FRIDAYデジタルに「『誤解を与えたとすれば』などの〝モヤモヤ政治家表現″を飯間浩明氏に聞く」という興味深い記事が載りました。
レポーターは出版社、広告制作会社勤務の経験を持つフリーライターの田幸和歌子氏で、取材依頼を受けた『三省堂国語辞典』の編集委員の飯間浩明氏が国会会議録の調査を基に、解説しています。その意味で大変な労作です。
原文では、飯間浩明氏の発言=解説個所は全て太字で表示されていますが、10・5ポイントで太字にすると強調度合いが強くなりすぎるため、ここでは青字での強調にしました、
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「反省すべきは反省し」「誤解を与えたとすれば」…”モヤモヤ政治家表現”を言葉ハンター飯間氏に聞く
FRIDAYデジタル 2023/03/18
いったいいつから、どのように使われてきたのか
政治家がよく言う「反省すべきは反省し~」「誤解を与えたとすれば~」といった表現を聞くたび、モヤモヤしたことのある人は多いだろう。
「反省すべきは反省し~」は「反省するべきところがあるかないかはわからないが、仮にあったとしたら」程度の認識に聞こえる。また、「誤解を与えたとすれば~」の場合、あくまで真実ではなく「誤解」であり、言い方が適切でなかった可能性はあるにしろ、問題は「誤解」したほうにあるように聞こえる。
こうした今どきの政治家が逃げとして使いがちな言葉は、いったいいつから、どのように使われてきたのか。国語辞典編纂者で『三省堂国語辞典』の編集委員の飯間浩明氏に取材依頼をしたところ、国会会議録の調査を基に解説してくれた。
「反省すべきは反省し」:第2次安倍内閣で減少し、菅首相、岸田首相の時代になって再び増加
「まず『反省すべきは反省し』についてですが、国会の会議録では1948年に最初に登場します。『反省すべきところは反省』『反省すべき点は反省』など、同類の言い回しを合計すると3例あります。その後、『反省すべきは』の類は増えて、70年代にひとつの山を迎えます」
70年代では、たとえば73年・74年によく使われている。73年はオイルショックの年で、74年は田中角栄首相の金脈問題があり、その年の12月に田中内閣が総辞職している。田中首相自身もオイルショックに関し「反省すべきは反省しておる、転換すべきは転換する」と答弁している(74年1月24日)。
その後しばらく使用度数は減るが、90年代に入ってまた増えてくる。目立つのは阪神淡路大震災のあった95年。震災の直後から、村山富市首相が「今回の災害派遣の経験を踏まえ反省すべきところは謙虚に反省をし」(95年1月24日)などの言い回しを繰り返している。バブル崩壊後の状況についても、大蔵大臣が同様の表現を多用し、口癖になっている観もある。
ところで、意外なのは、最近はむしろ落ち着いてきていること。
「『反省すべきは』の類が20例を超えていた年も多かったのですが、13年あたりからまた少なくなりました。ちょうど第2次安倍晋三内閣発足の時期です。安保法制が施行された16年は特に少なく、質問者の発言に2例出てくるだけです」
言い回しの頻度だけでは判断できないが、安倍内閣は「反省すべきは反省」しなかった時代のようにも見える。「反省すべきは反省し」というごまかしをやめたのか、それとも、「反省することはない」という開き直りの時代だったのか。
一方、菅義偉首相や岸田文雄首相の時代になると、再び「反省すべきは」の類が少し増えていると言う。
「解釈はお任せしますが、いずれにしろ、『反省すべきは』の類は昨日今日生まれた表現ではないということです。少なくとも国会会議録を見る限り、戦後には既に使われていて、とりわけ20世紀の終わりから今世紀にかけてよく使われるようになった言葉です。
それだけ反省ポーズを見せたい場面が増えたとは言えるかもしれません。『反省しているのか』と聞かれれば、その答えは『反省している』『反省していない』の2択のはずですが、『反省すべきところがあれば』と仮定形にすると、反省しているのかいないのか言わなくて済む。そのことにみんなが気づいて、愛用されるに至ったのでしょう」
「誤解を与えたとすれば」⇒「あなたが誤解したのだ」
もう1つ、「誤解を与えたとすれば」は国会会議録では意外に多くないという(「誤解を与えたら」「誤解を与えましたならば」など、他の言い方は除く)。
「初めて出てくるのが1954年で、次が1965年。戦後しばらくは『誤解を与えたとすれば』『誤解を与えたなら』という仮定形はあまり用いられていません」
ところが、こちらも70年代から目立つようになる。
「昔は使用例がゼロの年も多かったのが、70年代には4例使われている年もあります。94年と11年は5例で、特に目立ちますね。11年は東日本大震災の年。震災や原発事故に関する発言についての釈明として『誤解を与えたとすれば』を使う例も、複数含まれています。
やはりこれも20世紀終わりから今世紀にかけて国会会議録で多くなった言い方です」
これらの傾向から飯間氏はこんな分析をする。
「『反省すべきは反省する』も『誤解を招いたとしたら』も仮定法になっていて、『反省すべき点があったら』『それはあなたが誤解したのであって』という言い逃れのような言い方です。
『三省堂国語辞典』第八版では、『誤解』の項目にこんな解説を加えています。【『発言が誤解を招いたことをおわびします』という謝罪は、『あなたが誤解したのだ』という責任のがれにも使われる。発言を訂正したほうが誠意が伝わる】。
また、『反省すべきは反省し』はまだ辞書に載せていませんが、常套句の一例として示すのもありかもしれませんね。
他に便利に使われる言葉に『お騒がせして誠に申し訳ございません』もあります。一応謝罪の言葉なんですが、内々の問題で周囲を騒がせてしまった、という軽い感じを伴います。社会に深刻なダメージを与えた場合に使うと異様な感じがします。問題の本質に言及しないまま、世間を騒がせたことだけを謝罪するのは真摯な印象がないですね」