「世に倦む日々」氏は、押谷氏は、前言を撤回するとも持論を修正するとも言わないまま、世間で高まっているPCR検査拡充要求に合わせて発言を修正したのだと断じました。
押谷氏が「現在感染者が急増している状況の中で、PCR検査が増えていかないのは・・・」などと、感染が急増している状況下では違うのだというのはあまりにも姑息で、PCR検査を抑制したから今日の感染急増を引き起こしたということに対する何の言い訳にもなっていません。
いずれにしても、台湾、中国、韓国そしてドイツなどの新型コロナ対策先進国に比べると、日本政府と専門家会議の対応は余りにもお粗末でそれが今日の惨状をもたらしました。
いつかはコロナ禍は収まるとしても、多大な犠牲者と長期間の休業要請などによって生じるであろう1929年以来といわれる国内大不況は取り返しはつきません。もしも長期間休業等で中小企業が壊滅的な打撃を受ければなおさらです。
まず問われるべきは政府の怠慢と無能ですが、それと歩調を合わせた専門家会議メンバーも同罪で責任は免れません。
ブログ「世に倦む日々」が専門家会議の責任とそれによって招来された医療の現状を厳しく総括しました。
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押谷仁のギブアップ宣言 - 対策に失敗して愚痴と言い訳を始めた作戦参謀
世に倦む日々 2020-4-16
4月11日にNHKスペシャル『新型コロナウイルス瀬戸際の攻防 感染拡大阻止最前線からの報告』の放送があり、厚労省クラスター班の押谷仁が出演して現状を説明していた。3月22日の放送に続いて二度目の登場である。国内の感染状況が日々悪化し、専門家会議によるPCR検査抑制策の破綻と過誤が明らかになりつつある中で、押谷仁がどのような発言をするか注目したが、やはり、状況に合わせて嘗ての立場と言動を微調整し、巧妙に責任逃れを図っている点が看取された。4月11日放送回の押谷仁の説明の急所については、ネット上の文字おこしで要点を確認することができる。PCR検査についてこう言っている。
「現状は様々な理由で、PCR検査を行う数が増えていかないという状況です。本来、医師が検査を必要と判断しても検査ができないというような状況はあってはいけない状況だと思います。(略)現在感染者が急増している状況の中で、PCR検査が増えていかないという状況にあるのは明らかに大きな問題です。(略)十分なスピード感と実効性のある形で検査センターの立ち上げが進んできていないということが、今の状況を生んでいるというふうに理解しています」。
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このように言葉を並べ、PCR検査の拡充の必要性を認め、検査が増えていない現状は問題だと言い抜けている。この口上は専門家会議・諮問委員会の一般言説と同じであり、加藤勝信・安倍晋三の上っ面の国会答弁と同じだ。一応はPCR検査とその拡充に前向きなポーズを見せ、消極的との言質を取らせない狡猾なアリバイ工作に腐心している。だが、3週間前の放送では押谷仁は逆の趣旨のことを明確に言っていた。PCR検査拡充の意義と必要性を否定し、むしろそれを逆効果で無意味だと断じていた。3月22日の録画が残っていて、動かぬ証拠を発見できる。動画の 26:00-26:42 を注目していただきたい。
日本のPCR検査は、クラスターを見つけるためには十分な検査がなされていて、そのために日本ではオーバーシュートが起きていない。実はこのウィルスは80%の感染者は誰にもうつしていません。つまり、すべての感染者を見つけなきゃいけないというウィルスではないんですね。クラスターさえ見つけられていれば、ある程度制御できる。むしろ、すべての人がPCR検査を受けられるということになると、医療機関に多くの人が殺到して(略)医療機関で感染が広がってしまうという懸念があって、むしろPCR検査を抑えていることが、日本が(感染者数が他国より少ない現状で)踏み止まっている大きな理由だと考えられます。
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PCR検査を増やせば医療崩壊が起きるという認識が、3月までのPCR検査抑制派のキーの論理だったが、まさにクラスター班主任の押谷仁が3月22日のNスペで堂々と主張している。その事実を確認できる。そこから3週間経って、押谷仁は前言を撤回するとも持論を修正するとも言わないまま、泥縄的・風見鶏的に姿勢を変え、世間で高まっているPCR検査拡充要求に合わせた保身の言い訳でお茶を濁した。4月11日の放送では、PCR検査を拡充したら医療崩壊が起きるとは言わなかった。科学者の名に値しない卑怯な振る舞いである。このような男が日本の新型コロナウィルス対策を主導する中核に座り、陣頭指揮していたという事実に唖然とする。4月中旬の現在、マスコミやネットでPCR検査不要論や抑制論を言い張る者は消滅したが、未だに押谷仁を優秀な専門家だと誤認して礼賛する者は多い。肩書きだけで人を判断する、ブランド信仰に溺れた盲目な大衆がいかに多いことか。
4月11日のNHKでの押谷仁の発言は、まさにギブアップ宣言であり、敗北宣言そのものとして視聴者に映って衝撃を与えただろう。自分の戦略の誤謬と失敗を押谷仁自身が最もよく知っているし、実際に市中感染は蔓延して、クラスター分析班の挫折と崩壊を現実が示している。番組後半、同僚女性をに向かって「ちゃんとやれる自信がなくなってきた」と弱音を吐く場面があった。NHKの映像に出てくる厚労省の一室では、カップ麺を置き散らした絵で演出し、映画『シンゴジラ』の雰囲気を見せて視聴者に訴求していたが、何ともやらせ的で、嘘くさい制作技法の臭いを打ち消せない。そもそも、あの大部屋の環境こそが、感染症対策として予防し排除すべき密集・密着・密接の三密空間そのものではないか。政府の対策チームが、国民に口酸っぱく指導している生活規律を平然と無視し逸脱している。最早、クラスター分析班は用済みで解散だろう。押谷仁が次に何を言うか、どういう姑息な詭弁で責任逃れをするか興味深い。
政府の対策の中核にある専門家が、「ちゃんとやれる自信がなくなった」と泣き言を言い、愚痴めいた無気力で無責任な台詞を垂れ、万事休した態度を国民に晒したということは、政府はもう打つ手がないというメッセージの発信だ。ウィルスとの戦いに完敗し、白旗を揚げて降伏したということだ。反撃策がないという意味の吐露だ。このNHKの番組は、中国や韓国の専門家たちも見ただろうし、WHOの幹部も注視しただろう。日本の対策というものがどれほどお粗末で、無内容で、極端に非科学的で、実効性がないものか、日本の専門家というものがどれほど無能で、ウィルスに対抗する知識や技術がない素人集団かが明瞭に示された証拠であり、あまりの杜撰さに彼らも驚いたに違いない。隣の韓国との彼我に絶句したことだろう。
押谷仁は専門家会議のメンバーである。諮問委員会(基本的対処方針等諮問委員会)のメンバーでもある。今回の日本の感染症対策の中核だ。ツイッターで縷々論じてきたが、押谷仁とか西浦博とか大曲貴夫が作戦を立案指導する左官クラスの高級参謀であり、旧軍の板垣征四郎・石原莞爾・辻政信に該当する。尾身茂や岡部信彦など年長の者たちは、参謀本部・軍令部の将官クラスの大物であり、高級参謀や厚労官僚がひねり出したゴマカシの分析やコピーフレーズを、権威の泊付けで大衆に刷り込む「政治家」の役回りだ。比喩を拡延すれば、ウィルスと戦う作戦を立て国策を決める参謀本部・軍令部が専門家会議であり、ヒトモノカネのロジ(=兵站)を計画・差配し国内法制を整備する政府(陸軍省・海軍省)が厚労省であり、枢密院が官邸であり、昭和天皇が安倍晋三という図式になる。政府大本営連絡会議が政府諮問委員会に他ならない。コンプリート(=完璧)に相関図が描けて収まる。すなわち、押谷仁は参謀本部作戦課長の要職であり、西浦博と大曲貴夫は関東軍の作戦参謀なのだ。
先回りして政治学的な総括を言えば、日本のコロナウィルス対策は、旧日本軍のノモンハン作戦やインパール作戦と同じ悲惨な経過と結果となりつつある。そう言える。PCR検査論争で無駄な時間を費やしている間に、ウィルスの侵攻をどんどん許した。比喩説明をさらに展開して現状を探ろう。ウィルスと戦う前線基地と戦場の軍隊が、感染症指定の基幹病院や地域医療を担う総合病院である。そこがすでにウィルスの襲撃と猛攻を受け、院内感染で壊滅状態にあり、数個の師団と連隊が無力化された状態にある。慶応病院とか慈恵医大病院とか国立がんセンターは、まさに日本の医学医療の水準を誇るブランド病院であり、すなわち戦艦大和や戦艦武蔵の威容に喩えてよいだろうが、院内感染の奇襲を受けてあっさりと大破、撃沈の顛末となった。日本の誇る精鋭の医療機関が、あれよあれよと攻略され、あっと言う間に外来停止・救急停止の全滅状態になっている。映画『火垂るの墓』で、清太が「連合艦隊はどこへ行ったんだ」と言う場面があるが、何やら近い戦況になっている。
参謀たちは、日本に対する過信と自惚れがあり、2月に武漢の惨状を見ながら、あれは中国の保健医療の技能と公衆衛生の水準が劣っているために起こったんだと勝手に決めつけ、日本は絶対に中国のようにはならないと思い上がっていた。過去の参謀たちと同様の倨傲と独善の上に、「検査しない」という誤った作戦方針を立て、あっという間に日本医療は崩壊に陥ってしまった。軍隊(医療機関)は撃破された。残されたのは、軍(医療機関)に守られることのない裸の民衆である。岡田晴恵の言う「焼け野原」が待っている。