2022年8月14日日曜日

安倍晋三氏は「神輿」に乗った右派のプリンス 青木理氏が迫る実像

 ジャーナリストの青木理氏(故安倍晋三氏の父方の系譜をたどった『安倍三代』を17年に上梓)とともに、「三代目世襲政治家・安倍晋三」の実像に迫る記事が、AERA 22年8月15-22日合併号に載り、その一部がAERA dot.22/08/13)に紹介されました。

 青木氏によれば、晋三氏が政界入りするまでを知る何十人もの友人同僚上司、恩師らの話を聞くとひどく凡庸で飛び抜けたところのない いい子」で、「政界入りするまでの段階で、彼の口から政治的な話を聞いた人自体が一人もいな」かったということです。
 政界入り後は、「右派にとっては恰好の神輿」で「政界内外の右派はプリンスとして育てた。彼自身、右傾化する時代の気配を読んでそれをあおり、巧みに乗った面もあったのかもしれない」と述べています
 そして02年に史上初めて行われた日朝首脳会談に副官房長官として随行すると以後は拉致問題解決の第一人者として振る舞い、その後は「政界の階段を一気に駆け上った」のでした。しかし実際には拉致問題は全く進展しませんでした。途中で「北」から重大な事実が伝えられましたが、安倍氏は自分の立場が不利になるとしてそれを被害者家族や国民に秘匿した結果、一歩も事態が進展しなくなったという話も聞きます。そういう点では決して「凡庸」ではなく十分に狡猾で、公私混同を厭わなかったのでした。
 第2次安倍内閣で、「戦後の歴代政権がかろうじて堅持してきた大切な約束事を片っ端から破壊、それによって日本の民主的な構造が破壊され、いまや大いに右傾化したことは言うまでもありません。

 ところで安倍氏と同郷の芥川賞作家田中慎弥氏が、15年2月に安倍氏をモデルにしたと思われる小説『宰相A』を上梓しています。田中氏は地元のイベントで一度安倍氏と対談をしていてそれを13年に「週刊新潮」に『再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝の名は「安倍晋三」』を寄稿していました。
 15年にLITERAが、『安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ』という記事を出しました。水井多賀子氏はその記事を、「自分の弱さを否定するために、戦争への道をひた走る首相。──『宰相A』で描かれた恐怖は、いま、まさに日本で進行している現実である」という言葉で結んでいます。
 いわば文学者が直感で透視した安倍晋三像ということが出来、当ブログでも下記で紹介していますので、興味のある方はご覧になってください。
    ⇒(15.3.25)「宰相 A」 安倍晋三の実像と虚像
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
安倍晋三氏は「神輿」に乗った右派のプリンス ジャーナリスト・青木理が迫る実像
                          AERA dot. 2022/08/13
 安倍晋三元首相の銃撃事件は多くの人に衝撃を与えた。晋三氏の父方の系譜をたどった『安倍三代』の著者でジャーナリストの青木理さんとともに、「三代目世襲政治家・安倍晋三」の実像に迫った。AERA 2022年8月15-22日合併号の記事から紹介する。
                *  *  *
──安倍晋三氏の国葬に反対する意見の一つに、政治家としての評価が定まっていない、との指摘があります。晋三氏をどう評価していますか。
 私は政治記者ではありませんから、晋三氏が政界をどう遊泳し、自らの政治姿勢をどう固めたかは知りません。ただ、政界入りするまでを知る何十人もの同級生、友人、恩師、上司、同僚らに会って話を聞くとひどく凡庸で飛び抜けたところのない「いい子」。たまたま名門世襲政治一家に生まれたお坊ちゃまにすぎず、そうでなければ政治家になることもなかったでしょう。実際、小学校から大学、そして“政略入社”した会社員時代を含め、彼が政治家を志すに至ったと捉え得るようなエピソードは皆無でした。『安倍三代』で描いた通り、祖父寛氏や父晋太郎氏にはエピソードが詰まっていましたが、取材を尽くしても晋三氏には一切ない。それどころか政界入りするまでの段階で、右とか左とかの以前の話として、彼の口から政治的な話を聞いた人自体が一人もいないのです。ある意味、ゾッとするほど空っぽでした。

■右傾化する時代の気配、風をとらえ巧みに乗った
──晋三氏は小中高、大学まで東京の成蹊学園でエスカレーター式に進学。就職も「政略入社」。政治家になった後も、右派政治家や宗教右派の神輿に乗ってきた人という印象があります。
 彼自身がどう考えていたかはともかく、右派にとっては恰好(かっこう)の神輿(みこし)だったでしょう。私の取材に応じた妻昭恵氏は、夫が首相に上り詰めたことを「天のはかり」「天命」といった独特の表現で評してましたが、戦後日本の右派政治に大きな足跡を残した岸信介の孫という圧倒的ブランドをまとって名門政治一家に生を受けた彼を、政界内外の右派はプリンスとして育てた。ひょっとすれば彼自身、右傾化する時代の気配を読んでそれをあおり、巧みに乗った面もあったのかもしれません

──晋三氏が日本を右傾化させたのか、右傾化した日本社会の神輿に晋三氏が乗ったのか。
 双方でしょう。僕の取材体験を重ねあわせれば、2002年に史上初めて行われた日朝首脳会談は、政治家としての彼と戦後日本の大きな転機になりました。故金正日(キムジョンイル)総書記が日本人拉致の事実を認め、謝罪した。このときソウルで取材していた私に先輩記者が漏らした台詞(せりふ)は印象的でした。「中国や朝鮮半島との関係の中で、日本が戦後初めて“被害者”になったな」と。つまり、戦後一貫して加害者として謝罪や反省を求められた日本の立ち位置が変わった。もちろん拉致は断じて許されざる国家犯罪とはいえ、それに手を染めた北朝鮮はいくら罵(ののし)っても構わない対象となり、同時に戦後も一貫して燻(くすぶ)っていた朝鮮半島への差別心なども噴き出した。「いつまで謝罪を求められるんだ」という鬱屈(うっくつ)に歴史修正主義的な風潮までが一挙に噴出するバックラッシュ現象が起きたのです。
 その対象は直ちに韓国や在日コリアンにも広がり、マンガ『嫌韓流』の発刊が05年、在特会(在日特権を許さない市民の会)の出現が06年。その契機になった会談と以後のムードに乗って晋三氏が政界の階段を一気に駆け上ったのは象徴的でした。彼が右傾化をあおった面は間違いなくあるけれど、彼自身が時代の風を捉え、それに巧みに乗ったともいえるというゆえんです。

■戦後の歴代内閣の約束事、片っ端から破壊した
──『安倍三代』を取材、執筆されたのは安保法制の議論がピークのときでしたが、その後、晋三氏に対する評価で変わった部分はありますか。
 変わりません。今回のような形で亡くなったのは痛ましくても、それと政治家としての評価は別です。特に僕が問題視しているのは、戦後の歴代政権がかろうじて堅持してきた大切な約束事を片っ端から破壊した点です。
 いわゆる安保法制でいえば、公権力の行使者を縛る憲法の解釈を一内閣の閣議決定でひっくり返した。その過程では、内閣法制局長官を自らに都合のいい人物にすげ替えた。政府からの独立性が求められる日銀総裁やNHK会長などもそう。そして国権の最高機関たる国会では百何十回も嘘(うそ)をつき、少数派でも一定の有権者の支持を得て議席を占める野党を「悪夢」などと罵り、権力監視が役割のメディアを露骨に選別し、敵とみなしたメディアには陰に陽に圧力をかける。挙げればキリはありませんが、歴代の政権がかろうじて堅持してきた民主主義の矜持(きょうじ)を次々なぎ倒して平然としていた。その罪はあまりに重い。

──『安倍三代』でインタビューに応じた、成蹊大学の宇野重昭・元学長が同様の指摘をしていますね。教え子の一人だった晋三氏について「はっきり言って彼は、首相として、ここ2、3年ほどの間に大変なことをしてしまった」と語り、安保法制に関しては「憲法解釈の変更などによって平和国家としての日本のありようを変え、危険な道に引っ張り込んでしまった。国民も、いつかそう感じる時がくるでしょう」と述べています。台湾有事が話題になっていますが、安保法制に基づく「存立危機事態」が適用されるようなことがあれば、そのとき国民は晋三氏の負の遺産を思い知ることになるのでしょうか。
 ええ、アベノミクスなる経済政策なども同様でしょう。これは安倍政権だけの責任ではないものの、長期の経済低迷から抜け出せず、産業構造改革もイノベーションも起きないまま、ひたすら金融緩和に突き進んで日銀は国債を膨大に抱え込んだ。各国の中央銀行が利上げに舵(かじ)を切り、円安が急進展しても日銀が動かないのは、もはや手足を縛られて動けないのが実態でしょう。やってる感だけは振りまいて何の成果もなかった対ロ、対北外交などを含め、安倍政権には誰もが認める政治的遺産などないというのが実情です。 (構成/編集部・渡辺豪)
         ※AERA 2022年8月15-22日合併号より抜粋