2019年3月2日土曜日

韓国で「三・一独立運動」100周年記念式典

「三・一独立運動」100周年に当たる1日、韓国ソウルで記念式典が行われ光化門広場には約1万人の市民が集まりました。式典で文大統領は、独立運動当時、朝鮮人の10%が逮捕され多数が死傷したにもかかわらず、朝鮮人の攻撃で負傷した日本人は一人もいなかったと平和的な運動だったことを強調しました。
 
 100年前(1919・大正8年)の3月1日日本の植民地支配下にあった朝鮮ソウルのタプコル公園で、「われらはここに、わが朝鮮国が独立国であること、および朝鮮人が自由の民であることを宣言する」という独立宣言書が朗読されました。宣言は「東洋の平和、世界平和のために朝鮮の独立が必要」とし、非暴力で闘うことを公約にしました。
 独立運動瞬く間に全土に広がり、3月~5月にかけてデモに参加した人数は205万人、デモの回数は1,500回余とされています。しかしその後、日本が憲兵や巡査、軍隊を増強して激しい武力弾圧をしたので、朝鮮国民の中に多数の死傷者が出ました。
 
 しんぶん赤旗の「きょうの潮流」と「主張 朝鮮三・一運動100年 歴史の過ち直視し未来志向へ」を紹介します。
(「きょうの潮流」の原文は句点と改行を省略した文体になっていますが、ここでは句点と改行を行い、適宜、行明けもしました)
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きょうの潮流
 しんぶん赤旗 2019年3月1日
 沈黙のパートナー。100年前、第1次世界大戦を終わらせるために開かれたパリ講和会議。戦勝国の一員として国際舞台に登場した日本はそう呼ばれました
 米英仏が主導した会議ではほとんど発言できず、存在感の薄さが際立ちました。その後、秩序づくりに腐心する国際社会からも外れ、アジアへの侵略をいっそう加速させていきました
 独立万歳(トンニプマンセー) 1919年3月1日、日本の植民地支配下にあった朝鮮で独立運動がわき起こります。ソウル中心部にある公園では宣言書が読み上げられ、運動は日本の憲兵や軍による激しい弾圧にあいながら瞬く間に全土にひろがっていきました
 のちに、この運動について韓国を代表する詩人の金芝河(キム・ジハ)が語っています。「あの日、私たちは、あなたたち日本民族を単に仇敵(きゅうてき)として復讐(ふくしゅう)しようとしたのではなく、残忍無道な加害者であるあなたたち日本民族をも同時に救うことを念じたのです」
 
 民族の自決や人類の平等、東アジアの安定を求めた独立宣言から1世紀。いま日韓の両国関係は冷え込んでいます。根っこにあるのは、歴史の過ちを省みない安倍政権の姿勢です。「未来志向」をいいながら平和への動きのなかでも孤立しています
 
 現代によみがえる宣言書は高らかに。「武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる
 
 
主張 朝鮮三・一運動100年 歴史の過ち直視し未来志向へ
 しんぶん赤旗 2019年3月1日
 100年前の1919年3月1日、日本の植民地支配下にあった朝鮮の京城(現・ソウル)で独立宣言書が発表され、街頭で「独立万歳」を叫ぶ示威行動が全土に広がりました。「三・一独立運動」です。宣言書は、独立が民族自決の正当な権利であるだけでなく「東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和、人類の幸福に必要となる階段」であり、「日本を正しい道に戻して、東アジアを支えるための役割を果たさせようとするもの」と強調しました。三・一独立運動は、日本との真の友好と平和のための協力に向けた展望までも先取りしたことを示しています。
 
国民間の理解と交流深め
 三・一独立運動は激しい弾圧を受けましたが、45年の日本の敗戦による朝鮮の解放、65年の日韓国交正常化を経て、98年に金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相が発表した「日韓パートナーシップ宣言」で三・一独立運動が示した展望は実現へ大きな一歩を踏み出しました。植民地支配に対する「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を日韓の公式共同文書として初めて明記するとともに、「和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させる」ことを約束したのです。
 日本が歴史の過ちを直視した上で、友好と協力を深めようと合意したという点で、真の「未来志向的な関係」に向かう出発点に立った画期的な共同宣言でした。
 
 しかし、日本の首相や閣僚による靖国神社参拝、日本軍「慰安婦」に加え、最近では徴用工問題が浮上し、歴史問題が日韓関係をこじらせています。日本政府は65年の日韓請求権協定、2015年の「慰安婦」問題についての日韓外相合意を挙げて、植民地支配下の朝鮮半島出身者の被害は全て「解決済み」の一言で片づける態度です。
 政府間の外交合意があるとはいえ、被害者一人ひとりが抱える深刻な心の傷を癒やしてこそ「解決」と言えるはずです。日本政府の姿勢は、そこからかけ離れていると言わざるを得ません。
 
 政府間関係が冷え込んでいる一方、国民レベルの交流と相互理解は著しく進展しています。「韓流」はすっかり日本に定着し、世界的スター「防弾少年団(BTS)」が昨年11月から日本で行った9公演には、38万人のファンが詰めかけました。韓国の最大手書店で09年から10年間に最も売れた小説は東野圭吾の127万部、2位は村上春樹の100万部です。昨年、訪韓した日本人は295万人、訪日した韓国人は753万人、初めて合計1000万人を超えました。
 日韓パートナーシップ宣言が指摘している通り、「政府間交流にとどまらない両国国民の深い相互理解と多様な交流」が日韓協力の基礎になります。
 
協力し平和への大転換を
 困難を抱えつつも朝鮮半島で平和への激動が始まりました。朝鮮半島の非核化、恒久的な平和の構築が進めば、戦争の脅威にさらされてきた北東アジアは、平和と繁栄の地域へと一変します。三・一独立運動が目指した「東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和」への旅程が始まろうとしています。日韓両国政府も協力して、北東アジアの平和と安定に向けた大転換を促進すべきときです。三・一独立運動100年を機に、日本政府が歴史を直視する誠実な姿勢を取り戻すことを求めます