたアンゲラ・メルケルはツァイト誌のインタビューでミンスク合意はウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語ったが、これは当時から指摘されていたこと。アメリカの元政府高官や退役将校も「時間稼ぎにすぎない」と指摘していた。交渉に応じたロシア政府を愚かだと言う人も西側にはいた。
 この合意とはドンバス(ドネツクとルガンスク)における停戦に関するもので、キエフのクーデター政権、ロシア、OSCEの代表で構成された連絡グループが作成し、この3者のほかドネツクとルガンスクの代表が2014年9月に署名した。これが機能せず2015年2月のバージョンができたが、やはり機能していない。交渉はドイツとフランスが仲介する形になっている。合意内容はこうした協定書に定められていた。

 戦闘が始まった直接的な原因は2014年2月にバラク・オバマ政権を後ろ盾とするネオ・ナチがウクライナの東部や南部を地盤とするビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、オデッサで反クーデター派の住民を虐殺し、ドンバスへ戦車部隊を突入させたところから始まるオバマ政権がクーデターを実行したのは、それ以外にヤヌコビッチ大統領を排除する手段がないと判断したからだ。
 アメリカは2004年から05年にかけてもヤヌコビッチの大統領就任を「オレンジ革命」で阻止さている。これを仕掛けたのはオバマと同じアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権。そして新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えた。
 この政権の政策によって国の富は欧米の巨大資本へ流れて行き、その手先になった一握りのウクライナ人が「オリガルヒ」と呼ばれる富豪になり、その一方で大多数の庶民は貧困化。新自由主義の現実を知ったウクライナ人はそこで2010年の1月から2月にかけて行われた大統領選挙でヤヌコビッチを選んだのだ。

 そこで7月にヒラリー・クリントン国務長官(当時)がキエフへ乗り込み、ヤヌコビッチに対してロシアとの関係を断ち切ってアメリカへ従属するように求めたが、拒否された。そしてオバマ政権のクーデター計画が始まるわけだ。
 キエフでのクーデターでヤヌコビッチ大統領を排除することには成功したものの、東部や南部の住民だけでなく軍や治安機関の中にもネオ・ナチ体制を拒否するメンバーは多く、ドンバス軍へ合流したと言われている。そこで新兵主体のクーデター軍とベテランの反クーデター軍という構図になり、戦況はドンバス側が有利だった。
 そこでアメリカ/NATOは兵器を供給して兵士を訓練するだけでなく内務省にネオ・ナチを主体とする親衛隊を組織、その一方で少年を集めて訓練、同時にナチズムを叩き込んだ。そうした少年はクーデターから8年を経て戦闘員になっているはずだ。そのための時間を稼ぐためのミンスク合意だったとメルケルは確認したのだ。

 西側を民主主義体制だと錯覚、その約束を真に受けたミハイル・ゴルバチョフとその西側の手先だったボリス・エリツィンによってソ連は消滅、ロシアは米英巨大資本に征服されたのだが、ウラジミル・プーチン政権の中にもアメリカとつながっている勢力が存在していたようだ。そうした勢力はドンバスの問題でも「バランスの取れた取り組み」を主張し、西側に戦争の準備をする余裕を与えて事態を悪化させた。

 ウラジミル・プーチン大統領は9月21日に部分的な動員を実施すると発表、西部軍管区司令官の司令官をロマン・ベルドニコフ中将へ交代、10月にはドンバス、ヘルソン、ザポリージャの統合司令官としてセルゲイ・スロビキン大将をすえたほか、チェチェン軍を率いているラムザン・カディロフは上級大将の称号を与えた。指揮体制を大きく変えたわけだ。
 プーチン露大統領は11月25日、ウクライナでの戦闘に参加している兵士の母親と会談した際、「ドンバス(ドネツクやルガンスク)をもっと早くロシアへ復帰させるべきだった」と語っている。ミンスク合意は間違いだったと認めたわけだ。クレムリンの内部で権力バランスが変化した可能性がある。今後、口先でロシア政府を騙すことは難しくなりそうだ。それを見てのメルケル発言だったのかもしれない。