「日々雑感」氏が、FNN Newsが「“国に頼らず自ら守れ”台風接近!情報は自ら取りに行くべし」なる記事を掲げたことに対して、それは先の豪雨により真備で被災して命を落とした人たちは「自己責任」と言っているに等しいとして、「国に頼らず自ら守れ」とは役人が決して口にしてはならない言葉であると厳しく批判しました。
真備の被災者たちは豪雨が降る情報はテレビ等で知っていたが、小田川の堤防が決壊するほどの巨大容量のダム放流が突如行われ、それによって真備地区が水没するとは夢にも思っていなかっただけである。治山治水は国や地方自治体が「義務」として行うべきものと誰もが思っている筈で、本来なら税で小田川の河川付け替えや浚渫作業をこまめに行い、土を固めただけの土手から鉄筋コンクリート堤防へ改修すべきだったのだから、治山治水を怠った災害だと批判されても仕方がないと述べています。
そして「国に頼らず自ら守れ」とは、国のありようを変えるほどの重大な言葉だと指摘しています。
安倍首相は総裁選に向けて「5つの決意」なるものを発表しましたが、その中に登場時に掲げた「国土の強靭化」も当たり前にように盛り込んでいます。それは単に謳うためのものではなく、最優先でそれを実行することこそが肝要なのです。
役に立たないイージスアショアの購入などは止めにして・・・
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「国に頼らず自ら守れ」とは
日々雑感 2018年9月4日
気象庁がホームページで提供している「洪水警報の危険度分布」は、自分の住む地域を流れる河川が溢れる危険がどれくらい迫っているかを5段階の色別に地図上に表示していて、避難など防災行動の判断には有効な情報だ。
国は水位計が無い中小河川で水位の上昇を早く把握するためには「洪水警報の危険度分布」の活用が有効であると認めているが、残念ながらこの「危険度分布」の存在は広く知られているとは言いがたい。
「危険度分布」をどう周知させていくのか、そしてパソコンやスマホを使えない人に最新の防災気象情報をどう届けるかは気象庁が解決すべき次の大きな課題と言える。
7月豪雨で被災した人から「ハザードマップの存在すら知らなかった」という声は少なくなかった。自分が住む地域がどんな場所でどんな災害リスクがあるのか普段から気にしていれば、いざという時の対処は違っていたはずだ。
「洪水警報の危険度分布」を地域のハザードマップなどの情報とあわせて利用すれば、自分の身に刻々と迫る河川の氾濫の危険をより早く知ることが出来る。
自ら積極的に入手した情報と、気象庁からの気象情報、さらに市町村からの避難情報をしっかり受け取り、自らの状況を自らが考え判断することが自分と自分の家族を守ることにつながる。
観測技術が向上し、防災に関わる予測精度の高い気象情報を発信できるようになったとしても、激甚化する気象災害から命を守るためには、社会全体が意識を高め、防災情報を受け取ったひとりひとりが「わがこと」として準備し避難する的確な防災行動につなげてほしいと強く希望する。
(以上「FNN News」より引用)
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上記記事の表題は「“国に頼らず自ら守れ”台風接近!情報は自ら取りに行くべし」となっている。上記記事を書いたのは気象庁の役人のようだが、先の豪雨により真備で被災して命を落とした人たちは「自己責任」と言っているに等しい。
被災者たちは豪雨が降る情報はテレビ等で承知していたはずだ。ただ小田川の堤防が決壊して真備地区が水没するとは夢にも思っていなかっただけだろう。
国や地方自治体の「義務」として治山治水を行うことは当然だと誰もが思っている。なぜなら個人が勝手に土木工事を山や河川で行うことが禁じられているからだ。
ハザードマップを制作して住民に閲覧させ危険地域を周知徹底させるのは行政の仕事だ。しかし危険地域に指定したから放置しても良い、というのではないはずだ。危険地域を行政が認識したなら、危険防除に努めるのが行政の責任ではないだろうか。
上記「表題」には強い違和感を覚える。「国に頼らず自ら守れ」とはいかなることなのだろうか。土砂災害危険地域に指定された地域住民は砂防堰堤を地域住民の責任で造れというのだろうか。ただ豪雨情報に従って避難指定場所へ速やかに避難せよ、というのならそう書くべきだろう。
上記「表題」には「自己責任」という思想が滲み出ている。その考え方は危険だ。それなら住民は国に税金を納めるのをやめて、自分たちの身を守るために自分たちの税を使うように国の仕組みを変えるしかない。
「国に頼らず自ら守れ」とは役人が決して口にしてはならない言葉ではないだろうか。国民年金は老後の頼りにならないから、自営業者や派遣や非正規労働者は「国に頼らず自ら守れ」と厚労省官僚が放言したら国民年金制度はアッという間に崩壊するだろう。
本来なら税で小田川の河川付け替えや浚渫作業をこまめに行い、土を固めただけの土手から鉄筋コンクリート堤防へ改修すべきだった。それなら豪雨でも決壊せず溢れ出るだけで、急に家屋が水没することはなかった。「治山治水」を怠った災害だと批判されても仕方ないだろう。
砂防堰堤に関しては危険地域を放置していた行政や国の責任は免れない。ハザードマップを制作したことは、地域住民もだが国も地方自治体も、その地域の危険性を認識していた証拠だ。危険性除去に努力しない、もしくは努力したにしても、流れ下る土砂の総量に満たない不完備な砂防堰堤を設置した地方自治体の責任は問われないのだろうか。
国も原発設置を許可して、原発事故により広域が放射能汚染され多くの住民が被爆した責任を一切問われないのだろうか。果たして東電だけの問題なのだろうか。
日本国民には「御上」を厳しく批判する精神が欠如している。長く「長いものに巻かれ」て来た習いが、そうした精神構造に日本人をしてしまったのだろうか。
終戦後はGHQ様々で、GHQの馬鹿げた自虐史観を全面的に受け入れ、今もバカなMCやキャスターが「朝鮮半島の植民地支配」などと愚かな発言をしている。そして批判すべき原爆投下に対しては「二度と過ちは致しません」などと主語のない意味不明な碑文を刻んでいる。
「国に頼らず自ら守れ」とは国のありようを変えるほどの重大な言葉だ。気象庁の職員が災害避難に当たって発するような言葉では決してない。言魂という。言葉には魂が宿っている。軽々に「国内突破」だとか「日本を取り戻す」だとか仰々して言葉を権力者側が使ってはならない。