2020年4月3日金曜日

危機煽るだけの政治の場当たり 、国民に広がる怒りと絶望(日刊ゲンダイ)

 安倍首相も小池都知事も、コロナ対策“やってる感”をアピールすることには熱心ですが、何故かイベントや営業を自粛させる上で実効性を確保するための出費には全く熱意を持っていません。
 安倍首相は28日の会見で「人びとの心を癒やす文化や芸術、スポーツの力が必要です。困難にあっても文化の灯は絶対に絶やしてはなりません」などと美辞麗句を並べる一方で、イベント中止、営業自粛による収入減『損失を税金で補償するのはなかなか難しい』といういつもの決まり文句で切り捨てました。
 しかしこれまで税金を勝手気ままに使って来たのは他ならぬ安倍首相でした。軍備費にはいくらでも使えるが、(この危機に国民を守るのには使えないというのであれば、何のための税金なのかということになります。

 深夜営業の飲食店が感染源になる危険が大きいからとその自粛を要請しても、閉店すれば収入の途が途絶える関係者にとっては長く継続することは不可能です。必要な期間それを徹底させるためには事業を継続するための直接支援が不可欠で、それはどの国でもやっていることです。
 イギリスは20日の夜からカフェやパブ、レストランに対して閉鎖指示を出しましたが、飲食店などに対して政府は賃金を最大8割、1人あたり最大で月約32万円を補償しました。ドイツでは自営業者らに3カ月で最大約180万円の給付金を一括で出す支援策を決め、9月まで家賃滞納を理由に追い出すことを禁止する対策を打ち出しました。また都市封鎖を行ったフランス・パリでは、営業禁止となった店舗の休業中の家賃や光熱費、従業員の給料などを政府によって補償しています。
 上記の記事で志位氏が延べている通り、「自粛だけを要請して『あとは自己責任で』というのでは暮らしが成り立たないだけでなく、自粛の実効性が確保でき」ません。

 日刊ゲンダイが「危機煽るだけの政治の場当たり 国民に広がる怒りと絶望」とする記事を出しました。
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危機煽るだけの政治の場当たり 国民に広がる怒りと絶望
日刊ゲンダイ 2020/04/01
“やってる感”の演出だけで、権力維持にしか関心がなく、国民に対して無責任。この国と東京都のトップは似た者同士だ。犬猿の仲だったはずなのに、新型コロナ対応や五輪延期で利害が一致したのか、このところ、やけに仲むつまじく連携をアピールしている。
 3月31日も安倍首相と東京都の小池知事は官邸で面会。都内の学校再開などについて協議し、国の方針に従うことで合意したという。
「これこそ不要不急の会談でしょう。ただのパフォーマンスです。首相も都知事も、新型コロナ対策の“やってる感”をアピールするだけで、終息に向けた具体策を持っているようには見えない。わざわざ土曜日や夜間に緊急会見を開けば、いったい何事かと国民は不安になりますが、会見はいつも精神論だけで中身がない。一方的に自粛を求めるだけで、それに伴う生活補償の話は避けるのです。安倍首相は28日の会見で『文化、芸術、スポーツは大変重要』と言いながら、政府の自粛要請に応じたイベント中止などによる収入減は『損失を税金で補償するのはなかなか難しい』と切り捨てた。五輪にはいくらでもカネを使うのに、文化に使うつもりはないのです。五輪至上主義は、コロナ対策の迷走を招いた元凶でもある。コロナとの闘いは長期戦になると言いながら、1年後の五輪開催を早々と発表したのがいい例です」(政治ジャーナリスト・角谷浩一氏)
 この能天気には世界中が驚き、呆れている。30日の米紙USAトゥデー(電子版)は、東京五輪の新たな大会日程が発表されたことについて「無神経の極み」と批判。同紙の運動担当コラムニストは「世界中が疫病と死と絶望に包まれている時に、なぜ日程を発表する必要があるのか」「せめて暗いトンネルを抜けて光が見える時まで待てなかったのか」と怒りをにじませた。ワクチンができるまで早くて1年。来年7月にウイルス感染が終息している保証はどこにもないのだ。

精神論で国民にガマンを強いるだけ
 新型コロナウイルスの感染者は31日、国内で新たに計244人が判明。東京都は1日の確認分としては最多の78人だ。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗員乗客を除いても、国内の感染者はついに2000人を超えた。
 3月1日時点で感染者が70人程度だった米国は、1カ月後には16万人を突破している。日本も同じ道をたどらないとは限らないのだが、国の方針も都の対策も、感染拡大を止める戦略がまったく見えてこない。
 3月30日夜の緊急会見で、小池はキャバクラやクラブなど女性が接待する夜の店に行かないよう都民に求めた。キャバクラ自粛でどこまで乗り切れるのか。補償や経済支援とセットでなければ、日銭商売の店は営業せざるを得ない経済的な支援で生活が保障されて初めて店を閉めることができるし、外出を控えて家でじっとしていられるというものだろう。
 これがまた小池の姑息なところで、店側に営業自粛を要請すれば、「その間の補償はどうなるのか」という話になる。客に「行くな」と言うのはタダなのだ。補償も給付もなく、精神論でひたすら国民にガマンを強いる。小池と安倍に共通するところでもある。オトモダチや海外には気前よくバラまくのに、国民への現金給付は渋る。上っ面の言葉だけで、国民の自己責任にお任せの“やってる感”では、感染拡大を止めるのは無理だ。

危機に国民を守らないなら何のための税金なのか
 自公両党は31日、新型コロナウイルス対策で、リーマン・ショック時を上回る真水20兆円、事業規模60兆円の経済対策を求める提言を政府に渡したが、安倍は「未来に夢を持てる日本に復活させていく」と、相変わらず精神論だ。その対策の内容はあまりにショボイ。利益誘導の「お肉券」「お魚券」はさすがに見送られたものの、安倍が28日の会見で対象を絞る考えを示したことを踏まえ、現金給付は「日常生活に支障をきたしている世帯・個人」のみが対象だという。
「収入補填や現金の一律給付など、諸外国が当たり前にやっていることを日本政府はやらない。減税にも否定的で、かたくなに国民にはカネを払いたくないという姿勢です。WHOへの寄付や、五輪延期に伴う追加費用を優先し、感染拡大防止や国民生活は後回しなのです。こういう危機の時に国が守ってくれないとなると、何のために税金を払っているのかと思ってしまう。今は一人でも多くの国民を救うためにカネを使うべきではないのか。来年の五輪より目の前の危機に全力投球すべきなのに、この期に及んで感染症対策は場当たりだから絶望的です」(高千穂大教授の五野井郁夫氏=国際政治学)
 日本は欧米と比べ、コロナ感染者の発覚は早かった。時間的な猶予はあったはずなのに、感染爆発を防ぐための準備を何もしてこなかった。国民の安全よりも、今夏の五輪開催の方が大事だったのだ。
 五輪が延期になったことで、ようやく病床の拡充を明言し、メーカーに人工呼吸器の増産を要請。それでも足りない可能性があると、動物用の人工呼吸器の転用も要請し始める後手後手だ。

コロナ禍に便乗する政治的野心
「今の政府や都の対応を見ていると、危機管理でリーダーシップをアピールしたいが経済的なダメージの責任は取りたくないという態度です。自身の再選や延命というスケベ心が先に立って、小手先の対応でやり過ごそうとし、国民の命を危険にさらしている。国民を安心させるのは、どういう状況が緊急事態で、どうなれば終息なのかという工程表も示す必要があります。それを示せば政府の初動ミスや無能がバレると考えているのかもしれませんが、保身ばかりで国民の方を向いていない。しかも、『やらない』と言ったことを平気でやる政権だから、いつ緊急事態宣言が発令され、ロックダウンが宣言されるかと怯えた国民がデマに踊らされてしまう。無用な買い占めが起きるのも、政治に対する信頼がないからです」(五野井郁夫氏=前出)
 31日の安倍との会談後、「緊急事態宣言」について報道陣から聞かれた小池は「ギリギリの状態」「国家としての判断がいま求められている」と暗に宣言を促した。一方の安倍は、「個々の自治体で判断」などとお茶を濁し、責任の所在を押し付け合っているかのようだ。いったい司令塔は誰なのか。

 東京や大阪でロックダウン(都市封鎖)のような事態になれば、日本経済への影響は計り知れない。第一生命経済研究所の試算によれば、東京がロックダウンされた場合、物価変動を除く実質の国内総生産(GDP)は1カ月間に約5兆1000億円のマイナス効果。封鎖が首都圏全域に広がれば、損失は8兆9000億円まで拡大する。これでもまだ楽観的な計算で、経済活動が6割減るとの想定もある。
 前出の角谷浩一氏はこう言う。
「緊急事態宣言は、政治生命をかけるくらいの大きな決断です。国民の安全を守るため、批判を受けて退陣することになっても構わないという覚悟が必要なのです。ところが首相や都知事には、国民や都民のためではなく、このコロナ禍に便乗して戒厳令のような強い権限を行使してみたいという政治的野心しか感じられません。よこしまな思惑がミエミエだから、国民の間に怒りと不安が広がる。そもそも、それだけの重い判断をする前提となる感染実態は正確なのでしょうか。五輪開催のためにPCR検査の数を抑えてきたのではないのか。危機を煽るだけの無責任にメディアも乗っかり、『早く緊急事態宣言を出せ』という空気が醸成されていくのは非常に危険です。政治の無能も場当たり失策もすべてコロナで覆い隠されてしまいます」
 自身の権限を強化したいが、責任は取りたくない。そういう政治家が戦略もないまま私権制限に乗り出し、経済も危機にさらす絶望。私心を捨てて危機管理に英断をふるう胆力ある政治家が皆無の悲劇。この国は、戦時中から何も変わっていない。