しんぶん赤旗が、『国葬の成立』の著書を持つ40歳の宮間純一・中央大学教授に、「国葬とはそもそも何か その問題点は」について聞きました。
国葬の原型は1878年(明治11年)に暗殺された大久保利通の葬儀で、5年後の岩倉具視の葬儀になると公文書に「国葬」という言葉が明記されました(法的に規定されたのは1926年=大正15年の国葬令)。
国葬は、絶対主義的天皇制のもとで天皇に仕え国家に尽くした忠臣の死を皆で悼んで、かりそめの一体感を生む国民統合や国威発揚のための装置として作用しつづけ、その根拠法は終戦後の1947年に失効しました。
宮間教授は、その大日本帝国の儀式であった国葬を、これほどの短期間に閣議決定できるということに、現政権がそういう感覚であることに恐怖したと語ります。特に岸田首相が国葬の理由として「民主主義を守り抜く」ことを挙げたことに強い違和感があると述べました。国葬は皆で特定の人物を悼み敬礼することで同じ思想を共有し、異論を排除しようとする儀式で民主主義に反しているからです。
国民一般に喪に服すことを求めないと言っていることにも、望む人だけが悼めぱよい儀式ならその範囲でやれぱよいことで、強要しないと言っても実際に「黙とう」の時刻がやってくれば、対応には差が出てくるし、特に国公立の組織では内心の自由にかかわって難しい問題が出てくると指摘します。そして何の安全装置もない国葬の前例を次世代に残すことに非常に強い不安を覚えるし、歴史家として責任を感じると述べています。
唯ただ岸田首相の無思慮・軽薄さが実感される話です。
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2022焦点・論点 国葬とはそもそも何か その問題点は
大日本帝国下の儀式を閣議決定 議会経ず強行の岸田政権に恐怖
中央大学教授 宮間純一さん
しんぶん赤旗 2022年8月16日
みやま・じゅんいち 1982年生まれ。中央大学文学部教授。著書に
『国葬の成立』『天皇陵と近代』『戊辰内乱期の社会』など
岸田政権は安倍晋三元首相の国葬を9月に実施することを閣議決定しました。そもそも国葬とは何か、戦後の日本で行われることにどのような問雇があるのか。『国葬の成立』の著者で日本近代史が専門の宮間純一中央大学教授に聞きました。 (田中佐知子)
-日本で国葬が始まったのはいつ頃ですか?
近世までの日本は、近代のような国民国家ではありません。日本で国民国家が形成される時期に、国葬は創り出された儀式です。
国によって主催者や対象者、決定までの手続きに違いがありますが、一般的に国葬は、国家が主催し国費で行われる葬儀と定義されています。
明治政府は国家や天皇に貢献したとされる故人を顕彰し、国民の道徳的規範として、示していきますが、その流れの中で国葬は整備されます。歴史を振り返ると日本の国葬は、天皇から「賜る」栄典の一種で、叙勲や叙位といった類いのものと位置付けられます。
国葬の原型が作られたのが、当時の政府の最高実力者で1878年(明治11年)に不平士族に暗殺された大久保利通の葬儀です。まだ基盤が不安定だった政府は、暗殺を契機に不平士族や自由民権派などの反政府活動が活気づくことを危ぐし、彼らを社会悪として完全否定する政治的意図をもって葬儀を行いました。
喪主は大久保家でしたが、実質的には伊藤博文ら政府首脳が主導して多額の国費を使い実施しています。天皇が弔意の品を贈って勅使を派遣し、諸外国にも死亡通知文が出され、パレードさながらの葬列で衆目を集める演出が施されました。天皇が大久保という偉勲ある正しい「功臣」を失い嘆いているため、国家をあげて盛大な葬儀が用意されたと、国内外に見せるための儀式だったのです。
5年後の前右大臣・岩倉具視の葬儀になると公文書に「国葬」という言葉が明記され、天皇の「特旨」(特別の思し召し)によって政府が公式に主導する形式上の国葬が成立し、以降敗戦まで天皇と皇太后を除き20人の国葬が営まれました。法的に規定されたのは1926年(大正15)の国葬令で、国民の服喪の義務も明文化しました。
-国葬は人々にどのような影響を与えたのでしょうか。
国民に天皇や国家を意識させるため、政府は天皇をめぐる儀式や儀礼を整備していきますが、国葬も基本的にはその一つでした。天皇に仕え国家に尽くした忠臣の死を皆で悼んで、かりそめの一体感を生み、国民統合や国威発揚のための装置として作用したのです。
それが見事に出ているのが、初代首相で韓国統監の伊藤博文の国葬です。日本が植民地化政策を進めていく中、1909年に中国東北部で朝鮮独立運動家の安里根に暗殺された伊藤の国葬を桂太郎内閣は素早く決定し、葬儀は熱狂的な盛り上がりを見せました。会場の日比谷公園周辺は大変な人だかりのお祭り状態で、警察が介入したトラブルが数万件も発生したといいます。朝鮮半島でも伊藤の追悼式は行われ、植民地化政策の道具として使われた面もあります。
1943年に米軍に撃墜された山本五十六・連合艦隊司令長官の国葬は戦局が悪化していく中、国民を戦争に動員するための儀式として行われました。東条英機首相は、山本元帥に続いてわれわれはこの戦争を完遂しなけれぱならないというメッセージを発しました。
-戦後はどうなりましたか?
国葬令は47年に失効しました。67年に吉田茂元首相の国葬を、佐藤栄作首相が強引に実行しましたが 一部では反対運動が起こり、無間心な人々も多く、戦後の民主主義日本でかつてのような国葬は成り立たないことを示して終わりました。その後の首相の葬儀はスケールダウンしなら、内閣と自民党による「合同葬」に落ち着いていきました。
戦後の日本で国葬といっても、一体誰がやるのか、国葬の「国」とは何を指すのかが明確にされていないのです。大日本帝国憲法下では天皇が元首なので天皇が「国」で通りましたが、日本国憲法下での「国」とは国民でなければなりません。戦後の日本で国民の名において行われる国民の名において行われる葬儀は整備されていないにもかかわらず、国葬を強行した佐藤内閣の罪は重いと思います。
岸田政権による安倍元首相の国葬決定には非常に驚きました。私の考えでは、国葬は大日本帝国の儀式なので、それをこれほどの短期間に閣議決定できるということ、現政権がそれぐらいの感覚をもっているということに恐怖しました。
実際どのように検討されたのかが気になり内開府に情報開示請求をしていますが、岸田首相が国葬の理由として「民主主義を守り抜く」ことを挙げたことに強い違和感があります。日本史を振り返れば国葬とは、皆で特定の人物を悼み敬礼することで同じ思想を共有する、異論を排除しようとする儀式で、民主主義に反しています。議会を経ず閣議決定した点も民主主義の手続きとしてアウトです。
政府は国民一般に喪に服すことを求めないと言っていますが、望む人だけが悼めぱよい儀式なら、その範囲でやれぱよいことで、国葬の必要はありません。強要しないと言っても、国葬が営まれ、黙とうの時間がやってくれば、対応には差が出てくる。特に国公立の組織では内心の自由にかかわって難しい問題が出てくるでしょう。
安倍氏の首相としての在任期間の長さや業績なども理由に挙げていますが、判断の基準がありません。たとえ誰であろうと国葬は必要ないというのが私の立場ですが、もし戦後の日本で国葬を模索するのであれば、国会で、誰がどのように、どういう目的をもってどんな人物を対象にするのかをじっくり検討する必要があります。
外交儀礼としての必要も言われていますが、国葬は外国の求めに応じて営むものではなく、理屈としては国民が望んで初めて成立するものです。合同葬でも外国の要人は来ているのに、なぜ今回だけ国葬なのか。国葬の是非について世論は見事に割れているのに、それを強行する日本という国が、外国にどう映るのかを考えた方がいいでしょう。
安倍氏の国葬が戦時期のような影響力をもつとは思いませんが、吉田の前例があったから今復活しようとしているように、今回の国葬も遺産となります。山本五十六の国葬が行われたのは80年ほど前、わずか一世代の期間です。安倍氏の国葬が80年後の政権にどう悪用されるか、今の私たちには分かりません。何の安全装置もない国葬の前例を次世代に残すことに非常に強い不安を覚えますし、歴史家として責任を感じます。1990年代半ば以来の、特に安倍政権以降の右傾化の積み重ねの上に今回の問題に至ったと見ています。日本は今、危険な方向に向かっているように感じています。