2018年6月19日火曜日

安倍首相は日朝交渉をやる気なし  “北朝鮮にだまされない”とは

 安倍首相にとって拉致問題は早急に解決すべきものではなく、ひたすら自分にとって有利に「利用すべきもの」であるようです。事実これまでがそうでした。
 拉致問題は当人とその家族・関係者にとって文字通り死活的に重大な問題なので、絶対にそんな風に扱われるべきではありません。
 
 米朝首脳間で宥和が図られ、拉致問題をめぐり日朝交渉を行う上での障害は取り除かれましたが、何故か政府は直ちに取り組もうとはしていません。
 日朝会談を9月の総裁選の前にやるというのと総裁選より後に延ばそうという、二つの考え方があります。
 その分岐点は、単に日朝会談をやることが安倍首相にとり総裁選が有利になるか否かで、有利であれば総裁選の前にやるし、逆であれば出来るだけ先に延ばすということです。
 17日、西村官房副長官「8月や9月までにやるのは難しい」と述べました。それは日朝会談をやっても直ちに解決には至らないという見方をしているということです。
 
 官邸はいま「拉致被害者を取り戻せるのは、これまで北朝鮮と渡り合ってきた安倍首相しかいない」というストーリーを拡散させる一方で、その安倍首相をもってしても拉致問題を解決するのは至難の業で、解決できなくてもやむを得ないという意識を浸透させようとしています。
 安倍首相日朝交渉の担当窓口に、官邸のアイヒマンと呼ばれ、謀略情報操作を得意とするだけで北朝鮮とのパイプなど全くない北村滋内閣情報官を充てたのは、北朝鮮に関するいろんなマイナス情報をマスコミにリークさせ、拉致解決できなくてもやむを得ないという空気を作るためと言われています。
 全ては自分が傷つくことを避けられればそれでいいという、徹底した拉致被害者不在の考え方です。
 
 ところで官邸は「安倍首相が拉致問題解決の最適任者」だと宣伝する根拠として、彼が2002年10月に蓮池薫さんら拉致被害者5人「一時帰国」したときに、「彼らを北朝鮮に戻すべきでない」と言い出したということと、2002年9月、小泉純一郎首相と金正日総書記との日朝首脳会談と平壌宣言をめぐって、「『金総書記が謝罪しなければ席を立って帰国しましょう』と小泉首相に直訴した」のが安倍副官房長官(当時)であったという二点を挙げています。しかし、それらは安倍氏自身が「リーク」の形でメディアに語った事柄で、いずれも虚偽であることが明らかにされています。
 
 詳細はリテラが報じるとおりですが、自分の手柄にするために平気でウソをつく人間性は、そこでも明らかにされています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
安倍首相は日朝交渉やる気なし! 
北とのパイプない北村内閣情報官を担当にすえ “北朝鮮にだまされない俺”
キャンペーン
LITERA 2018年6月18日
 また安倍首相の“北朝鮮やるやる詐欺”が始まった。安倍首相は、16日に生出演した『ウェークアップ!ぷらす』(読売テレビ)で日朝首脳会談について「拉致問題の解決に資する会談にしないといけない」と述べ、前向きな姿勢をアピールした。しかし一方で、西村康稔官房副長官は17日朝、『報道プライムサンデー』(フジテレビ)に出演し、「(日朝会談を)8月や9月までにやるのは難しい」と漏らした。こちらが安倍首相の本音だろう。
 ようするに、日朝会談をやるというポーズはとっているものの、実際にやって全面解決ができなければ、政権に大きなダメージとなり、自民党総裁3選もおぼつかなくなる。そこで、9月の総裁選よりあと、できればもっと先に伸ばしていく作戦らしい。
 
 そして、この“やるやる詐欺”を隠すために、官邸はいま、御用マスコミに「拉致被害者を取り戻せるのは、これまで北朝鮮と渡り合ってきた安倍首相しかいない」というストーリーを拡散させるよう、大号令をかけている
「たしかに、安倍首相の側近たちがここにきて一斉に『北朝鮮に騙されず交渉できるのは、安倍首相しかいない。小泉訪朝のときも安倍さんがいたから北朝鮮に騙されずに5人を取り戻せた』と、当時の安倍首相の活躍をやたら語り始めています。ようするに、今後、北朝鮮との交渉が遅々として進まない状況が起きても、それは安倍首相が北朝鮮に騙されないように慎重にやっているからだ、というエクスキューズに使うつもりなのでしょう」(全国紙官邸担当記者)
 
 賭けてもいいが、「正論」(産経新聞社)や「月刊Hanada」(飛鳥新社)、「WiLL」(ワック)などの応援団メディアは今後、必ずや「拉致問題を解決するのは安倍首相しかいない!」「安倍首相がいかに果敢に北朝鮮と戦ってきたか」とのキャンペーンを展開していくだろう。“拉致タブー”に縛られたテレビも、こうした大合唱を追従するはずだ。
 いや、すでにそれは始まっているのかもしれない。たとえば15日には、産経新聞が朝刊の一面で「北との会談 私の番だ」「私はだまされない」なる唖然とする大見出しを打った。記事によると、安倍首相が14日に「北朝鮮による拉致被害者家族会」のメンバーと官邸で面会した際、〈「私は北朝鮮にだまされない。1994年から拉致問題に取り組んできたが、何度もだまされてきた。北朝鮮のだましの手口は分かっている」と強調〉したという。なお、この面会自体は他紙も報じているが、安倍首相のこの「だまされない」発言を報じたのは産経だけだった。
 
羽鳥慎一が紹介した安倍首相武勇伝を蓮池透氏が「真っ赤なウソ」と
 さらに15日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)では、拉致問題の歴史を振り返る説明のなかで、2002年10月の拉致被害者5人の「一時帰国」について、MCの羽鳥アナウンサーがフリップを使いながらこのような解説を入れていた。
「安倍総理はこの当時、官房副長官でした。このときに、帰ってきた5人に対して『絶対に(北朝鮮に)戻したらだめだ』と。これを戻したら2度とあの5人は戻ってこないということで、安倍さんが結局、戻さなかったんです」
 前後の流れとは関係なく、帰国しなかったというエピソードが安倍首相の手柄としてわざわざ語られたのは、明らかに不自然だった。
 もし、安倍官邸が“やるやる詐欺”をごまかすために「拉致の安倍」エピソードを再び喧伝しようとしているのならば、あらためて釘を刺しておかなければならないだろう。実は、こうした安倍首相の北朝鮮武勇伝は、ほとんどが安倍氏自らが吹聴した自己宣伝のデタラメである。
 その典型が、前述の『モーニングショー』が紹介した「安倍首相が拉致被害者5人の北朝鮮への帰国を止めた」という話だ。
 
 たしかにこのとき、日本政府は当初、拉致被害者5人は一時的な帰国であり、その後北朝鮮に戻すと約束していたが、結果的に5人が日本に「永住帰国」する決断をしたという経緯があった。そして、マスコミでは「安倍官房副長官(当時)が止めた」という話がまことしやかに報道され、安倍首相自身もFacebookで“帰さないという自分の判断は正しかった”と書き込むなど、あたかも自分の手柄のように吹聴してきた。
 しかし、これはまったくの嘘である。このことを著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)のなかで告発したのは、当時、拉致被害者である蓮池薫さんたちと行動をともにしていた兄の蓮池透氏だ。透氏は今回、本サイトに改めてこう語った。
安倍さんが弟たちを北朝鮮に返さないように説得したというのは、真っ赤なウソです。少なくとも弟を説得したのは私であり、安倍さんではありません。当時の官房長官だった福田康夫さんが朝日新聞のインタビューで、2002年の10月23日の夕方に安倍さんが官房長官室に飛び込んできて、『携帯で全員の確認を取りました。帰らなくてもよいということでした』という報告を受けたと言っているのですが、私や弟にそんな電話はなかった。そのとき私は弟たちと新潟の温泉宿にいましたが、安倍さんからの連絡なんてひとつもなかったんですから」
 
身内の自民党市議も「安倍さんは拉致被害者に一度北朝鮮に戻るべきだと話をした」
 透氏によれば、安倍氏は一貫して一時帰国した5名を北朝鮮に戻すとの既定路線を主張し、日本政府はスケジュールを変更できないものとして進めていたという。もし、安倍氏が政府方針に逆らってでも「帰さないという判断をした」というのならば、拉致被害者や家族に対して、その気持ちを暗に伝えたり意思確認するなど何かしらのアプローチがあってしかるべきだ。しかし、安倍氏はそうした行動を一切起こしていない。透氏が当時の状況を振り返りながら続ける。
「断言しますが、当時の安倍さんから『本当は、私は薫さんたちを北朝鮮に戻したくないと思っている』というような言葉を聞いたことは、一度たりともありませんでした。一度もです。弟にとっては、このまま日本に留まり親兄弟をとるか、北朝鮮に戻り子どもたちをとるか“究極の選択”を迫られたのです。生きるか死ぬかというような本当に大きな問題。私は弟を何度も必死で説得しました。それも弟のみならず、国家、マスコミ、多くの国民の皆さんを向こうに回しての本当に孤独な闘いでした。最終的に弟は『北朝鮮には戻らない』と決断してくれた。これは日本政府の方針に逆らうものでしたが、あえて本人の口からその意思を日本政府に伝えたのです。決して安倍さんに説得されたものでも、意向に応えたものでもありません。その葛藤のなかで、もし安倍さんが一言でも『北に戻したくない』と声をかけてくれていたら、どんなに救われたでしょうか。仮定のことを言っても仕方がないですけど、とにかく、安倍さんが弟たちを止めたというのは事実無根です。なのに、新聞でもテレビでもいまだに『安倍総理が戻さなかった』と言い続けている。マスコミの騙されかたをみていると心底残念です。私と弟の闘い、互いの苦悩の末やっとの思いで到達した“決断”を、自分の売名のために安売りすることは非常に不愉快で許されません」
 
 しかも、これは透氏だけが証言していることではない。安倍氏の身内である自民党所属の札幌市議・勝木勇人氏も、2003年1月30日の自身のブログで、当時の安倍氏の言動についてこのように記していた(後に掘り起こされ騒ぎになった後、現在は削除)。
(安倍晋三氏は)地村さんたちには、最初、「とにかく一度北朝鮮に戻って、子供を連れて帰国するべきだ」という話をしたそうです。しかし、地村さんたちは、この申し入れを断固拒否したそうです。「一度、戻ったら、二度と帰国はできない」ということだったそうです。「私(安倍)他、政府の人間がたくさん同行すれば、変なことにはならないでしょう」と言うと、「みんなで一緒に行っても、突然銃をもった者が部屋に入って来て、我々を引き離そうとしたら、どうしますか? 安倍さんたちは、その場で何ができますか? 自衛隊も一緒に行ってくれるなら話は別ですが、」と言われ、結局、彼らの言うとおりにしたそうです。〉(現在は削除)
 
 これは同年の1月14日に札幌で行われた「安倍晋三先生を囲む会」に出席した勝木市議が、その席で安倍氏自身が発言した内容として紹介しているものだ。つまり、当時、安倍氏は地村保志さんら拉致被害者に対して「とにかく一度北朝鮮に戻れ」と言ったことを自ら認め、しかも周辺に吹聴していたことになる。つまり、「安倍氏は一貫して5人を北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた」という蓮池透氏の証言にピタリと一致するのである。
 
元公安で北とのパイプない“官邸のアイヒマン”北村滋内閣情報官抜擢の理由
 しかも、安倍氏の拉致問題をめぐる“武勇伝”の嘘はこれだけではない。2002年9月、当時の小泉純一郎首相と金正日総書記による日朝首脳会談と平壌宣言をめぐっても、「安倍氏が『金総書記が謝罪しなければ席を立って帰国しましょう』と小泉首相に直訴した」なる武勇伝が新聞やテレビでばらまかれた。
 しかし、本サイトでも何度も伝えているように、これも事実ではなかったのだ。日朝首脳会談をセッティングし、会談にも同行した田中均・アジア大洋州局長(当時)が、後にフリージャーナリストの取材に対して、安倍氏が署名見送りの進言をしたと発言したことは「記憶にない」と証言している。田中氏はその際、そもそも金総書記が拉致を認めて謝罪しなければ平壌宣言に署名できないのは会談関係者全員の基本認識だったから、わざわざそんなことを言う必要もなかった、という趣旨の解説もしていたという。
 
「対北朝鮮強硬派」「闘う政治家・安倍晋三」の印象を与える、この有名すぎる逸話も、実のところ偽の情報だったのだ。しかも、その発信源は安倍氏本人だった。実は当時、官房副長官だった安倍氏は帰国後のオフレコ懇談で「僕が首相に言ったんだよ。共同調印は見直したほうがいいって」などと各社に語っていたのだ。このことは複数記者のオフレコメモからも確認されている。
 そして、安倍氏はこうした自己宣伝と同時に、日朝首脳会談実現の立役者である田中氏について「北朝鮮の意向で動いている」といったマイナス情報をリーク、世論を煽り、田中氏を悪者に仕立て上げ、拉致問題の主導権を自分の手に握ってしまったのだ。
 ようするに、拉致問題で一躍脚光を浴び、総理への階段を駆け上がった安倍氏だったが、実際にはあらゆる手柄を横取り・独り占めにし、でっち上げを拡散して、自分の権力掌握のために政治利用したにすぎない。その結果、拉致問題は安倍氏の意向どおり、圧力一辺倒になり、まったく解決のメドもたたないまま野ざらしにされてきたのである。
 
 そして、それから16年たったいまもまた、安倍首相は拉致問題を本気で解決するのでなく、情報操作を使ったごまかし、政治利用を行おうとしている。
 それは、これまで指摘してきた過去の北朝鮮武勇伝デマの再利用だけではない。安倍首相は日朝交渉の担当窓口に、なんと自らの最側近で、謀略情報操作を得意とする“官邸のアイヒマン”こと北村滋内閣情報官を抜擢したらしいのだ。
「この人事には、我々も驚きました。北村氏は元公安でむしろゴリゴリの反北朝鮮ですから、対話のパイプなんてもっているはずがない。むしろ、北朝鮮の反感を買うだけ。にもかかわらず北村氏を日朝交渉担当にしたのは、北朝鮮に関するいろんなマイナス情報をマスコミにリークさせて、拉致解決できなくてもやむなしという空気を作るためじゃないのか、といわれています」(前出・全国紙官邸担当記者)
 
 この国はいつまで、嘘つき首相に騙され続けるのだろうか。 (編集部)