東京新聞が「週のはじめに考える コロナ禍と民主主義」と題した社説を掲げ、その中で
コロナ禍が蔓延したドイツで3月18日、学校の閉鎖や外出制限の措置を取るに当たり、TVを通じて演説したメルケル首相の言葉を紹介しました。
紹介されたのは僅か数行ですが、メルケル首相の民主主義についての熱い思いが伝わるものでした。
それに対して日本はどうだったでしょうか。安部首相は7日、コロナ特措法に基づく緊急事態宣言に伴う会見を行いました。12日の「サンデーモーニング」でコメンテータの青木理氏は、「官僚の文章をプロンプターで読むだけの会見はいい加減やめてもらいたい(要旨)」と述べました。まさにそれに尽きるもので、官僚の書いた空疎な文章を長々と聞かされるのはいい加減うんざりします。
そもそも彼には民主主義への熱い思いなどは何もありません。彼の関心はひたすらどうすれば国民に受けるかであって、このコロナ禍でもそれを外しまくっているというのが実態です。
安倍政権はコロナ禍を好機と見て、憲法に緊急事態条項を盛り込もうと衆院憲法審査会を開かせる策動を開始しました。それに対して共産党の小池書記局長は6日の記者会見で「全く必要ない、究極の火事場泥棒だ」と批判しました。
一体、今度のコロナ禍において政府は何をやったというのでしょうか。完全に無為無策のまま米国と一緒にPCR検査を抑制した結果、感染者数がいまうなぎ上りに増加している事態を招きました。
政権に求められるのは有能さであって、無能な政権に緊急事態時の権限を与えるのはまさに「〇〇に刃物」の類です。そもそも憲法の理念を真っ向から否定する「緊急時代条項」を憲法に盛り込むこと自体が矛盾そのものです。
東京新聞の「週のはじめに考える」を紹介します。
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【社説】 週のはじめに考える コロナ禍と民主主義
東京新聞 2020年4月12日
新型コロナウイルスの感染が世界中に広がり、日本でも緊急事態を宣言しました。見えない「敵」にどう立ち向かえばいいのか。私たちの先達が築き上げてきた民主主義も試練にさらされています。
買い物や仕事には出掛けられても、自由に外出、移動することはできません。プロ野球の試合やコンサートは中止になり、映画館やデパートも閉鎖、飲食店の多くも休業を余儀なくされています。
楽しみがなくなることはまだ我慢できても、生活の糧を断たれた人や休校などで学校に行けない生徒、児童らには切実な問題です。
◆命守るための私権制限
ウイルスの感染拡大を抑えるためだと分かっていても、日常生活には息苦しさが募り、えたいの知れない敵を恨めしくも思います。
感染者が増えている東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪などを対象にして、政府は緊急事態を宣言しました。息が詰まるような状況が少なくとも五月六日までの約一カ月間は続くのでしょう。
新型コロナの感染が広がった国々でも同様の、いや、これ以上に厳しい措置がとられています。
自由な移動や経済活動は民主主義社会の基盤を成す基本的人権の根幹です。自由を奪ったり、むやみに制限することがあってはなりません。
しかし、公衆衛生や社会の秩序を守るためには皆が譲り合うことも必要です。それが私たち自身の命を守ることになるからです。必要最小限の私権制限までは否定できません。
問題はどんな方法で、どこまで私権を制限するか、その措置に国民の理解が得られるかです。新型コロナの感染拡大は各国政府の指導者だけでなく、その国民にとっても大きな試練なのです。
では、民主主義社会で私権の制限が必要になった場合にはどうしたらいいのか。それを雄弁に語った政治指導者がいます。ドイツのメルケル首相です。
◆透明な政治決定が前提
ドイツでも新型コロナの感染が広がり、政府は学校の閉鎖や外出制限の措置を取りました。三月十八日、テレビを通じて演説したメルケル首相は、国民に直接、次のように語りかけます。
「開かれた民主主義が意味するものは、私たちが政治的決定を透明化し、説明すること、できる限り、私たちの行動の根拠を示し、それを伝えることで、人々の理解が得られるようにすることです」
「私たちは民主主義国です。何かを強いられるのではなく知識を共有し、活発な参加を促すことで繁栄します。これは歴史的な仕事です。私たちが力を合わせ、立ち向かうことでのみ克服できます」
メルケル氏が特定のテーマでテレビ演説をするのは異例だそうです。独裁政権だった旧東独で育ったからこそ、民主主義の大切さを訴えたかったのでしょう。
感染症を抑え込むには、個人の行動を制限し、対策に必要な資源を収用することも必要です。中国のような一党独裁の政治体制は、それを容易にしています。最初に感染が拡大した武漢を都市ごと封鎖したのも、権力集中の政治構造だからこそできたはずです。
中国は「制度の優位」を宣伝しています。でも、そのことが、独裁体制の方が民主主義よりも優れていることを意味するわけではありません。
個人の自由や人権、尊厳がないがしろにされる社会が、とても健全とはいえないからです。しばしば引用されますが、元英首相のチャーチルは「民主主義とは最悪の政治といえる。ただし民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」との言葉を残しました。民主主義は人類史に登場したどんな政治体制よりましです。でも、完璧ではありません。
民主主義の国々を見回しても、移動制限や休業要請など対策への不安や不満が出ています。政治決定過程の透明化や指導者による説明の在り方など課題も多い。新型コロナは、民主主義に突きつけられた挑戦状かもしれません。
◆政権不信解消も真摯に
安倍晋三首相の新型コロナ対策はどうでしょう。クルーズ船対応では対策の不備が批判され、学校休校は科学的根拠の欠如を指摘されました。布マスク二枚の配布は的外れと言われ、緊急事態宣言は「慎重に」「遅きに失した」と評価が揺れ動いています。
非常時には行政の権限をより強めるべしとの意見もありますが、民主主義国家では、政権が信頼されていなければ、対策の意義も国民には十分に理解されません。
安倍政権は安全保障関連法など反対が強い法律の成立を強行し、森友・加計学園や桜を見る会の問題では国民の疑念を解消しようとしません。そのつけが今、回ってきているのではないか。感染拡大を抑え込むためにも、政権不信解消にも真摯(しんし)に取り組むべきです。