2019年4月24日水曜日

安保法訴訟判決 納得できない「門前払い」

「安全保障法制は違憲」と訴えた訴訟の全国初の判決が札幌地裁でありましたが、それは原告や証人の尋問も認めず、原告には「訴えの理由がない」と一刀両断にしたものでした。
 
 新安保法で、史上空前の戦争国家・米国との集団的自衛権の行使を謳った以上、もしも米国がたとえば極東のどこかの国に攻撃を仕掛ければ、日本も戦争当事国と見做されて、たちまち相手国からミサイル攻撃などを受けることになります。
 国民がミサイル攻撃や空爆を受けたくないというのは極めて根源的な要求であり、それを「訴えの利益がない」という常套句で門前払いすることには無理があります。「自衛隊の海外派遣の蓋然性はいまだ低い」なども驚くべき言いようで、「もっと戦機が熟してから訴えてくれ」というに等しいものです。
 
 さらに「平和的生存権は法律上保護された具体的な権利とは言えない」という理解しがたい判断を示し、武力攻撃などへの恐怖は「漠然とした不安感にとどまる」とも述べたということです。それは「実際にミサイルが着弾するまでは不安(感)は存在し得ない(存在してはならない)」というに等しい暴論です。
 原告側求め本人証人尋問を行わないまま弁論を終結させたことといい、総じて、原告の主張を否定できる論理はないので門前払いにするしかない、という発想だけが目立った判決でした。
 
 東京新聞と北海道新聞の二つの社説と、参院5野党が共同で安保法廃止法案を提出した東京新聞の記事を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【社説】安保法制判決 何も答えぬ司法に失望
東京新聞 2019年4月23日
 健全な司法か。「安全保障法制は違憲」と訴えた訴訟の全国初の判決が札幌地裁であった。だが、「訴えの理由がない」と原告敗訴。原告や証人の尋問も認めず、一刀両断する司法には失望する。
 集団的自衛権の行使を可能にした安全保障法制は憲法に反するのではないか  。多くの国民が抱いた疑問だ。長く日本政府が個別的自衛権のみを認め、「集団的自衛権の行使はその枠を超え、憲法上、認められない」と国民に説明してきたからだ。明らかに矛盾している。
 
 原告四百人余りは国家賠償を求める形で訴訟を起こした。平和的生存権の侵害による精神的苦痛などを理由とした。だから、原告たちには法廷で語らせないと、苦痛への理解は深まらない。証人尋問をしてこそ、裁判官も事実の認定ができるはずである。それらを排斥し、強引に審理を打ち切ったのは、乱暴である。原告の弁護団が「司法権力の乱用だ」と反発したのも理解できる
 判決では「不安は抽象的」「自衛隊の海外派遣の蓋然(がいぜん)性はいまだ低い」などとの言葉が並んだ。しかし、この訴訟の核心は法律そのものが違憲か否かという点だ。
 
 政府答弁の矛盾に加え、安保法制の合憲性の裏付けとしている「砂川判決」にも致命的な問題がある。駐留米軍に関する一九五九年の最高裁判例である。ここで確かに固有の自衛権を持つと明示した。だが、あくまで個別的自衛権であるのは常識である。集団的自衛権はここでは全く問題になっていない。さらに判例には「一見極めて明白に違憲」ならば、行政行為を「無効」とできると踏み込んだ表現もある。だから、裁判官は「一見極めて明白に違憲」かどうかのチェックが求められるのではないだろうか。
 
 憲法との整合性への検討が全く見られないむしろ判断を回避する理屈を駆使しているように感じる。司法に期待される役割の放棄とも受け止める。自衛隊のイラク派遣訴訟で、二〇〇八年に名古屋高裁は「平和的生存権は基本的人権の基礎で、憲法上の法的な権利」と認めた。今回はそれを「具体的な権利と解せない」と後退させた。納得できない。
 判決の根底には、司法は政治的問題に関わりたくないという消極姿勢がありはしないか。あと全国二十四の裁判所の判断が残る。三権分立の基本を踏まえれば、司法権こそ個人の権利侵害の訴えに誠実に向き合うべきだ。
 
 
【社説】安保法訴訟判決 門前払いは納得できぬ
北海道新聞 2019年4月23日
 集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法は憲法違反だとして、道内の原告が国に損害賠償を求めた集団訴訟の判決で、札幌地裁がきのう請求を退けた。
 全国で係争中の同種訴訟で、判決は初めてである。
 原告側は安保法の成立で平和的生存権を侵害されたと主張していたが地裁は認めず、自衛隊派遣の差し止め請求も却下した。
 安保法は、憲法9条のもとで戦後日本が堅持してきた専守防衛の原則から逸脱しており、違憲の疑いが濃い。
 にもかかわらず、地裁は憲法問題には踏み込もうとせず、「門前払い」に等しい結論しか示さなかったのは納得できない。
 司法のあり方として、疑問を抱かざるを得ない。
 
 札幌訴訟の原告は、集団的自衛権の行使や米軍などへの後方支援活動によって、日本が戦争の当事国となり、他国からの武力攻撃やテロ攻撃を招く恐れがあるとも訴えていた。
 これに対し、判決は「平和とは抽象的な概念で、原告が主張する平和的生存権は法律上保護された具体的な権利とは言えない」との判断を示した。
 その上で、武力攻撃などへの恐怖は「漠然とした不安感にとどまる」としている。
 これまでの解釈を、漫然と踏襲しているだけではないか。
 
 忘れてならないのは、安倍晋三政権が、歴代政権が積み重ねてきた憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、与党の数の力で安保法を強引に成立させた手法である。
 こうした行政府や立法府の行き過ぎをチェックできないとすれば、違憲立法審査権は何のためにあるのだろうか
 審理の進め方にも大きな疑問符が付く。原告側が求めていた本人・証人尋問を行うかどうかの判断を示さぬまま、弁論を終結させたのは、立証の機会を奪い、裁判の公正・公平をゆがめかねない。
 
 裁判所は、法令の憲法判断に極めて抑制的だ。
 国民の代表である国会が決めたことは尊重すべきだとの考えが背景にあるのかもしれない。
 しかし、法律の内容に加え、成立の経緯にも疑義がある安保法のような問題を避けて通るようでは、「人権のとりで」としての役割を果たせまい。
 違憲立法審査権の重みを司法はあらためて直視し、正面から向き合うべきだ。
 
 
安保法廃止法案を提出 参院 5野党、共闘政策の柱
東京新聞 2019年4月23日
 立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の野党五党は二十二日、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法を廃止するための法案を参院に共同提出した。夏の参院選に向け、安倍政権への対立軸として違憲との批判が根強い安保法制の廃止を掲げ、野党共闘の基本政策の柱とする。
 安保法の廃止法案は、二〇一六年三月の同法施行に先立ち、同年二月に当時の民主、共産、維新、社民、生活の野党五党が衆院に共同提出したが、審議されないまま一七年九月の衆院解散で廃案となった。今回は再提出で、関連法を安保法制定前の状態に戻す内容。
 一六年七月の参院選では廃止法案を提出した野党五党のうち維新を除く四党が三十二の改選一人区全てに統一候補を擁立し、十一選挙区で勝利した。
 
 法案提出後の記者会見で国民の大野元裕氏は「参院選を前に、野党として統一した歩調をしっかりと打ち出すのが目的」と説明。立民会派の小西洋之氏も「他の野党と提出するのは、参院選前の野党共闘の観点からも大変重要で意義深い」と同調した。(村上一樹)