2023年3月23日木曜日

23- なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」

 現代ビジネスに22日、矢部浩二氏の記事「鳩山元首相が絶句…自分を『裏切った』腹心の官僚が、じつは忠誠を誓っていた『ヤバすぎる相手』」が載りました。
       ⇒ https://gendai.media/articles/-/107129
 これは鳩山由紀夫首相(当時)が10年4月6日、外務省、防衛省から幹部を二人ずつ首相官邸に呼んで沖縄普天間基地の移転先として以前から温めていた「徳之島移設案」という最後のカードを示して、この案が漏れれば潰されるから外部には秘密にしたままその方向で協力して欲しいと頼んだのですが、なんと翌日の朝日新聞夕刊に秘密会議の内容が暴露され計画はダメになりました。 
 鳩山氏は5月までに普天間基地の移転先を決めるという約束が果たせず、6月2日に退陣を発表しました。その過程で民主党政権内にも米国派が大勢いたことが明らかになりました。
 矢部浩二氏は、即座にメディアにリークするという露骨な裏切りは、現職の首相よりもはるかに恐ろしい権力が別にあったからだとして、それは日米合同委員会…60年以上続く「米軍+官僚」の共同体だと見ています。
 常識では信じられないような話ですが、現代ビジネスは記事の末尾にその実態が分かる記事として以下の記事を紹介しています。
 1万字超の極めて長文ですが敢えて一括して紹介します。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
                      矢部 宏治 現代ビジネス 2023.02.22
日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
*本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。

はじめに
それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、
「また陰謀論か」
「妄想もいいかげんにしろ」
「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」
などと批判されることが、よくあります。
あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。
自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。
「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」
いつもそう思っているのです。

事実か、それとも「特大の妄想」か
けれども本書をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。
ひとつ、簡単な例をあげましょう。
以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。
★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演し
たラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいと
いうのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の
妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なの
では〕?
もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった七年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。
けれども、私がこれまでに書いた本を一冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。
そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。
さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。
なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」一九八三年一二月)のなかに、
○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。
という見解が、明確に書かれているからです。
つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。
そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。

北方領土問題が解決できない理由
さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。
○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1
こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。
そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。
したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。
たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。
二〇一六年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。
ところが、日本での首脳会談(同年一二月一五日・一六日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。
その理由は、まさに先の大原則にあったのです。
官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局一一月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、
「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」
という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。
その報告を聞いたプーチン大統領は、一一月一九日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、
「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」
と述べたことがわかっています(「朝日新聞」二〇一六年一二月二六日)。
ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、一ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。
もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、
「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」
などと返答していたら、彼は、二〇一〇年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。

「戦後日本」に存在する「ウラの掟」
私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。
そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。
私が本書を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、
「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」
という依頼を出版社から受けたからでした。
また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと一〇年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。
なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。
けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。
私がこれからこの本で明らかにするような九つのウラの掟(全九章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。
今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。
そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。
そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。

「リアル陰謀論」
本というのは不思議なもので、書き手としては、自分が大切だと思ったことをいろいろと並べて書いているわけですが、読者の方の興味というのは、かなり特定の問題にピンポイントで集中することが多い。
そうした読者からの反応を聞いてはじめて、
「ああ、自分が書いた本の核心はここにあったのか」
と気づかされることが多いのです。
私がこれまでに書いた本でいうと、第一章でお話しした「横田空域」と、本章で扱う「日米合同委員会」の問題が、圧倒的にみなさんの関心をひくようです。
しかし、よく考えてみるとそれも当然の話で、もしも私が数年前に誰かから、
「日本の超エリート官僚というのはね、実は月に二度ほど、都内にある米軍基地などで在日米軍のトップたちと秘密の会議をしているんだ。それで、そこで決まったことは国会に報告する義務も、外部に公表する義務もなく、事実上ノーチェックで実行することができる。つまりその秘密会議は、日本の国会よりも憲法よりも、上位の存在というわけさ」
などといわれたら、確実に、
「コイツはおかしいから、つきあうのはやめよう」
と思ったはずです。
「これが陰謀論者というやつか」
とも思ったことでしょう。
けれどもそういう「リアル陰謀論」とでもいうべき世界が本当に実在することが、いまでは広く認知されるようになりました。
それが日米合同委員会です。

米軍の「リモコン装置」
日米合同委員会というのは、その研究の第一人者であるジャーナリストの吉田敏浩氏の表現を借りれば、
「米軍が「戦後日本」において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」
ということになります。
占領時代、米軍の権力はまさにオールマイティ。日本の国内法など、何も関係なく行動することができました。どこでも基地にして、いつでも軍事演習をして、たとえ日本人を殺したりケガをさせても罪に問われない。
そうした圧倒的な特権を、日本が独立したあとも、「見かけ」だけを改善するかたちで以前と変わらず持ち続けたい──そうしたアメリカの軍部の要望を実現するために、「戦後日本」に残されたリモコン装置が日米合同委員会だというわけです。
この組織のトップに位置する本会議には、日本側六人、アメリカ側七人が出席します。月にだいたい二回、隔週木曜日の午前一一時から、日本側代表が議長のときは外務省の施設内で、アメリカ側代表が議長のときは米軍基地内の会議室で開かれています。
おそらく横田基地からなのでしょう。木曜日の午前一一時前に、軍用ヘリで六本木にある米軍基地(「六本木ヘリポート」)に降り立ち、そこから会議室がある南麻布の米軍施設(「ニューサンノー米軍センター」)に続々と到着する米軍関係者の姿を、二〇一六年一二月六日に放映された「報道ステーション」が捉えていました。

日米合同委員会に激怒していた駐日首席公使
この日米合同委員会でもっともおかしなことは、本会議と三〇以上の分科会の、日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対し、アメリカ側メンバーは、たった一人をのぞいて全員が軍人だということです。
アメリカ側で、たった一人だけ軍人でない人物というのは、アメリカ大使館の公使、つまり外交官なのですが、おもしろいことにその公使が、日米合同委員会という組織について、激しく批判している例が過去に何度もあるのです。
有名なのは、沖縄返還交渉を担当したスナイダーという駐日首席公使ですが、彼は、米軍の軍人たちが日本の官僚と直接協議して指示を与えるという、日米合同委員会のありかたは、
「きわめて異常なものです」
と上司の駐日大使に報告しています。
それは当たり前で、どんな国でも、相手国の政府と最初に話し合うのは大使や公使といった外交官に決まっている。そして、そこで決定した内容を軍人に伝える。それが「シヴィリアン・コントロール(文民統制)」と呼ばれる民主国家の原則です。
ですから、スナイダーが次のように激怒しているのは当然なのです。
「本来なら、ほかのすべての国のように、米軍に関する問題は、まず駐留国〔=日本〕の官僚と、アメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」
「ところが日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです」(「アメリカ外交文書(Foreign Relations of the United States)」(以下、FRUS)1972年4月6日)

日本という「半分主権国家」
このように当のアメリカの外交官にさえ、「占領中にできあがった異常な関係」といわれてしまう、この米軍と日本のエリート官僚の協議機関、日米合同委員会とは、いったいなぜ生まれたのでしょう。
詳しくは本書の後半でお話ししますが、歴史をさかのぼれば、もともと占領が終わる二年前、一九五〇年初頭の段階で、アメリカの軍部は日本を独立させることに絶対反対の立場をとっていました。すでにソ連や中国とのあいだで冷戦が始まりつつあったからです。
しかし、それでもアメリカ政府がどうしても日本を独立させるというなら、それは、
「在日米軍の法的地位は変えない半分平和条約を結ぶ」(陸軍次官ヴォーヒーズ)
あるいは、
「政治と経済については、日本とのあいだに「正常化協定」を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(軍部を説得するためのバターワース極東担当国務次官補の案)
というかたちでなければならない、と考えていたのです(「アメリカ外交文書(FRUS)」1950年1月18日)。
この右のふたつの米軍の基本方針を、もう一度じっくりと読んでみてください。
私は七年前から、沖縄と本土でいくつもの米軍基地の取材をしてきましたが、調べれば調べるほど、いまの日本の現実をあらわす言葉として、これほど的確な表現はないと思います。
つまり「戦後日本」という国は、
「在日米軍の法的地位は変えず」
「軍事面での占領体制がそのまま継続した」
「半分主権国家」
として国際社会に復帰したということです。
その「本当の姿」を日本国民に隠しながら、しかもその体制を長く続けていくための政治的装置が、一九五二年に発足した日米合同委員会なのです。
ですからそこで合意された内容は、国会の承認も必要としないし、公開する必要もない。ときには憲法の規定を超えることもある。その点について日米間の合意が存在することは、すでにアメリカ側の公文書(→72ページ「安保法体系の構造」の日米合同委員会の項を参照)によって明らかにされているのです。

「対米従属」の根幹
こうして日米合同委員会の研究が進んだことで、「日本の対米従属」という戦後最大の問題についても、そのメカニズムが、かなり解明されることになりました。
もちろん「軍事」の世界だけでなく、「政治」の世界にも「経済」の世界にも、アメリカ優位の状況は存在します。
しかし「政治」と「経済」の世界における対米従属は、さきほどの軍部の方針を見てもわかるように、
「あくまで法的関係は正常化されたうえでの上下関係」であって、
「占領体制が法的に継続した軍事面での関係」
とは、まったくレベルが違う話なのです。
私たち日本人がこれから克服しなければならない最大の課題である「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。
つまり、「アメリカへの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものだということです。
そこのところを、はっきりとおさえておく必要があるのです。
私自身、いろいろ調べた末にこの日米合同委員会の存在にたどりついたとき、
「ああ、これだったのか」
と目からウロコが落ちるような気持ちがしました。それまで見えなかった日米関係の本質が、はっきり理解できるようになったからです。

「これが法治国家か」
本当に大切なことは、驚くほど簡単な言葉で表現できる。
みなさんは、そういう経験をされたことはないでしょうか。
私はすでにお話ししたとおり、二〇一〇年六月に起きた鳩山政権の崩壊をきっかけに、沖縄に渡って米軍基地問題を調べはじめました。
そのわずか九ヵ月後には福島の原発事故が起こり、沖縄だけでなく、本土でも、
「これが法治国家か」
と思うような、信じられない光景をいくつも目にすることになりました。
二〇万人もの罪のない人たちが家や畑を失い、避難先の仮設住宅で「これからどうすればいいのか」と悩みつづけている一方で、事故を起こした二〇一一年の年末には、ボーナスをもらってヌクヌクと正月の準備をする東京電力の社員たち。
不思議だ、不思議だと思いながら、なにをどうすればいいか、まったくわからない日々が続きました。
そんなある日、耳を疑うような事実を知ったのです。
それは米軍・普天間基地のある沖縄県宜野湾市の市長だった伊波洋一さん(現参議院議員)が、講演で語っていた次のような話でした。
「米軍機は、米軍住宅の上では絶対に低空飛行をしない。それはアメリカの国内法がそうした危険な飛行を禁止していて、その規定が海外においても適用されているからだ」

いちばん驚いたこと
「?????」
一瞬、意味がよくわかりませんでした。
私は沖縄で米軍基地の取材をしている最中、米軍機が市街地でギョッとするほどの低空飛行をする場面に何度も遭遇していたからです。軍用ヘリコプターが巻き起こす風で、民家の庭先の木が折れるほど揺れるのを見たこともありますし、マンションの六階に住んでいて、
「操縦しているパイロットといつも目が合うのさー」
と言っていた人にも会いました。
実際、丘の上から普天間基地を見ていると、滑走路から飛び立った米軍機やヘリが、陸上、海上を問わず、島の上空をどこでもブンブン飛びまわっているところが見える。
「それが、米軍住宅の上だけは飛ばないって、いったいどういうことなんだ?」
しかも伊波氏の話によれば、そうした米軍の訓練による被害から守られているのは、人間だけではないというのです。アメリカでは、たとえばコウモリなどの野生生物や、砂漠のなかにある歴史上の遺跡まで、それらに悪影響があると判断されたときには、もう訓練はできない。計画そのものが中止になる
なぜなら、米軍が訓練をする前には、訓練計画をきちんと公表し、環境への影響評価を行うことが法律で義務づけられているため、アメリカ国内では、人間への悪影響に関して米軍の訓練が議論されることはもうないというのです。
いや、いや、ちょっと待ってくれ。おかしくなりそうだ──。
どうして自国のコウモリや遺跡にやってはいけないことを日本人にはやっていいのか。
それは人種差別なのか?
それとも、よその国なら、何をやってもいいということなのか?
いや、そんなはずはない。
なぜなら、たとえば沖縄本島北部の高江では、ノグチゲラという希少な鳥の繁殖期には、ヘリパッドの建設工事が数ヵ月にわたって中止されているからだ。
「日本人」の人権にはまったく配慮しない米軍が、「日本の鳥」の生存権にはちゃんと配慮している。
これはいったいどういうことなのか……。

ただアメリカの法律を守っているだけ
この問題は長いあいだ頭のなかをグルグルまわっているだけで、答えはなかなか見つかりませんでした。しかし、かなりあとになってから、アメリカ国内の米軍基地における飛行訓練の航跡図を見て、
「ああ、そういうことか」
と納得する瞬間があったのです。
つまり、アメリカ国内の米軍基地というのは、たとえばカリフォルニア州のミラマー海兵隊基地などは、沖縄の普天間基地にくらべると約二〇倍の面積があって、基本的には基地の敷地の上空だけで低空飛行訓練ができるようになっている。しかも、もともと基地自体が山のなかにあるから、住宅地への影響はいっさいない。
海上に出て長距離の飛行訓練をするときも、もちろん住宅地のうえは避けて、渓谷沿いのルートを海まで飛んでいく。離陸用の滑走路は、そのため渓谷の方向をむいている。
つまり、われわれ日本人は、
「米軍住宅の上だけは飛ばないなんて、あまりにもひどいじゃないか」
と米兵たちに対して大きな怒りを感じるわけですが、それは違っていた。
彼らはただ、アメリカの法律を守っているだけなのです。
米軍住宅に住むアメリカ人たちも、環境に配慮した本国の法律によって、海外にいても人権が守られているだけなので、私たちから非難される理由は何もない。しかも、アメリカのそのすばらしい環境関連法は、自国の動植物や遺跡だけでなく、なんと日本の鳥(希少生物)まで対象としているというのだから、徹底している。
問題は、ではなぜ日本人の人権だけは守られないのか、ということだ。

結局、憲法が機能していないということだ
そこまで考えてきて思い出したのが、第一章で触れた「航空法特例法」でした。
米軍機には、〔最低高度や飛行禁止区域を定めた〕航空法第6章の規定は適用しない
という法律です。
日本には、国民の人権を守るための立派な憲法があり、危険な飛行を禁止する立派な航空法も存在する。しかしそのせっかくの条文が、米軍に関しては「適用除外」になっている。
もちろん、どんな特例法があろうと、国民の人権が明らかに侵害されていたら、憲法が機能してそれをやめさせなければならないはずだ。ところが現実はそうなっていない。
つまり在日米軍に関しては、
「結局、憲法が機能していないということなんだ」。
そう思った瞬間、それまでまさに混沌状態にあったいろいろな思いが、スッと整理されて、目の前が急に開けたような気がしたのです。
「憲法さえきちんと機能すれば、沖縄の問題も福島の問題も、ほとんど解決することができるんじゃないのか」
いま考えると、それは当たり前の話で、どうしてもっと早く気づかなかったんだろうと思うのですが、そのことにはっきり気づくまで、丸々二年かかりました。
でも、そこからはスラスラと謎が解けていったのです。

人権が守られている人間と守られていない人間
「Q:米軍機はなぜ、アメリカ人の家の上は飛ばないのか」
「A:落ちると危ないから」
「Q:東京電力はなぜ、東京で使う電力を東京ではつくらなかったのか」
「A:原発が爆発すると危ないから」
つまり同じ島(沖縄本島)のなかで、人権が守られている人間(米軍関係者)と、守られていない人間(日本人)がいる。
また、同じ地域(東日本)のなかで、人権が守られている人間(東京都民)と、守られていない人間(福島県民)がいる。
沖縄の米軍機の低空飛行の場合、その差別を正当化しているのは、航空法の適用除外条項でした。
そう思って福島の問題を調べていくと、やはりあったのです。「適用除外」条項が。
日本には環境汚染を防止するための立派な法律があるのに、なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです(二〇一一年時点)。
大気汚染防止法 第27条1項 この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染及びその防止については、適用しない」
土壌汚染対策法 第2条1項 この法律において「特定有害物質」とは、鉛、砒素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)(略)」
水質汚濁防止法 第23条1項 この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁及びその防止については、適用しない」
これらの条文を読んだとき、私が二年前から疑問に思い続けてきた、
「なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられないのか」
という問題の法的な構造が、沖縄の米軍基地問題とほとんど同じであることがわかりました。つまり現在の日本には、国民の人権を「合法的」に侵害する不可解な法的取り決め(「適用除外条項」他)が、さまざまな分野に存在しているということです。
事実、福島県の農家のAさんが環境省を訪れ、原発事故で汚染された畑について何か対策をとってほしいと陳情したとき、担当者からこの土壌汚染対策法の条文を根拠に、
「当省としましては、この度の放射性物質の放出に違法性はないものと認識しております」
という、まさに驚愕の返答をされたことがわかっています(「週刊文春」二〇一一年七月七日号)。