2019年4月17日水曜日

中西進氏の爆弾証言 「元号の考案者ではない」(世に倦む日々)

 元号問題に関しては、NHKをはじめとして各テレビ局は安倍首相の意を汲んで、元号の予想を装いながら、元号に「安」が含まれることの「刷り込み」に励みました。
 元号は新天皇のおくり名になるものなので、それに自分の名前を入れようというのは、ゴッドファーザーを自認する「不逞の輩」でしょう。
「世に倦む日々」氏は元号の選定に当たり、3月7日に「安』の字の新元号は内心の自由の侵害 - 野党は国会で質疑討論を」を、そして3月15日には「安倍4選と『安』の新元号 - 安倍晋三が新天皇のゴッドファーザーに」を敢然と発表し、放置できない問題であることを世に喚起しました。
 その後も、
などの、正鵠を射た考察を世に発表して来ました。
 
 特に安倍首相が最終段階で「安」入り元号を断念した背景には「皇室筋の意向があった」という推測は圧巻で、森羅万象を「担当」すると公言する安倍氏に対してはそれしか考えられないことでした。
 それは中西氏が富山市での講演で語ったもので、「世に倦む日々」氏は、それは新元号に問題があったとしても中西氏の責任ではないことを意味するとしています。地方での講演では内容が周知されないので、そのことを広く知ってもらおうという意図で書かれたものと思われます。
 下の記事では一部を割愛しましたので、全文をご覧になりたい方は上記から原記事にアクセスしてください。
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中西進の爆弾証言 - 「考案者は私ではない、粘土を出しただけ」 
世に倦む日々 2019年4月16日
14日に中西進が、自身が館長を務める富山市の「高志の国文学館」で講演を行い、新元号「令和」について意味深な説明をしている。「令和」の選定過程の真相に関わる重要な証言だ。その問題の検討に入る前に、冒頭から脱線して恐縮ながら、
  (中 略)
余談と愚痴の続きは次の機会にするとして、14日に中西進は講演会でこう言っている。「(令和の考案者は)私ではないのですよ」、「(元号を)つくるのは神や天」、「誰かが考えたとしても、(私は)粘土細工の粘土を出しただけ」。これは重要な証言だろう。「令和」が発表されてわずか二週間、考案者とされる中西進の発言は意味が重く、新元号誕生の裏側の事情をわれわれに示唆している。基本的にこれらの証言に虚偽はないと考えるべきだ。ウソを言えば、それは後で中西進の名誉に深刻に傷がつく結果となるのだから。つまり、中西進は「令和」を考案して提出してはいない。「令和」の考案者ではなく、「令和」の責任者ではないけれど、「令和」が選定される材料(粘土)を提供したのが自分だと言っている。すなわち、3月14日に官邸(内閣審議室)から緊急の依頼が来て、万葉集から最終版の元号を選定したいので何とか知恵を貸していただきたいと懇請され、それならこの辺りに適当な漢字を採れる箇所がありますよと、(家持の梅花宴序文を含む)漢詩を一つ二つ教示したということではないか。「令和」の責任者ではないと逃げたところに、中西進自身の「令和」への感想と態度がある。
 
どうやら、この元号に本心では納得していない。それは当然だろう。小島毅も指摘しているとおり、「初春令月、気淑風和」の詩句の中から意味をなす二文字を選んで成語するなら、「淑」と「和」を熟して構成するのが自然で、それがプロトコル語法に即した正規の言語の形式である。「令」と「和」で成語する組み合わせは脈絡に無理があり、対句の流儀から逸脱した不具合な作法だ。何でもいいから字を二つ選んで合成しただけという、対句の配置と文型を無視した、強引で整合性のない、いわば粗製濫造の類の元号になってしまう。実際、元号について知識のある漢文学者など専門家の見地と眼識から、「令和」は、違和感のある不安定でヘテロドックス正統でないな元号だと評価されるものになった。無論、日本と中国の古代文学に精通している比較文学者の権威の中西進が、この基本的な成語方式の瑕疵に気づかないはずがない。普通に考えれば方法的な逸脱であり、学者がやったとすれば過誤の誹りを免れない。中西進ほどの泰斗がどうしてと、学界からは不審視される首尾だろう。当然、中西進がそんな初歩的なミスを犯すはずがないと誰もが思うし、だとすれば、「令和」は中西進ではなく別の誰かの創作だろうという憶測に至る。
 
「令和」発表からわずか二週間で、当の中西進が公の場に出て、「私は考案者ではない」と明言した理由は、そうした学界からの疑念や当惑に対して中西進が返答と弁明を行う必要があったからだろう。前の記事にも書いたが、元号発表の翌日に考案者としてマスコミに名前を出されたのは、中西進にとって想定外の不意討ちであり、内閣に(長期非公表の)約束を裏切られた迷惑至極だったに違いないのだ。考案者として名指しされて発表されれば、当然、学界から小島毅のような指摘を受ける。本郷和人のような辛辣な批評を受ける。中西進は政治家ではなく学者だから、世論調査で国民の80%が好感すればそれでOKというわけにはいかないのだ。学者には学者の名誉がある。仮に「令和」の考案者が中西進ではなく別の者で、中西進は「粘土」を提供しただけだったとして、中西進の目から客観的に評価して、「令和」は元号として不合格なのだろう。「(自分は)考案者ではない」と言い、「粘土を出しただけ」だと言ったのは、元号選定における自分の立場と役割を正直に言い、マスコミの報道(政府リーク)の修正を試みたという意味だと思われる。
 
考案者としてマスコミ報道(暴露)され、狼狽した直後から、中西進と政府との間でどのようなやり取りがあり、元号選定過程の事実認識についての調整と合意があったのかは不明だが、こうして中西進が公開の場に出て口を開き、自ら説明をし始めた以上、全容解明はそれほど遠くないかもしれないという期待を抱かせる。中西進は「(元号を)つくるのは神や天」と言って責任を逃げる言い訳をしたが、「神や天」の比喩で指をさしたのは、明らかに安倍晋三であり、忖度官僚と安倍晋三のブレーンズ(日本会議系)のことだろう。どうしても万葉集出典にしたいから、何でもいいから案を出せと強請され、やむなく「粘土」を出したのだとエクスキューズしている。最終決定までの経過がドタバタで、納期間際で混乱していたことが透けて見える。これから皇位継承の日程があり、元号「令和」は注目され、論議され、その選定過程や制作意図がまたマスコミで焦点になるだろうし、そのときは、安倍晋三が巧妙に真実を隠し、辻褄を合わせ、われわれが鼻をつまんで聞く安倍臭い作り話をマスコミに撒かせるだろう。だが、それをやれば、さらに中西進の証言との間で齟齬が生じ、「令和」の出自への疑念が深まり、「令和」の物語が破綻することになるに違いない。
 
「令和」は中西進が自信をもって以前から提案していた元号案ではなく、安倍晋三の周辺でバタバタとやっつけで粗製され、納期に何とか間に合わせた作りものだった。権威が独自に考案した手製の価値を欠くものだった。発表から二週間で「令和」の出自は怪しくなり、正統性への確信が相対化され、国民生活に安定的に根づくはずの文化的条件が揺らぎ始めた。