2023年3月21日火曜日

東京大空襲から考える日本の対米隷属(孫崎享氏)

 いうまでもなく都市の空襲は戦争犯罪です。
 東京大空襲に先立って、連合軍(英・米空軍)は1945年2月13日から15日にかけてドイツの都市ドレスデンを徹底的に空爆しました。延べ1300機の重爆撃機による4度に渡る空襲で、3900トンの爆弾が投下され25,000人の市民が殺されました。
 それは先ず大量の爆弾(榴弾)で建物の屋根を破壊した後に焼夷弾を落として建物の内部を燃やし、さらにその後榴弾を落として消火および救助活動を妨げるという徹底したものでした。
 孫崎享氏が東京大空襲について新しい視点から語りました。
 軍は3月10日夜、東京空襲するに当たり、日本は早晩降伏し米軍が進駐することを想定し、占領時に必要になるビルや米軍人の住まいとなる高級住宅街は空襲せずに、下町を標的にしました。それは先ず周辺を空襲して燃やして市民の逃げ道をなくしたのち、全域を焼夷弾で火の海にするという残虐なもので、逃げ場を失った約10万人が焼死しました。

 実際に戦後日本に進駐した米軍司令部は、丸の内の第一生命館を利用し、高級軍人は麻布などの住宅地に居住しました。それだけでなく米国は占領時代に、本来、戦争責任を負うべき人々のうち、有用な人間は救済して米国の協力者に仕立て上げました。
 米軍はさらに市民から宝石類や金目のものを収奪するために、その対象者の割り出しに、それらの所有者を調査できる日本人たちを使いました。それがのちに東京地検特捜部になったと言われています。
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日本外交と政治の正体 孫崎享
東京大空襲から考える日本の対米隷属 日本の要人を協力者に仕立てた米国の算段
                          日刊ゲンダイ 2023/03/16
                        (記事集約サイト「阿修羅」より転載)
 第2次大戦は今や遠い昔のこととなりつつあるが、それでもさまざまな場所で追悼の行事が行われている。
 米国では、国際的な緊張が起きると、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾攻撃を記憶せよ)」が出てくる。真珠湾攻撃で日本が米国に与えた被害は戦死者2334人、民間人の死亡は68人とされている。一方、広島、長崎への原爆投下では、広島で9万~16万6000人、長崎では6万~8万人が死亡したといい、両都市で慰霊式典が行われている。
 1945年3月10日、東京で夜間空襲があり、死者数は10万人以上、罹災者は100万人を超えたとされている。だが、当該地区以外で追悼などの行事は行われていない。空襲で受けた被害は広島、長崎の原爆投下にも劣らないのになぜなのか。

 米国で暮らす私の娘は米文学を学び、今、アジア系米文学を主体に教えている。最大の研究テーマは、日系強制収容所関連の文学だ。その関連で、東京の空襲を調べたのであろう。彼女は3月10日にあわせ、東京空襲被災地図(下町・都心部)をツイートで紹介した。
 この地図を見て驚いた。被災した地域は下町ばかりで、皇居や財界の中心である丸の内、官僚機構の拠点・霞が関、国会、東大付近などは明確に攻撃対象から外れていたからだ。戦争終結を促すのであれば下町を攻撃しても意味がない。むしろ被災を免れていた地域こそが要所であり、攻撃対象になる可能性があった。それなのになぜ、そうならなかったのだろうか。彼女はこうツイートをしている。
<日系収容所からの手紙が残されているので翻訳している。1945年1月時点で収容所は6月には閉じるだろう、遅くても8月、と分かっているのが興味深い>
 つまり、米国は(東京大空襲が起きた)1945年3月の時点では日本の敗北を前提に行動していた終戦後、連合軍司令部は、丸の内の第一生命館を利用し、高級軍人は麻布などの住宅地に居住している。そして、米国は占領時代の人材も活用した。本来、戦争責任を負うべき人々の生命や職を奪うことをやめ、その代わりに彼らを米国の協力者に仕立て上げた
 その範囲は広範で、政界、官界、財界、報道界、学者、司法などに及ぶ。当然、これらの人々は米国の不条理な行動には目をつぶった。
 死者10万人の東京大空襲は大々的な追悼行事があって当然なのに、それがない。つまり、ここでも対米隷属が表れているのである。

孫崎享 外交評論家

1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。