2023年3月25日土曜日

岸田政権はNATOに急接近しているが…セルビア空爆から24年

 NATOは第2次大戦後に米国が欧州諸国に呼びかけて締結した「ソ連(当時)を敵国」とする軍事同盟です。岸田首相は22年6月、日本の首相として初めてNATO首脳会議29~30日)に出席したとき、要旨次のように発言しました。
 ・中国を念頭に、インド・太平洋地域におけるNATOとの軍事連携を強化する
 ・日韓豪NZはNATO理事会会合に定期的に参加する
 ・NATO本部に自衛官を派遣し相互の軍事演習への参加を拡充する
 ・核軍縮の取り組みにおいてNATO諸国と協力する
    (22.7.3)岸田首相が軍拡公約 NATO会議 力対力 世界を分断
 憲法9条を持つ日本がなぜ一方の軍事同盟にそれ程肩入れしようとするのか、「異常」と言うしかありません。ひたすら米国に追随すればいいと考えているのでしょうが、限度を超えています。
 東京新聞にジャーナリスト木村元彦氏が寄稿した記事「岸田政権はNATOに急接近しているが…セルビア空爆から24年、コソボで起きたこと」が載りました。
 岸田首相はNATOの実態を知って頭を冷やすべきです。
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岸田政権はNATOに急接近しているが…セルビア空爆から24年、コソボで起きたこと【木村元彦さん寄稿】
                          東京新聞 2023年3月24日
 東欧を長く取材するジャーナリスト木村元彦さん(61)が本紙に寄稿した。今月でNATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビア(セルビア)空爆から24年。世界が忘れかけているその傷の深さを語った。
【関連記事】コソボ独立15年 いまだにくすぶり続ける「ヨーロッパの火薬庫」(下掲)

◆ウクライナ侵攻への対応に既視感
 岸田首相がNATOとの急速な接近を図っている。昨年6月にはNATO首脳会合に出席し、今年1月には来日したストルテンベルグ事務総長と会談。安全保障分野での協力を強化するという。ロシアによるウクライナ侵攻の凄惨さから、反転するようにNATOの正当性が流通し、首相のこの動きについても批判的な言説は皆無に等しい。
 デジャヴ⇒既視感を感じずにはいられない。想起するのは1999年3月24日から78日間にわたって行われたNATOのユーゴ空爆である。ユーゴの一部だったコソボの紛争に介入する形で行われたこの軍事アクションは、彼の地でのアルバニア人の人権擁護が論拠とされ、スーザン・ソンタグをはじめとする著名な知識人たちもNATOの軍事行動を支持した。

コソボ ヨーロッパ南東部のバルカン半島に位置する。第2次世界大戦後、長く旧ユーゴスラビア連邦を構成するセルビア共和国の自治州だったが、2008年2月17日に独立を宣言。岐阜県とほぼ同じ面積の約1万1000平方キロメートルに、179万人が暮らす。民族は大半がアルバニア人(92%)で、他にセルビア人(5%)、ロマ、トルコ系など諸民族(3%)。国旗の星は国内六つの民族を表す。宗教はアルバニア人にイスラム教、セルビア人にはセルビア正教が多い。

 確かにユーゴのミロシェビッチ大統領はコソボのアルバニア人から自治権を剝奪し、多くの難民を流出させた。武力でコソボ独立を目指すアルバニア人のKLA(コソボ解放軍)とセルビア治安部隊の衝突が激化し、欧米の連絡調整グループが調停案を提示するもセルビア側が拒絶し、空爆が行われた。しかし、問題は調停案の中身だった。最終段階で米国が「NATO軍のユーゴ全土における軍事作戦の展開と、犯罪の訴追や課税の免除を認めさせる」という「付属文書B」を突きつけてきたのだ。
 これはNATOによる占領に等しく、当時ストイコビッチ(セルビア人サッカー選手)が「この調停案にはセルビア人なら自分の6歳の息子もサインしない」と発言したのは、かような理由にある。
 空爆に屈する形でセルビア治安部隊が撤退すると、米国はコソボ南部のボンドスティールに国外最大基地を建設し、KLA幹部をトップに据えたコソボ政府の後ろ盾となり、2008年には独立を真っ先に承認した

◆空爆後に拉致と臓器密売が
 筆者は、1998年からコソボを取材し続けてきたが、空爆後に平和が訪れたとは、到底言い難い。真っ先に起きたのは、少数民族に対する新たな人道破綻であった。約3000のセルビアの民間人が拉致され、アルバニア本国に送られた後、殺害されて組織的な臓器密売ビジネスの犠牲者となった
 欧州評議会法務人権委員会のディック・マーティは「コソボでの臓器密売を証明する十分な資料がそろった。欧米諸国はこの犯罪の事実を知っていたのに、政治的な判断から口を閉ざしていた」と報告している。
 犯罪にはコソボの首相となったKLA幹部の関与も指摘されているが、米国が後ろ盾のためにICTY(旧ユーゴ国際戦犯法廷)の訴追もはね返され続けている。筆者もまたサチ元大統領の関与を臓器摘出施設「黄色い家」の管理人から直接聞いている

 NATOは本来、同盟国の集団防衛の組織でありながら、中東からカスピ海を睨にらんだ米軍基地拡大のためにユーゴを空爆してコソボを親米国家として独立させた。第2次大戦後に決まった国境線を変えてしまったことになる。
 独立したコソボではアルバニア民族主義が勃興し、アルバニアと合併するための他民族排除のヘイトクライムが起き続けているが、国際社会は見て見ぬふりである。ミロシェビッチやロシアのプーチン大統領の大罪はあるが、プーチンが見てきたであろうコソボでNATOが何をしてきたか、の検証も不可欠だ。ウクライナの例から、戦争被害に遭わないための観点ばかり議論されるが、軍事同盟に関わることは、オートマチック⇒自動的に加害の側に回ることも自覚しなくてはならない。

 きむら・ゆきひこ 愛知県生まれ。「オシムの言葉」(集英社)など著書多数。1月に「コソボ 苦闘する親米国家」(同)を出版


コソボ独立15年 いまだにくすぶり続ける「ヨーロッパの火薬庫」
                          東京新聞 2023年2月23日
 コソボがセルビアからの独立を宣言してから17日で15年たった。米英などの支持を得たコソボだが、ロシアを後ろ盾とするセルビアとの間で緊張が続く。国内の民族対立も深刻だ。多数派のアルバニア系の間には、隣国アルバニアとの統一を求める動きさえある。「欧州の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島。大国の介入が残した傷と今なお不安定な情勢に、目を向けるべきではないか。(中山岳、西田直晃、北川成史)

◆日本人だから話を聞いてくれた
 コソボ独立後、民族間の距離を縮めようとしてきた日本人がいる。元NHKヨーロッパ総局長で、海外の放送機関に協力する「NHKインターナショナル」専門委員の長崎泰裕さん(67)。
 2015年からコソボの公共放送「RTK」に技術支援する国際協力機構(JICA)の事業に参加。21年までに13回、コソボを訪れ、「放送を通じた民族融和」を図ってきた。
 RTKはアルバニア人向けの1とセルビア人向けの2に分かれ、職員同士の交流もなかった。
 長崎さんら日本人専門家は食べ物や結婚式など軟らかいテーマで、両民族の職員が一緒に制作できる企画を提案。約20分の番組「イン・フォーカス」を50回以上放送してきた。
 番組では、アルバニア人とセルビア人のキャスターが同時に立ち、一方が話す間、他方の言語の字幕が流れる。共同制作を重ねるうちに、政治的テーマも扱い、両民族の職員が交流するように。長崎さんは「ささやかながら融和が進み成果も出てきた」と述べる。
 こうした試みができるのは、日本が戦後長く平和主義を掲げて行動し、バルカン半島に負の遺産のないことも大きかったという。「私たちが日本人だから話を聞いてくれた面がある」
 ところが、最近、風向きが怪しい。21年の選挙で、隣国アルバニアとの連携をうたう民族主義的政党「自己決定運動(LVV)」が政権を獲得。RTKの人事に介入し、同党の有力支援者やアルバニア出身の人間を幹部に送り込んできた。長崎さんは来月から再びコソボに渡る予定だが「今後の番組制作に影響が出ないか」と気にかける。
 コソボでは、セルビア人が車にセルビア発行のナンバープレートを付けるのが認められてきた。だが、LVV政権は昨年7月、これを無効化。セルビア人の抗議活動が起きた。12月にはEUに加盟を正式申請。セルビアは反発しており、緊張感を高める出来事が続いている。

◆コソボはウクライナ戦争の論理の出発点の一つ
 コソボ紛争と関連し、1999年、NATO空爆に抗議したサッカーJリーグ名古屋グランパスのセルビア人ストイコビッチ選手を思い出す人がいるかもしれない。その後もピッチに紛争は影を落とす。2018年のW杯ロシア大会では、スイス代表でコソボにルーツを持つアルバニア系選手2人がセルビア戦でゴール後、アルバニア国旗の「双頭のワシ」を想起させるポーズをして物議を醸した。
 「コソボ 苦闘する親米国家」(集英社)を出版したジャーナリスト木村元彦さんは1998年以降、コソボを20回以上訪れた。「もともとはKLAを支持しての武力による独立を主張する民間人は、ほとんどいなかった」と振り返る。
 ところが独立後、民族主義に歯止めが利かなくなった。「独立1周年で町で振られたのは、民族融和を表すコソボ国旗でなくアルバニア国旗と星条旗だった」
 空爆前、米国などが示した国際調停案が、NATO軍の駐留容認や訴追免除など、セルビアが承服しがたい内容だった点も忘れてはならないという。
 米国が国際世論を主導する形で、セルビア悪玉論が広がった。KLAによる臓器売買疑惑の責任追及は、セルビアの指導者に対する動きと比べ鈍い。「独立するにしても公正な過程を経て、少数派の権利が担保されなければならなかった」と木村さんは憤る。
 東京大の山崎信一非常勤講師(ユーゴスラビア史)は、国連安保理決議を経ず、多数の難民を生んだ空爆について「外交努力が尽くされたうえでの武力介入か疑問だ」と振り返る。
 「コソボはウクライナ戦争の論理の出発点の一つ」とも。ロシアのプーチン大統領は「コソボ独立が許され、(ウクライナ領の)クリミア併合がなぜ許されないのか」と強弁するからだ。
 山崎さんは「コソボ紛争は外交的手段がどれだけ重要かの反面教師」とし、日本のNATO接近や軍拡的な風潮にくぎを刺した。

 北大西洋条約機構(NATO)空爆と独立 1980年代、自治権拡大を求めるアルバニア人とセルビア人の対立が深刻化。89年、セルビア政府はコソボ自治州の自治権を大幅縮小した。反発するアルバニア人は「コソボ解放軍(KLA)」を組織し、セルビア治安部隊と内戦状態になった。99年、アルバニア民間人の大量殺害が発生。国際調停が失敗し、NATOが「人道的介入」名目でセルビア全域を空爆した。セルビア治安部隊はコソボから撤退し、国連暫定統治になるが、KLAがセルビア人を拉致、殺害し、臓器売買している疑惑が浮上した。コソボ議会は2008年、米国の後押しを受けて独立を一方的に宣言。米英独仏や日本は独立を承認したものの、セルビアや同国と関係が近いロシア、スペイン、ギリシャなどは承認せず、コソボは国連に加盟できていない。セルビアが独立に反対する理由に、コソボにはセルビア正教の聖地があり、民族発祥の地とされている事情がある。

◆アメリカやNATOの空爆も問われるべきだ
 Jリーグの大分やFC東京、町田で監督を務めたランコ・ポポビッチさん(55)はコソボ出身のセルビア人だ。セルビア正教の聖地・ペーチで生まれ育った。故郷の土を踏んだのは、コソボ紛争前夜の1996年までさかのぼる。「まさか最後の里帰りになるとは。空爆で私たちの土地や家はアルバニア人に奪われた」
 民族対立が深まる前、コソボで暮らしていたころは、隣家のアルバニア人と親しく交流していた。だが今では、セルビア人への暴力や嫌がらせ、児童の殺害まで起きているという。
 実家には知らないアルバニア人が住んでいるらしい。紛争に翻弄され、自身は欧州やアジアを転々としてきた。「父親の墓参りにすら行けない。本当に悲しい」と嘆く。
 2018年のW杯ロシア大会でのアルバニア系選手のポーズには「政治的挑発行為」と不快感を示したうえで「感情を逆なでされたとしても、自分たちのサッカーに集中することが大事。私が監督なら選手にそう説明していた」と語る。一方で「頭では理解していても、ピッチに立っていたらどう対応したかは分からない」と付け加えた。
 コソボ紛争以降の状況について「話し合いで解決するべきで、軍事介入は間違い。ロシアとウクライナの悲劇と似ている」と強調。「米国やNATOの空爆も問われるべきだ。彼らの行動は武力行使での解決を助長してきた。介入がなければ歩み寄り、もっと良い形で紛争を終えられたかもしれない。必要なのは戦争ではなく平和だ」と訴え、こう締めくくった。
 「コソボは日本人が思う以上に、セルビア人にとって愛着のある地域。日々のニュースで伝わる情報だけが正しいわけではないと知ってほしい」