2018年9月8日土曜日

徹底比較 安倍晋三と石破茂 (11)

 日刊ゲンダイの連載記事:「徹底比較 安倍晋三と石破茂 (11)」を紹介します。
 ここでは野上忠興氏が、「安倍は政権基盤強化のために右旋回した。頼りとなる“即戦力”は祖父・岸信介ともつながる右系列の勢力しかいなかったから」と述べています。
 彼は「極右」と称される一方で、「真正の右翼ではない」「保守ではない」とそのいかがわしさを指摘する論調は絶えません。
 
 山口県出身で一度安倍氏と対談したことがある芥川賞作家・田中慎弥氏も、本人に会った時に感じた弱さと危うさについて かつて週刊誌に発表しています。
 
 かりそめの「立ち位置」から始まったものがいまや「病膏肓に入る」で大暴走中ということであれば、国民は堪ったものではありません。
 
 対談者の鈴木哲夫氏、野上忠興氏のプロフィールについては、連載1回目
      ⇒ (8月26日)徹底比較 安倍晋三と石破茂 (1)、(2)
を参照ください。
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 徹底比較 安倍晋三と石破茂 (11) 
石破の支援者は地方組織 安倍は政権基盤強化のため右旋回
日刊ゲンダイ 2018年9月8日
鈴木 石破の支援者といえば、まずは地元の鳥取。父・二朗が県知事を長くやっていたので、支援者はその時代から引き継いでいて熱狂的です。
 
野上 まあ、政治家は選挙区の後ろ盾があってこそですから、東京生まれの東京育ちの安倍であっても、それなりの地元の支持は当然ありますが、「支援者」と言うなら、日本会議に代表されるような右寄りの人たちと、一部の芸能人も入っていることが異色ですかね。先日も俳優の津川雅彦が死去した際には、安倍はフェイスブックなどに熱心に追悼メッセージを投稿していましたよね。
 
鈴木 あとは石破の場合、全国の地方組織も支援者と言えるかもしれません。2009年に自民党が下野した後、石破は政調会長だった。その時代に、全国を回っているんです。選挙応援も、町長選挙のような小さな選挙も含め、要請があればどんな選挙でも行っていた。野党だから時間はたっぷりあるわけですよ。もう一度、自民党を立て直すにはどうしたらいいか、ということも考えて、石破はとにかく地方を回っていた。そうすると、地方組織はこんなところまでよく来てくれた、となって。石破は与党に返り咲いて幹事長になった後も、地方回りを続けていました。
 
野上 非自民連立政権誕生時の1993年に初当選し、野党議員として政界入りした安倍は、順風満帆とは言い難かった。例えば、若手厚労族の登竜門である党の社会部会長時には、「介護保険制度」の導入問題でベテラン議員をコントロールできず、厳しい評価を受けるなど、森喜朗政権で官房副長官に抜擢されるまでは目立つ議員ではありませんでした。その後は、幹事長、官房長官とスピード出世し、首相に上り詰めたものの、第1次政権が体調不良から短命に終わったことは周知の通りです。安倍再登板は「まさか」でしたが、本人にとっても「まさか」の12年総裁選の勝利が安倍をして面かじいっぱいに右に切り始める大きな転機になったのではないでしょうか。
 
鈴木 右の支持基盤に頼るという?
 
野上 そう、石破との決選投票が9ポイント強の小差勝利だったことで政権基盤の強化、特に揺るぎないその「支柱」づくりに迫られたわけです。で、周辺によれば、頼りとなる“即戦力”は祖父・岸信介ともつながる右系列の勢力しかないとして、自民党を右旋回へ持って行くことになったといいます。
 
鈴木 石破が地方回りを始めたのは野党の時代からと言いましたが、苦しい時に傍らにいるかどうかというのは、その後の人間関係にとって非常に大きい。それに、石破が応援に呼ばれる選挙は、自民党にとって厳しい選挙なんです。必ず勝てるというのではないから、負けたりするんですが、そんな選挙にも石破さんは来てくれたというのが党員の心に残る。苦しい時に地方を回っていた。負ける選挙でも応援に来てくれた。そういうことが地方組織の信頼につながっている。だから、総裁選でも石破は地方票で強いといわれるわけです。(つづく・敬称略)