9月12日、ウラジオストックでの東方経済フォーラムで、プーチン大統領から「年内に平和条約を締結しよう。一切の前提条件を付けずに」と、‟北方領土問題の解決なくして平和条約なし”としてきた日本政府の立場を無視する提案がされたのに、安倍首相が何の反論もしなかったことに、「外交的な失策」として非難が起きています。
それは安倍首相が「残念ながらいままで領土問題が解決せず、平和条約を締結できなかった。これまでのアプローチを変えていくべきだ」とスピーチしたあと、司会者から発言を促されたプーチン氏が、「いま、この案を思いついた」として発表したもので、安倍首相は微妙な笑みを浮かべただけだったということです。
それに対して 領土問題には常に強硬な主張をしている右翼陣営は、何故か批判がましいことは一切口にせず沈黙を守っています。
文春オンラインが20日、首相の本音は「歯舞・色丹の2島返還で十分、そうなれば領海も広がるから」というもの、それに対して外務省が強く反対しているので苛立っている、領土問題では谷内国家安全保障局長らがトップ同士で合意した内容を、事務レベルで後退させるケースが相次いでいる、とする記事を出しました。
財務省がいまや完全に首相(官邸)に屈服しているのに対して、外務省がそうではないという点は意外ですが、相手のあることなので交渉の経過や一貫性を維持することの重要性を主張しやすいのでしょう。
安倍首相としても、従来は4島返還論を主張してきた手前、2島返還に切り替えたとは公言しにくい事情があるのでしょう。そういう点でプーチン氏の発言は方針転換を表明する恰好の転機になります。そう考えると12日の「プーチン発言」は出来レースであった可能性があります。
元外務官僚の孫崎 享氏が、「日本が「国後・択捉」領有権を主張できる根拠は存在しない」とする記事を出しました。孫崎氏は政権からは完全に独立している人なので、多分その通りなのでしょう。
いずれにしても、もしも安倍首相に2島返還が正しいという信念があるのであれば、彼の回りにいる4島返還論者を説得する責任は彼自身にあります。
文春オンラインと孫崎 享氏の「日本外交と政治の正体」の記事を紹介します。
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安倍首相は「北方領土は2島返還で十分」の考えか 外務省と温度差
安倍首相の怒りは外務省に プーチンから「前提条件なしで」平和条約提案
「週刊文春」編集部 文春オンライン 2018年9月20日
(週刊文春 9月27日号)
「前提条件なしで年末までに平和条約を締結しよう」
9月12日にウラジオストクで開かれた東方経済フォーラム。プーチン大統領からの突然の提案に、安倍晋三首相は微妙な笑みを浮かべた。
「“四島の帰属問題を確認した上での条約締結”が日本政府の公式見解。『前提条件なしで』との発言は、領土問題の棚上げと批判的に報じられています」(政治部デスク)
だが、当の安倍首相は今回のプーチン提案について、こう漏らしているという。
「(10日の)テタテ(一対一の会談)で議論したことの延長だ。22回首脳会談を重ねてきたが、プーチンの主張は変わらない。日ソ共同宣言は義務だと言い続けている」
1956年の日ソ共同宣言は「平和条約を締結して、善意の印として歯舞・色丹の二島を引き渡す」と明記している。一方、国後・択捉両島について、プーチン氏は「大戦の結果、ソ連領となった」と協議に応じていない。
「首相の本音は二島返還で十分というもの。“島民も四島返還は望んでいないし、全面積の7%とはいえ、二島返還で日本の領海は広がる。共同経済活動を進められれば、双方のメリットも大きい”と見ています」(官邸関係者)
フォーラム後、2人は国際柔道大会に出席。この場でもテタテを行い、首相は「プーチン氏は機嫌が良かった」と振り返っていたという。
一方、安倍首相が苛立ちを隠せないのが、外務省だ。首相側近はこう憤る。
「四島返還に拘るあまり、谷内正太郎国家安全保障局長らが首脳同士で合意した内容を、事務レベルで後退させるケースが相次ぎました。山口での首脳会談では秋葉剛男外務審議官(当時)を最後に同席させ、実際のやり取りを見せつけたほどです」
これまでもプーチン氏からは「事務方の報告を聞く限り、日本はこの問題を解決する気がないのではないか」との懸念が伝えられてきた。
「今回もモルグロフ外務次官は、カウンターパートの森健良外務審議官の対応に憤っていました。ただ、苦しいのは、省内に信頼できる人材がいないこと。最も信頼していた一人が、交渉実務を担当していた前ロシア課長ですが、セクハラ問題で9カ月の職務停止処分を受けています」(同前)
両首脳は11月のASEANやAPECで再び会談に臨む方向だ。“年末”まで残り3カ月あまり。「政治とは結果」とは首相自身の言葉だ。
孫崎 享:日本外交と政治の正体
日本が「国後・択捉」領有権を主張できる根拠は存在しない
孫崎享 日刊ゲンダイ 2018年9月22日
プーチン大統領がウラジオストクで行われた会議で、日本との平和条約を年末までに締結するよう安倍首相に提案した。プーチン大統領の発言は、実質的には国後・択捉に関する領土要求を終えることを意味し、これを理解するには日ソ共同宣言を振り返る必要がある。
日ソ共同宣言は1956年に署名された条約であり、次の条項がある。
①日本とソ連との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び善隣友好関係が回復される。
②日本とソ連の間に外交及び領事関係が回復される。
上記の2項目を見れば、「共同宣言」の形を取ってはいるものの、実質的には「平和条約」である。なぜ、「平和条約」としなかったのか。
「平和条約」は通常、領土が確定される。この領土で日ソが対立してまとまらず、領土は将来の妥結を目指し、その際に「平和条約」と呼ぶことにしたのである。
それからずっと日ソ間では領土問題の合意ができず、「平和条約」というものが成立しなかった。従って、今、「平和条約を年末までに締結する」ということになれば、日本は領土問題については「現状で了承した」ということになる。
日ソ間の領土問題は一括して「4島」といわれるが、「国後・択捉」と「歯舞・色丹」は外交上も地理上も、歴史的な経緯も異なる。「歯舞・色丹」は北海道に属し、かつ、外交上も、日ソ共同宣言では「ソ連は歯舞・色丹を日本国に引き渡すことに同意する。これらの諸島は日ソ間の平和条約が締結された後に引き渡されるものとする」とされている。
一方、「国後・択捉」の位置づけについては、さまざまな経緯を説明する必要があるが、最も重要なのは51年のサンフランシスコ講和条約との関係である。この条約には「日本は千島を放棄する」と記載されている。そしてこの会議で、全権代表だった吉田茂首相は「国後・択捉」は「南千島」と述べている。つまり、日本に要求できる法的根拠は存在しないのである。
56年の日ソ交渉時、「国後・択捉」をソ連領とする決意をした重光外務大臣に対し、ダレス米国務長官が「それは許さない」と言い、その後の日本政府は歴史的事実を歪め、嘘と詭弁を今日まで続けているのである。
孫崎享 外交評論家
1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言 ― 握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。