2018年6月24日日曜日

安倍政権が「終わる瞬間」はいつなのか(山下祐介教授)

 山下祐介・首都大教授(社会学)が「安倍政権が『終わる瞬間』はいつなのか?」と「『事実を頑なに認めない』安倍総理を支える力の正体」の、二つの論文を現代ビジネスに載せました。両者は一対のもので前者が「前編」、後者が「後編」です。
 
 安倍首相が森友・加計学園問題に関与していると思っている国民は80%に及んでいます。通常であれば疑惑を招いたこと自体が不徳の致すところとして勇退するものですが、安倍首相は頑なに非を認めずに、野党から攻撃されると「証拠を出してくれ」と色をなすという具合です。
 官僚たちが首相の私情を忖度して行政を曲げるのは明らかな不正ですが、首相の側がそのことで全く怯まないのは、かつて従軍慰安婦を取り上げたNHK番組への介入事件で、相手が自分の意向を忖度して行ったことでは非を咎められることはないという成功体験を持っているからです。
 
 山下教授は、財務省「森友事件文書改ざん報告書」は「どう読んでも、森友学園問題をめぐる財務省文書改ざん事件に安倍首相との関わりがないとはいえない内容になっている。首相には明らかに関わりがあり、責任がある。関わりはなかったではすまない」と明言する一方で、安倍首相側頑なに関与を否定している以上、森友問題については、この先を突き詰めてもこれ以上の話は出ないのかもしれない。首相からの指示もなかったのだろう。森友学校建設も挫折することとなったのだから、国民としてはひとまずよしとする」しかないとています。
 
 もう一つの加計学園問題については、安倍首相は2017年1月20日に国家戦略特区の事業者として加計学園が認められたときにはじめて応募を知ったのだという口実で、一切の関与を否定しています認可の申請を知らなかった以上関与をする筈がないという論理なのですが、「あまりにも不自然(山下教授)」
 そこに、2015年2月25日に安倍首相と加計孝太郎氏が会い、安倍首相が「(獣医学部の構想は)いいね」と言ったという加計学園側からの説明があった、との愛媛県側からのメモが出されたので大問題になったのですが、それも、加計学園のその説明は虚偽であったということで終わりにしようとしています。
 
 山下教授は、加計学園の発言が虚偽だったという説明は「安倍首相の発言とつじつまを合わせようとするさらなる嘘に違いないと多くの人が思うのは当然」として、仮に学園側の釈明を認めるにしても「首相の友人がまさに友人であることを利用して何かを成し遂げようとしたことになるし、「もはや安倍首相か、加計孝太郎氏(および加計学園)かのどちらかが嘘をついていることになっており、そのどちらに転んでも安倍首相に責任が帰着するとしています。
 そして、「加計学園が開学でき、京都産業大学が開学できなかった一連の流れを見て『安倍首相のお友達だから利権を得られたのだと思わない方が無理というものだ』とも述べています。
 
 前編は次のように締めくくられています。
だとすれば、問いは二つになる。なにゆえ、そこまで追い詰められているのにもかかわらず、安倍首相は自己の政権に固執するのか。これが第一の問いだ。
 そして第二に、もっと重要な問いがある。本来であれば総辞職すべきような案件が山積みになっているのにもかかわらず、なぜまわりは総理に「もうやめたらよかろう」と後押しせず、いつまでもこれを守ろうとするのかである。
 後編ではこの二つの問いについて、さらに考えてみたい。
 
 後編には前文をつけませんが、意表を突く展開が行われます。
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安倍政権が「終わる瞬間」はいつなのか?
 ~森友調査報告書を精読する  区切りがついた、わけがない 
山下 祐介 現代ビジネス 2018年6月23日
首都大学東京教授 社会学者
財務省「森友事件文書改ざん報告書」を読む
平成30年6月4日、財務省による森友学園問題をめぐる公文書改ざんに関する調査報告書が公表された。その数日前の5月31日には大阪地検特捜部がこの問題について財務省職員らの不起訴処分を発表している。
これらにより、森友問題については一つの区切りがついた。一応、そういうことになっているようだ。
また加計問題についても6月19日、ついに渦中の加計孝太郎理事長が記者会見を行った。この会見のあり方には批判が高まっているが、加計氏の答弁でやはり安倍総理の関与はなかったことが裏付けられたと、官邸ではそういうふうに進めたいようだ。
 当然、これらの問題に対し野党からは反論の声が続いている。
とはいえ、これまでを超えるような新たな事実が暴露されない限り、もうこれ以上、状況が変わることはなさそうだ。そしてすでに新しい事実はつきたかのようにも見える。
だが、これでモリカケ問題は決着ということでよいのだろうか。
いや、これほどまでに色々なことが明らかになっているのに、なぜモリカケ問題がいつまでも問題ではないことになっていくのか。このことをあらためてよく考えてみたいと思う。
まずは財務省による「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」をどう位置づけるか、今一度そこから検討してみたい。
というのも、この報告書については「内部調査の限界」が強く指摘され、問題を起こした財務相自身の調査では何も明らかにならない――と、そういう否定的な面ばかりが強調されたような気がするからだ。
だが、あらためて読んでみると、この報告書には内部調査だからこその自己批判がかなり色濃く潜んでおり、財務省の立場からすればかなり踏み込んだ表現になっていることをもっと評価した方がよいように思える。
そういう文脈で読むことでこそ、この問題を含めたモリカケ問題の本質が理解できてくるような気がするからだ。
財務省の報告書は、財務省のホームページに全文が掲げられており、誰でも読むことができる。
まずはこれまで、公式には「文書書き換え」と表現してきたものが、ここでははっきりと「改ざん」という言葉で表現されている。恥ずべき「改ざん」を財務省が認めたのである。
また、佐川理財局長なのか誰の指示なのかは明確にはなっていないものの、かなり手の込んだ複数人数による組織的な文書の改ざん、事実の隠蔽が確認されている。
そしてそこには少なからぬ職員の抵抗(とくに近畿財務局)があったことも明確に記されている。
なにより、2017年2月17日の安倍晋三首相の国会での発言をきっかけに、ものごとが発したことを財務省が認めた
報告書の15頁に「平成29年2月17日(金)の衆議院予算委員会における内閣総理大臣の上記答弁以降」様々な作業が開始されたと明確に記されているのである。
そしてこの日に安倍総理が行った発言こそ、「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」というものであった。
 
ふつうに読めば総理の「関わり」はある
この最後の点について、その後の麻生太郎財務大臣の国会答弁では、「総理答弁が問題行為のきっかけになったとは考えていない」と安倍総理や昭恵夫人の関係を否定してきた(6月5日衆議院財政金融委員会)。
しかし素直に報告書を読めば、この文書の書き手が改ざんのきっかけをこの発言においているのは明らかだ。そう読まない方がおかしいだろう。
公文書の中に首相夫人である安倍昭恵氏の名前があり、それを表に出さないよう隠したのが改ざん事件の核心であることを財務省が認めている。
こんなところに安倍昭恵夫人が登場していなければ、公文書改ざんなどという異常事態は生じなかったし、国会の空転などということもおきなかったと。
安倍総理はむろん、依然として自身の「関わり」を否定している。
しかし「関わり」という意味では、この報告書では明確に首相夫人との関係が確認されており、どう読んでも、森友学園問題をめぐる財務省文書改ざん事件に安倍首相との関わりがないとはいえない内容になっている。この事実を、私たちはこの文書からしっかりと拾い上げなくてはいけない。
ある土地取引の案件に、首相夫人が強く肩入れをはじめた。それもその学校当者が夫人との関係を強調するにとどまらず、夫人との親しげな写真を示された上に、夫人付の職員から具体的な問い合わせまであった――このことが財務省の仕事を混乱させたことを財務相自身が認めているのである。
この責任は財務省にあるとはいえまい。たとえ悪気はなくとも、夫人が「李下に冠を正す」から、官僚たちの文書改ざんなどというおかしなことが起きるのである。
安倍総理には、総理として官僚装置を適切に動かしていく重大な責任がある。にもかかわらず、そこに不用意に夫人を近づけた(夫人が近づいた?)ことで生じた問題だ。
首相には明らかに関わりがあり、責任がある。財務省では一人が亡くなり、各方面から有能といわれた官僚が一人(二人?)、この件で辞めているのである。
「関わりはなかった」ではすまない。報告書はそのことを、今の財務省の立場上、可能な限りの記述で国民にうったえているように筆者には見えるのだ。
念のために述べておけば、この報告書は、森友学園が購入した土地の価格算定については何の検証も行っていない。
そしてこの土地取引の不当な値引き疑惑については大阪地検特捜部が立件をあきらめたのだから、法的には問題はないのかもしれない(ただし検察審議会での審議は残っている)。
しかし、たとえそうだとしても、財務省という我々国民にとって大切な精密装置に異常な作動を引き起こしたという現実は重く残る。
6月19日には会計検査院がこの改ざんについて検査院法違反であるとの経過報告も出した。総理はその責任を避けては通れないはずだ。
 
加計問題「新しい獣医学部の考えはいいね」の波紋
とはいえ、森友問題については、この先を突き詰めてもこれ以上の話は出ないのかもしれない。財務省理財局内でも明確な指示がなく、「空気」で物事が進んだということだから、首相からの指示もなかったのだろう。
そして森友学園では元理事長の籠池泰典氏が詐欺罪等で起訴され、長期拘束の憂き目にもあい、学校建設も挫折することとなったのだから、国民としてはひとまずよしとしよう。
問題はやはり、すでにこの4月に開学してしまった加計学園の獣医学部の方が大きいだろう。
そしてお友達としては、籠池氏とは比較にならないほど安倍総理と加計学園理事長の加計孝太郎氏は親しいのであり、度重なる二人の会合の記録が残っていて、つねにゴルフや会食をともにしている普通ではない仲なのである。
しかもこのところわかってきたことには、加計学園側では、愛媛県と今治市に加計理事長と安倍総理の架空の面談までもちだし、総理が「新しい獣医大学の考えはいいね」と言ったという作り話までしたのだという。
愛媛県の文書に残っているこの打ち合わせ内容が、学園の事務局長によれば「その場の雰囲気で、ふと思ったことを言った」ものなのだそうで、このことを加計孝太郎理事長も会見で確認し、「これから気をつけます」と述べている。自身の監督責任も認めて、給与の一部自主返納までするのだという。
この件もまた、どう転んでも安倍総理には分の悪い話だ。
2015年2月25日に総理が加計孝太郎氏と会って話をしていたとすれば大問題だが、事務局長がいうとおり加計学園が愛媛県や今治市にそんな嘘を言っていたのだとしたら、それはそれでやはり大問題だからだ。首相の友人がまさに友人であることを利用して「何かを成し遂げよう」としたことになる
そして愛媛県の記録によれば、加計氏はこのときすでに愛媛県などよりずっと政権にアクセス可能な立場にいたことも明らかだから、その嘘は単なる弾みの言葉ではすまない作用を愛媛県や今治市に及ぼし、結果として96億円もの交付金が動いたことになろう。
友人である加計孝太郎氏(ないしはその部下)が、首相との仲を利用して愛媛県や今治市を騙し、内閣府や首相官邸に入り込み、自分たちの利益になるよう画策した。
たとえ本人が知らないことであっても、そんなところに友人を近づけることを許したということにおいて、首相には十分に責任があるわけである。
すでに加計学園は開校し、新入生が勉学をはじめている。他方で同様に獣医学部開設を企画していた京都産業大学は開校できなかった。
加計学園が開学でき、京都産業大学が開学できなかった経緯には、「いいね」の話から数ヵ月後の6月30日に閣議決定された獣医学部新設の4条件が深く関わっているとも報道されている。
この一連の流れを見て、「安倍総理のお友達だから利権を得られたのだ」と思わない方が無理というものだ。
このプロセスは周到に積み上げられたようだから、法的には問題はないようにできているようだ。だが、政治的には問題がないとはいえまい。その決定には少なくとも総理がらみの「嘘」が紛れ込んでいるのだから。
 
どちらかが嘘をついている
だがどうもみんながおかしいと思っているのは、やはり安倍首相が2017年7月24日に国会で行った答弁なのである。
報道によればこの間、加計理事長と食事やゴルフをともにしているにもかかわらず(「安倍晋三首相と加計孝太郎氏、食事やゴルフ14回 「食事代、先方が支払うこともあった」安倍首相」ハフポスト日本版、2017年7月24日付)、加計学園が国家戦略特区に応募しているのをずっと知らなかったのだという。
そして、2017年1月20日、国家戦略特区の事業者として加計学園が認められたときに、はじめて応募を知ったのだという。
あまりにも不自然である。
先の加計学園事務長のいう「その場の雰囲気で、ふと思ったことを言った」というコメントは、安倍総理のこの発言とつじつまを合わせようとするさらなる嘘に違いないと多くの人が思うのは当然だろう
そもそも1月20日、総理はその事実をどのように知ったというのだろうか。
誰かが「加計さん通りましたよ」とでもいったのだろうか。
あるいは決裁文書の中に「加計学園」があったのを見つけたのだろうか。その時、驚いた総理の反応をまわりはどう受け止めたのだろう。
「なんだ、加計君だったのか。ははは。知らなかったよ」とでも言ってなければおかしいはずだ。誰かそれを証言してくれるのだろうか。
ふつうであればこの事件は、まわりの親しい誰かが「お前、本当は知ってたんだろう。いい加減なことをいうなよ」と言ってそれでおしまいの話である。
だが、それを誰もいわない。本人が嘘を認めればよいように思うが、国会の答弁で総理が嘘をついていたとなれば大問題だ。簡単には認めることはできまい。
もちろんこの国の総理が嘘をついているとは思いたくない。
だがもはや安倍首相か、加計孝太郎氏(および加計学園)かのどちらかが嘘をついていることになっており、そのどちらに転んでも安倍首相には責任が帰着する。
いったいこの先どうするつもりなのだろうか。
 
安倍政権を支えるものとは?
ここまでの議論をまとめればこういうことだ。
森友と加計の二つの事件をめぐって安倍総理の政治責任は明らかである。
法的に問題はなくとも――いやそうであればこそ――政治的には問題がある。政治はこういう点で清潔でなければならない。総理はあまりにも脇が甘すぎる。
これではこの先何が起きるかわからない。
多くの人がそういっているように、森友事件は「安倍総理夫人が関係しているのは明白」である。
また加計問題も「総理との特別な関係をその友人(ないしはその部下)が利用したことは明白」だ。
この不都合な真実を安倍総理が認めないから、国会がいつまでも空転しつづけているのである。
しばしばこの問題、これを追及する野党に批判が及ぶが、「いつまでモリカケやっているのだ」という批判はどう考えてもおかしいだろう。
というのも、すでにもう事実は明らかだからだ。その明らかとなっている事実を、総理が認めないから、いつまでたっても話が終わらないのである
とはいえ野党は野党で、例えば森友問題については麻生財務大臣の責任追及にばかり矛先を向けたことから、なかなか国民の支持が得られなくなったようにも思う。この戦略に多くの国民が苛立ちを覚えたのは事実だろう。
森友も加計も、いずれも麻生太郎財務大臣からはじまったものではない。財務省の監督責任はあるにしても、すべての原因は安倍総理にある
むしろこの件でクリーンな麻生大臣を悪者にし、責任をとらせようとする野党の戦略こそが、安倍内閣の支持率低下を押しとどめているかもしれない。
問題は安倍総理であり、あるいはその周辺にある。総理のまわりに嘘が渦巻いている。財務省も、加計学園も、そしておそらく内閣府まで。そしてそのすべての発端は安倍総理にある。
筆者から見れば麻生大臣はその意味で潔癖であり、見方を変えればそれが今の政権を維持している最大の楯なのであろう。
他方で、その楯をつぶせば安倍内閣は終わりと見て執拗に狙っているのが野党の戦略ということなのだろうか。
とはいえ事実、一見強靱に見える安倍内閣も、実態は首の皮一枚でつながっているのではある。それは麻生大臣の辞任で即崩壊するものだから、野党も麻生大臣の責任追及をひたすら狙ったのだろう。
いや、脆いということでは実は、加計孝太郎氏や安倍昭恵夫人、場合によっては昭恵夫人付であった谷査恵子氏の証人喚問が実現しただけで、その証人喚問の実施を待たずして安倍内閣は総辞職するはずだ。
事実、6月19日の加計孝太郎氏の記者会見は、とても国会の質疑にたえられるようなものではなかった。
 
重要な二つの問い
さて、こうしてみればこれらの事件の本当の核心は、安倍総理が森友事件に直接関わっているかとか、加計学園の獣医学部設置を総理が事前に知っていたかということではない。
国民のほとんどがわかっているように、森友事件に安倍夫人は関わっており、獣医学部の新設においても総理と友人とのただならぬ仲が関わっているのである。
首相の直接的な「関わり」は実際には小さくても、夫人や友人は明確に関わっており、「関わり」はなかったとはいえないものである。
しかも加計問題ではだれかが嘘をついており、それを確認する場が野党からも、メディアからも、国民からも求められている。
そしてそれを確認する場ができた瞬間に、おそらく安倍内閣はおわる――すでにそこまで追い詰められてはいるわけだ。
だとすれば、問いは二つになる。
なにゆえ、そこまで追い詰められているのにもかかわらず、安倍首相は自己の政権に固執するのか。これが第一の問いだ。
そして第二に、もっと重要な問いがある。
本来であれば総辞職すべきような案件が山積みになっているのにもかかわらず、なぜまわりは総理に「もうやめたらよかろう」と後押しせず、いつまでもこれを守ろうとするのかである。
後編ではこの二つの問いについて、さらに考えてみたい。
(何が総理の甘えを生んでいるのか? なぜ国民は安倍政権を支持するのか? 後編では、“事実を頑なに認めない”安倍総理を支える力の「正体」に迫る)