2018年9月25日火曜日

25- シンポ「関東大震災時の朝鮮人大虐殺と植民地支配責任」

 レイバーネットが、22日に開かれたシンポジウム「関東大震災時の朝鮮人大虐殺と植民地支配責任」の概要を報じました。
 1923年9月1日に起きた関東大震災を機に朝鮮人の暴動が起きるというデマ宣伝が流布され、官憲や自警団を結成した日本国民によって数か月間で6000人以上の朝鮮人が虐殺(伊藤隆・東大教授他)されたと言われています。
 
 文中で紹介されているウェブサイト(http://01sep1923.tokyo/には、事件の詳細が語られています。
 近年は日本とアメリカが、かつて戦争をしたこと自体を知らない若者が多いと言われます。
 この朝鮮人大虐殺と植民地支配という恥ずべき歴史についても、あらためて学び直す必要があります。
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報告 : シンポジウム「関東大震災時の朝鮮人大虐殺と植民地支配責任」
レイバーネット 2018年9月24日
 9月22日(土)東京・小平市にある朝鮮大学校で行われた「関東大震災時の朝鮮人大虐殺と植民地支配責任」というシンポジウムに参加した。
 
 第1部は演劇と証言、オモニ(おかあさん)が15歳の時に体験したという関東大震災時の虐殺を、娘の尹峰雪さんが語り継いでいた。第2部がシンポジウムで、第1セッションは「虐殺の真相究明と虐殺否定論」、第2セッションは「虐殺の構造と植民地支配責任」だった。各二人の報告とコメンテーターのお話しで構成されていた。どの方もとても豊富な資料を準備されており、説得力のあるお話しだった。
 
 第1セッションでは、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の西崎雅夫さんが「朝鮮人虐殺に関する真相究明の現状―1100の証言から見える虐殺の実態―」を報告した。流言蜚語の拡大について多くの民間人が官憲(主として警察官)によると証言しているが、政府(軍・警察)が発行した公的資料には記録されていない自警団や軍隊による虐殺について、公的史料には出てこない目撃証言を丹念に調べて報告した。
 
 また「犠牲者の遺骨の行方すらわからないのは、日本政府の事件隠蔽方針のためだ」と話した。朝鮮総督府警務局の極秘文書の中に、殺された朝鮮人の遺骨をどう「処置」すべきかの政府方針が書かれている。90年以上も前の出来事になぜ今もかかわるのかについて西崎さんは、「ひとつは遺族の存在である。今でも『祖父の遺骨を探してほしい』と依頼してくる遺族がいる。まだ事件は終わってない。過去の話ではない」と話した。
 
 またもうひとつの理由は、ヘイトスピーチ。「特定の民族を『殺せ!』と言ってはばからない社会とは何なのか、今こそ私たち自身のありようが問われている」と話していた。ノンフィクションライターの加藤直樹さんは「虐殺否定論とその狙い」について報告した。「『朝鮮人虐殺はなかった』と主張することで、『諸説ある』という構図をつくり、史実を取り上げにくくする効果をねらっている」と。史実がどうではなく、だますことが目的だと話した。どうすればいいのかについて、虐殺の史実を語り、虐殺否定論に反撃する必要があるが、ウェブサイト(http://01sep1923.tokyo/)を見てほしいとのことだった。
 
 第2セッションの「日本の朝鮮植民地支配と朝鮮人虐殺―義兵戦争・シベリア戦争・3.1独立運動から関東大震災へ―」と題する法政大学准教授の愼蒼宇さんの報告は、とても興味深かった。「なぜ日本政府や軍部は朝鮮人を敵と考えたのか」「植民地の反乱と革命情勢という帝国主義の危機の前線にいた重要な連中はみんな震災時に日本に帰ってきて当局の要職にいた」という姜徳相の資料をもとに、関東大震災時の軍警上層部と前歴を細かく調べ、分析していた。1919年の3.1独立運動のあと、1920年に日本軍が間島で3000余人を虐殺していることも私は知らなかった。
 
 朝鮮大学校助教の鄭永寿さんの「解放直後在日朝鮮人運動の実践」も興味深かった。また一橋大学准教授の加藤圭木さんの「日本の朝鮮侵略戦争の過程を丹念に明らかにすることなくして、関東大虐殺事件は理解できないし、日本・朝鮮の近現代史は理解できない」というコメントに納得した。
 
 最後に司会から「東京新聞にこのシンポジウムの紹介記事が載った次の日、大学周辺6カ所に『ウソつき朝鮮人』などの差別落書きがあった。今でも変わっていない」と報告があった。朝鮮半島では南北の首脳会談が行われ、平和に向かって努力がされているのに、なぜ日本ではいつまでもこのような差別が続くのかと、腹立たしくまた恥ずかしく思った。【尾澤邦子】