辺野古沿岸部埋め立ての是非を問う沖縄の県民投票に対して、政府寄りの5市の首長が投票不参加を表明し困難な状況になったときに、ハンガーストライキを打ち、それにより県議会議員たちを動かして県民投票の実現に向かわせたのは、「辺野古 県民投票の会」代表・元山仁士郎さんでした。
彼は沖縄県宜野湾市生まれで、一橋大大学院に進学していたのですが、昨年4月から1年間休学し、そうした活動に取り組みました。「SEALDs RYUKYU」の設立にも参画しています。
日刊ゲンダイが「注目の人 直撃インタビュー」を行いました。
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注目の人 直撃インタビュー
元山仁士郎さん「一強の安倍政権だからこそ賢明な判断を」
日刊ゲンダイ 2019/03/11
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡る問題の突破口は開くのか。辺野古沿岸部埋め立ての是非を問う県民投票は「反対」が71.7%を占め、玉城デニー知事が日米両政府に結果を通知し、移設断念を改めて求めた。県民投票の立役者となったのは普天間基地を抱える宜野湾市生まれの学生である元山仁士郎さんだ。全県実施が危ぶまれると、ハンストに打って出て全国の関心を高めた。今回の活動と投票結果を通じて何が見えたのか――。
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■政権与党が表に出ず投票しづらい環境
――県民投票は投票率が52.48%。「反対」71.7%、「賛成」19.0%、「どちらでもない」8.7%で、県民投票条例で定める知事の結果尊重義務が生じる投票資格者総数の4分の1のハードルを「反対」が14万票超も上回りました。
知事が投票結果を日米政府に通知するかどうかの4分の1の壁を超えられた点で、まずは成功だと言えると思っています。私が代表を務める「『辺野古』県民投票の会」は、辺野古埋め立てに賛成の立場でも反対の立場でも、みんなで議論して、県民投票で一票を投じましょうと呼びかけてきました。低投票率が懸念されていた中で、52%を超えたのはすごいこと。沖縄県民としても投票しづらい環境だったので、意思を示したいと強く思った方々が投票所に足を運んだのだと思います。そうした有権者が2人に1人以上いたという事実に沖縄県民の底力を感じました。
――投票しづらい雰囲気だったんですか。確かに、投票実施まで紆余曲折がありましたね。
埋め立て工事を推進する国側、現場で作業を進める防衛省沖縄防衛局は説明責任を果たそうとしない。それを容認する沖縄の自民党は全くと言っていいほど表に出てきませんでした。自民党とともに政権与党の一角をなす公明党もしかりです。沖縄の公明党は移設反対の立場を取っていますが、表には出てこなかった。日本維新の会も反対のスタンスではあるようですが、静観していた。こうした雰囲気が投票行動に影響した印象があります。
――「県民投票の会」が投票実施の条例制定を求め、署名集めを始めたのが昨年5月。9月上旬に約9万3000人分の署名を県に提出して条例制定を直接請求し、10月下旬に賛否2択の投票条例が成立。ところが、宮古島市や宜野湾市などの5市長が不参加を表明して、一時は全県実施が危ぶまれました。
沖縄県議会(定数48人)には沖縄・自民党(14人)、社民・社大・結連合(12人)、おきなわ(8人)、日本共産党(6人)、公明党(4人)、維新の会(2人)の6会派があるのですが、政権与党側の自民党、公明党の政治家も沖縄の人たちの思いを十分に理解しているのだとは思います。だからこそ、最終的に賛否2択に「どちらでもない」を追加した3択案が賛成多数で可決し、全県実施が実現した。沖縄の人たちの苦しみだとか、歴史を理解していなければ起き得ないことだったと思います。沖縄県出身の政治家の中にもいろいろいますけれど、総じて沖縄の心をしっかりと分かっている方がやられていると思いますね。
■沖縄の心が分かる政治家が少なくなった
――転じて、国政の場での沖縄への理解をどう見ますか。活動を通じて少なくない数の政治家と議論を重ねてきた。投票結果の背景には歴史的経緯はもちろん、1999年の政府と沖縄県の合意を受けた閣議決定を反故にした不信感もありますよね。普天間返還に動いた橋本政権の流れを受けた小渕政権は、新基地建設の条件を「15年使用期限」「軍民共用空港」としましたが、小泉政権は条件を取っ払って恒久基地化を推し進める閣議決定をした。
そうした経緯を含め、沖縄の置かれた現状をキチンと理解している方は少ないんじゃないでしょうか。東京の政治の世界で、沖縄が抱える問題に関心がある人は残念ながら少なくなってきている印象です。菅官房長官はかつて翁長前知事に「戦後生まれだから沖縄の歴史は分からない」と言い、「戦後の強制接収が普天間問題の原点」という翁長前知事の主張に対し、「賛同できない。戦後は日本全国、悲惨な中でみなさんが大変ご苦労された」と一蹴したこともある。少女暴行事件をきっかけに、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理縮小への賛否を問うた96年の県民投票の結果(賛成91・3%、反対6・4%)を受けて米政府に掛け合った橋本元首相や、沖縄サミットの開催を決めるなどして沖縄振興に力を注いだ小渕元首相の時代と比べると、沖縄の心が分かる政治家が少なくなってきたと思います。
――玉城知事と面会して投票結果を通知された安倍首相は、「真摯に受け止めながら、一つ一つ負担軽減に向けて結果を出していきたい」としつつ、「普天間の危険な状況を置き去りにするわけにはいかない。もはや先送りできない」と移設強行で譲りませんでした。安倍政権が14年に仲井真知事(当時)と約束した普天間飛行場の運用停止を巡っても、先月末の期限を過ぎましたが実現していません。
日本の民主主義というのは一体何なのか、ということが問われていると思います。菅官房長官が県民投票の告示後に「住環境や生活環境に十分配慮しながら進める考え方に変わりはない」と発言して、投票結果にかかわらず移設工事を進める考えを示したのには言葉が出ませんでした。民意をないがしろにする政権の対応を日本で暮らすひとりひとりがどう受け止めているのか。すごく気になります。強権政治を許してしまう、国がやることは絶対だ、というのであれば、私たちは先の大戦から何も学んでいないということになりかねない。
知恵を出し合い悩みながら解を探るのが民主主義
――活動の原動力は?「世代間の対話」「島々との対話」がテーマだそうですね。
いろいろな人と話をしてみたい、という思いがあります。自分の考えもありますが、それが正しいかどうかは分からない。ほかの人の思いを聞いて自分自身が変わるかもしれない。社会にはいろんな世代の人がいて、体験はそれぞれ違う。体験に基づく意見や考え方も違ってきますよね。ひと口に沖縄と言っても、本島とほかの島々では事情が異なる。米軍基地があるか、ないかは大きな違いのひとつです。米軍の存在を身近に感じない暮らしもある。でも、話してみると「同じ沖縄なんだから自分たちも考えなきゃ」「沖縄の問題だからね」といった反応が返ってきて、沖縄に対するアイデンティティー、思い入れの強さをものすごく感じた。自分自身も沖縄出身であること、ウチナーンチュであることに誇りを持てました。
――各地で議論を重ねた努力が投票結果に結びついた。
沖縄だけでなく、日本全体、世界を眺めてもコミュニティーの崩壊が危ぶまれています。議論する機会、とりわけ政治を巡って意見を交わす機会は少ないと思う。スピード感を持って動き、決定し、実行するのをよしとする風潮もある。ですが、社会が抱える問題は時間をかけ、多くの人が知恵を出し合い、悩みながら解を探っていくのが本来の民主主義の姿だと思います。県民投票でそれを実践したい、という思いはありました。
――「スピード感」「決断」「実行力」はまさに安倍政治のスローガン。シングルイシューを問うた県民投票で示された沖縄の民意と安倍政権の方針は真っ向対立しています。
投票結果を真摯に受け止め、沖縄の意思がしっかりと反映される取り組みをすれば、必ずや後世に名を残す偉業になると思います。1強といわれる安倍政権であれば、辺野古の埋め立てを止める、新基地建設も止める、という英断が下せると思っています。強い安倍政権だからこそ、賢明な判断をして、ほかの選択肢の模索を強く前に進めてほしいです。
(聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)
▽もとやま・じんしろう 1991年、沖縄県宜野湾市生まれ。国際基督教大卒業後、一橋大大学院社会学研究科修士課程に進学。昨年4月から1年間休学、今年4月に復学予定。安保法制への抗議を展開した学生団体「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)や「SEALDs RYUKYU」の設立に参画。