IMF(国際通貨基金)は、米国・中国における経済の落ち込みを報じる中で日本の実情にも触れ、1929年の大恐慌以来の惨状を呈する可能性に言及しました。
まだ全体の行く末が見通せない新型コロナウイルス・パンデミックスのなかですが、難事においてこそ政府の能力(真価)は顕れます。
近くにおいては台湾政権の実に見事な対応をはじめとして、韓国の文政権の対応も国民に評価されて今度の総選挙で大勝利を収めました。中国も、兎に角コロナ感染大爆発を収束に向かわせることに成功しました。
それに対して無為無策のままで過ごした安倍政権は、今になって目下急激な拡大を招いています。無能な政権に舵取りは任せられません。将来運よく治まったとしても、コロナ禍に満足に対処できない政権に、それにともなう大不景気に対応する能力などとても期待できません。
14日の日刊ゲンダイの一面には次のような大見出しの文字が躍りました。
『バカにするなドケチ首相』
『首相がただのバカだと分かった衝撃』
『コロナ禍の長期化が必至の中で、いつまで後手後手・迷走・トンチンカン政権にやらせておくのか』
『ようやく政権の正体を知った国民の間で広がる怒りと恐怖。やがてそれは悲鳴となり、無秩序の中、悲劇的な結末を迎える予感』
本当に安倍政権のままでいいのでしょうか。
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国民は首相の能天気に戦慄 列島に溢れる「安倍辞めろ」
日刊ゲンダイ 2020/04/14
新型コロナウイルスの感染拡大に不安を覚えつつも、国の休業補償がないために出勤せざるを得ない。感染するのが早いか、それとも収入減による生活苦を覚悟して外出をあきらめるか――。
そんな精神的にも金銭的にもギリギリの状況に追い込まれつつある国民生活のことなど、およそ考えも及ばなかったに違いない。歌手で俳優の星野源がSNSで公開した楽曲「うちで踊ろう」にコラボした安倍首相のことだ。
高級ホテルのスイートルームのような豪華な部屋。愛犬を抱きながらゆったりとソファに座り、ティータイムを優雅にくつろぎ、国民に外出自粛を呼びかける……。
浮世離れしたその姿は、米国の小説家エドガー・アラン・ポーが1842年に発表した短編小説「赤死病の仮面」で描かれている場面を連想させた。
星野は12日深夜、インスタグラムのストーリーズを更新。安倍のコラボについて<事前連絡や確認は一切なし>と強調していたが、わざわざこう書いたのは理由があるだろう。星野は2015年9月に出版した著書「働く男」(文芸春秋)で、<国を変えるのはいつでも政治だし、政治を変えるのはいつでも金の力だ。そこに音楽は介入できない。できたとしても、X JAPANの楽曲を使って型破りというイメージを定着させた小泉純一郎のように、ただ利用されるだけだ>とつづっている。おそらく、今回の安倍の勝手なコラボについても、音楽を政治利用するな、というのが本音ではないか。
他国の首脳と比べて際立つ程度の低さ
コロナ禍の長期化が必至の中、いつまで経っても対応は後手後手で、揚げ句、国民に示されたのが「布製マスク2枚配布」と「補償なしの自粛要請」という愚策の連続。さすがに政治に無関心だった若者らも安倍政権のトンチンカンな正体に気付いたはずだ。今回の星野の動画コラボを機に、ネット上では怨嗟の声がものすごい勢いで拡散しており、政権批判を控えてきたテレビのワイドショーでも「政府の覚悟がみられない」といった怒りや嘆きのコメントが続出しているが、何よりも国民が衝撃に感じているのは首相が「ただのバカと分かった」ことだ。
マスク2枚配布も貴族のような私生活を映した動画コラボも、少し考えれば中学生でも「アホか」と分かることなのに、よりによって国のトップである総理大臣が何ら躊躇もなく平気でぶち上げる。感染封じ込めに必死な他国の首脳と比べて際立つ程度の低さに国民は驚愕したのは間違いない。
作家の適菜収氏は11日付の日刊ゲンダイコラム「それでもバカとは戦え」で<安倍晋三が総理大臣であることが緊急事態><「バカな大将、敵より怖い」という言葉もある>と書いていたが、列島全体が「安倍辞めろ」の大合唱で溢れるのも当然だ。
政治評論家の小林吉弥氏はこう言う。
「今、田中角栄さんが首相であれば、ドンと財政出動するなど、国民生活を死守するためにあらゆる手だてを尽くしたでしょう。しかし、安倍政権には、そういう発想を持った人が官邸にも官庁にもいない。生活支援臨時給付金ひとつ取っても、複雑過ぎますよ。明日の生活も分からないような今のように混乱した中で、淡々と申請できる人がいるはずがないでしょう。国民生活などまるで眼中にない証左ですよ」
国民生活よりも安倍政権維持ファースト
「例外は通常の事例よりも興味深い。常態は何一つ証明せず、例外が全てを証明する」
ドイツの思想家、政治学者で「危険な憲法学者」と呼ばれたシュミットは著書「政治神学」で、平時ではなく、例外時こそ権力の本質が表れると書いていた。
つまり、今のように新型コロナウイルスの感染が拡大し、人々の生活が脅かされつつあるような例外時こそ権力の質が問われているのだ。
その時の権力者である宰相が「ただのバカ」という事実は恐ろしい。今のように迷走し、暴走すれば国民にどんな不幸をもたらすか分からないからだ。
<人間の本質があらわになるのは、戦争や自然災害より、むしろペストに象徴される『未知の何か』が人間内部に侵入してくる状況だ、というのがカミュのメッセージです。『ペスト』の舞台はフランスの植民地だったアルジェリアですが、フランス政府はある限られた区画に人々を隔離し、人々を管理・監視できるようにした。こうした状況は、戦争や自然災害では想定しにくい。ペストも怖いが、このときの政治権力の方がもっと怖い、というわけです>
金沢大法学類教授の仲正昌樹氏も朝日新聞(2日付)で、フランスの作家カミュが1947年に発表した小説「ペスト」に触れつつ、こう説いていたが、今回の新型コロナウイルスでも、このまま感染拡大が止まらなければ世論の怒りの矛先は今以上に政権に向かう。追い詰められた「ただのバカ」が強権を発動し、戒厳令を出す可能性だってあるのだ。
平時から暴走している無政府政権
そもそも、すでに平時から暴走状態にあるのが安倍政権だ。法律もルールも無視し、国会の野党の質問も「意味がない」と突っぱねる。官僚機構の人事を握り、すべての政策を安倍と官邸の取り巻きが決める独裁政治だ。
新型コロナウイルス感染対策だって、先手先手の対応を演出するために専門家の意見を聞かないまま、独断専行で全国の小中学校の一斉休校を言い出し、イベント中止や自粛を呼び掛けて現場の大混乱を招いた。
そうして、何ら根拠も示さないまま「1~2週間が瀬戸際」と言い続けていたかと思ったら、いつの間にか「長期戦を覚悟」だ。感染拡大の封じ込め策についても具体的で論理的な説明は一切ない上、政治権力者としての覚悟も責任も示さない。
もはや、この政権の統治能力はゼロに等しく、新型コロナウイルスの感染防止策もまったく期待できない。これでは対応を丸投げされた国民が右往左往するのも当たり前。情報源であるテレビやSNSにあおられて冷静さを失いつつあるのもある意味、理解できるだろう。このままだと国民の怒りがやがて悲鳴に変わるのも時間の問題。無政府、無秩序状態が続けば悲劇的な結末を迎えるのは国民だ。政治アナリストの伊藤惇夫氏がこう言う。
「ふつうの総理大臣であれば、仮に政権が潰れても国民生活はなんとかして守りたいと思う。しかし、安倍政権は違う。政権を維持、存続するには何が世論にウケるのか。要するに『安倍政権ファースト』の発想なのです。安倍首相も世襲政治家で苦労もなく総理大臣になったため、厳しい国民生活について理解も想像もできない。だから茶坊主のような官邸官僚の言うがままに動いている。政府の新型コロナ対策を見ていると、今や安倍首相にきちんと物を言える人がいないのでしょう。このままだと国民が大変な目に遭うのは間違いない」
最悪の事態を免れるために真っ先にやるべきは、一刻も早く安倍を首相の座から引きずり降ろし、政治の世界から自粛、引退させることだ。