2019年3月3日日曜日

日本ペンクラブが官邸の質問制限で声明文 日本出版者協議会も

 首相官邸側が東京新聞望月記者の質問を事実誤認などと主張している問題で、日本ペンクラブは1日、記者の質問に対して十分な説明をするよう官邸側に求める声明を発表しました。
 声明では、官邸側の対応を「大人げない」とし、官房長官の記者会見は、国民の知る権利を前提にして「記者がさまざまな角度から政府の政策を問いただす場」だと指摘しています
 日本出版者協議会も同日、安倍政権が報道に圧力をかけて「言論の自由」を侵しているとする抗議文を公表しました。
 二つの声明を紹介します。
 
 また菅官房長官が東京新聞に対して、社内の人事で決められる記者が国民の代表とする証拠を示せ」と子供じみたことを述べたのに対して、小林節・慶大名誉教授が「報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である」と述べた記事と、官邸が望月記者の質問を「事実誤認に基く質問」と極めつける文書を出したことに対して、作家の適菜収氏が「確実な証拠がないから追及が必要なのだ」と批判した記事を併せて紹介します。
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日本ペンクラブ声明 
「首相官邸記者会見の質問制限と回答拒否問題について」
 
 いったい何を大人げないことをやっているのか。内閣官房長官と首相官邸報道室のことである。両者は昨年末、内閣記者会に対し、東京新聞記者の質問が「事実誤認」「問題行為」であるとして「問題意識の共有」を申し入れたのを手始めに、2ヵ月が経ったいまも、同記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と高飛車に応じている。
 官房長官の記者会見は、記者がさまざまな角度から政府の政策を問い質す場である。その背後に国民の「知る権利」があることは言うまでもない。質問に誤解や誤りがあれば、それを正し、説明を尽くすことが官房長官の仕事ではないか。「答える必要はない」とは、まるで有権者・納税者に対する問答無用の啖呵である。
 そもそもこの問題には最初から認識の混乱がある。官邸報道室長が内閣記者会に申し入れた文書(昨年12月28日付)には、会見はインターネットで配信されているため、「視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねない」とあった。
 ちょっと待ってほしい。政府は国会答弁や首相会見から各種広報や白書の発行まで、政策を広める膨大なルートを持っている。問題の官房長官記者会見も「政府インターネットテレビ」が放送している。仮に「誤った事実認識」が散見されたとしても、政府には修正する方法がいくらでもあるではないか。それを「拡散」などとムキになること自体、大人げないというべきである
 私たちは今回の一連の出来事に対する政府側の対応を、なかば呆れながら見守ってきた。この硬直した姿勢は、特定秘密保護法、安保法制審議、いわゆるモリカケ問題から、最近の毎月勤労統計不正、沖縄県民投票結果への対応までほぼ一貫し、政府の資質を疑わせるまでになっている。
 私たちが懸念するのは、これらに見られた異論や批判をはねつけ、はぐらかす姿勢が、ものごとをさまざまな角度から検討し、多様な見方を提示し、豊かな言葉や音楽や映像等で表現しようとする意欲を社会全体から奪っているのではないか、ということである。これは一記者会見のあり方を超え、社会や文化の活力を左右する問題でもある。
 私たちは官房長官と官邸報道室が、先の申し入れ書を撤回し、国民の知る権利を背負った記者の質問に意を尽くした説明をするよう求めるとともに、報道各社の記者がジャーナリストとしての役割と矜持に基づき、ともに連携し、粘り強い活動をつづけることを期待する。
2019年3月1日
一般社団法人日本ペンクラブ
会長 吉岡 忍
 
日本出版社協議会声明 首相官邸による内閣記者会への申し入れに抗議する
 
 昨年末、上村秀紀・総理大臣官邸報道室長の名前で、内閣記者会加盟社宛に、「東京新聞の特定の記者」による質問内容が「事実誤認」であり、「正確でない質問に起因するやりとり」は「内外の幅広い層の視聴者に誤った事実認識を拡散」させることで「記者会見の意義が損なわれる」ので、「当該記者による問題行為については深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げる」とした文書が送られた。  
 2月20日付け東京新聞の検証記事によれば、この「特定記者」の質問を巡っては、2017年8月から2019年1月までに、9回にのぼる申し入れを官邸から受けたという。さらに記者会見の場においても、一昨年の秋以来、この記者の質問中、進行役の報道室長によって「簡潔にお願いします」などとしばしばせかされ、質問を何度も遮られる事態に陥っているという。
 同記事は、「権力が認めた『事実』。それに基づく質問でなければ受け付けないというのなら、すでに取材規制だ」「記者会見は民主主義の根幹である国民の『知る権利』に応えるための重要な機会だ。だからこそ、権力が記者の質問を妨げたり規制したりすることなどあってはならない」と訴えている。
 今回の文書の直接の契機となった質問は、辺野古新基地建設に関するものだった。「埋め立ての現場では、いま赤土が広がっております」と記者がただしたことに対し、報道室長名の文書は、区域外への汚濁防止措置をとっているとして「赤土による汚濁が広がっているかのような表現は適切ではない」という。こうしたやりとりそのものは、通常の記者会見の場における質疑でなされればよく、その事実がどこに存在するかは、実際の現場の状況そのものによって明らかにされることだろう。しかし、たとえ記者が取材に基づいて明らかにした事実であっても、官邸の判断で「事実に基づかない」とされ、「事実誤認」を拡散する行為とされるなら、政府の説明を額面通りに受け取れというに等しい。そして、そういう恭順な姿勢を示さない記者を「事実」の名の下に排除することを意味する。何が事実であるかを決定するのは官邸であり、メディアは黙ってそれを受け入れよという不遜な態度だ。
 これに対して記者会は、「質問を制限することはできない」と応じ、日本新聞労働組合連合(新聞労連)も2月5日、「官邸の意に沿わない記者を排除するような申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭めるもので、決して容認できない」とする抗議声明を発表した。全く当然の主張であり、私たちも言論、出版に携わるものとしてこれを支持する。
 安倍政権は、一方ではマスコミ各社の幹部や論説委員などとひんぱんに会食を重ね、他方では「公正中立な報道」を繰り返し要求するといったかたちで、権力に対して批判的な報道に圧力をかけ続けてきた。今回の官邸の姿勢も、そうしたメディア支配の流れにあるものであり、「言論の自由」「報道の自由」を犯すものとして、私たちは強く抗議する。
2019年3月1日
日本出版者協議会
会長 水野 久
ここがおかしい 小林節が斬る
報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である
小林節・慶大名誉教授 日刊ゲンダイ 2019年3月2日
 東京新聞が「記者は国民を代表して質問に臨んでいる」と記したら、官邸が「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員で、東京新聞は民間企業で、会見に出る記者は社内の人事で決められている」「記者が国民の代表とする証拠を示せ」と返したとのことである。
 まるで子供の喧嘩のようである。秀才揃いの官僚たちに囲まれた最高位の政治家がこんな明白な嘘を返して平然としているとは、この国の政治はいよいよ末期症状である。
 選挙で選ばれた政治家が形式的に国民の「代表」であることは間違いない。しかし、歴史の教訓が示しているように、権力者もその本質はただの人間であり、絶対的権力は絶対に堕落するものであるから、人類は、政治権力を牽制する仕組みをさまざまに工夫しながら、今日まで進歩してきた。
 立憲主義、三権分立、議院内閣制、法治主義、権力の乱用に対する盾としての人権と司法の独立、法の支配、地方分権などである。
 それでも、最高の権力を握る人間どもは巧みに法の網をくぐり抜けながら私利私欲を追求し悪事を繰り返すものである。モリカケ問題は未解明・未解決であるが、これなど権力の堕落の典型である。
 国会議員は、形式上、国民の代表であるが、例えば菅官房長官は1億人もいる日本人の中の12万人余りから明示的に支持されただけの存在である。
 1776年にアメリカが独立して世界初の民主国家が誕生して以来、人類は、政治家の堕落を直視しながら政治の質を高める努力を続けてきた。
 そして、その中で重要な役割を果たしてきたのが主権者国民の知る権利を代表する報道の自由である。つまり、国民が皆それぞれに自分の生活に忙殺されている日常の中で、職業としての権力監視機関として、報道が発達し、憲法の重要な柱のひとつとして確立され、世界に伝播(でんぱ)していったのである。
 だから、報道機関は紛れもなく憲法上、国民の代表であり、また、権力を監視する以上、権力の紐が付かない民間機関なのである。これは、わが国を含む自由で民主的な社会における世界の憲法常識である。 
 
 
それでもバカとは戦え
言論統制が深刻化…確実な証拠がないから追及が必要なのだ
適菜収 日刊ゲンダイ 2019年3月2日
 ナチスの宣伝相でヒトラーの女房役のゲッベルスによるプロパガンダの手法は、より洗練された形で今の日本で使われている。デタラメな説明を一方的に繰り返し、都合が悪くなれば、言葉の置き換え、文書の捏造、資料の隠蔽、データの改竄を行う。わが国は再び20世紀の悪夢を繰り返そうとしているが、言論統制も深刻な状況になってきた
 
 2018年12月、東京新聞の望月衣塑子記者が、官房長官の菅義偉に対し、辺野古の米軍新基地建設について「埋め立て現場では今、赤土が広がっており、沖縄防衛局が実態を把握できていない」と質問。すると官邸は激怒し「事実に反する質問が行われた」との文書を出した。では、事実に反するのはどちらなのか?
 土砂投入が始まると海は茶色く濁り、沖縄県職員らが現場で赤土を確認。県は「赤土が大量に混じっている疑いがある」として沖縄防衛局に現場の立ち入り検査と土砂のサンプル提供を求めたが、国は必要ないと応じなかった。その後、防衛局が出してきたのは、赤土投入の件とは関係のない過去の検査報告書だった。
 
 東京新聞は官邸から過去に9回の申し入れがあったことを明らかにし、反論を掲載。それによると望月記者が菅に質問すると報道室長が毎回妨害。安倍晋三が流した「サンゴ移植デマ」についての質問は開始からわずか数秒で「簡潔に」と遮られた。国会で「申し入れは報道の萎縮を招く」のではないかと問われた菅は「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ」と言い放ったが、特定の女性記者を「決め打ち」しているのは菅だ
 
 もちろん、メディア側が間違うケースもある。にもかかわらず、疑惑の追及は行われなければならない。モリカケ事件の際も「確実な証拠があるのか」とネトウヨが騒いでいたが、アホかと。確実な証拠があるならすでに牢屋に入っている。確実な証拠がないから追及が必要なのだ。事実の確認すら封じられるなら、メディアは大本営発表を垂れ流すだけの存在になる。
「(沖縄の県民投票が)どういう結果でも移設を進めるのか」と問われた菅は「基本的にはそういう考えだ」と述べていたが、そのときの満足げな表情は、望月記者をいじめ抜いたときと同じだった。菅の行動原理が読めないという話はよく聞くが、単なるサディストなのかもしれない。言い過ぎだって? いや、そのご指摘はあたらない
 
 適菜収 作家
1975年生まれ。早大で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。ニーチェの「アンチクリスト」を現代語訳した「キリスト教は邪教です!」、「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」など著書多数。近著に「もう、きみには頼まない 安倍晋三への退場勧告」。