2019年3月22日金曜日

「お花畑」と楽観(田中淳哉弁護士の“つれづれ語り”)

 今週の田中淳哉弁護士の「つれづれ語り」は「『お花畑と楽観」というタイトルです。
 それを読むと、まず私たちは軍事・防衛に関して、実に多くの楽観を無自覚のうちに持っていることが分かります。同時に安倍首相に代表される軍拡論者は、われわれ以上に、自分たちに都合の良い楽観論に基づいて彼らの論理を組み立てていることにも気づかされます。
 
 憲法9条の改正に反対する立場の人たちを揶揄する「お花畑」については、田中氏は「憲法9条の改正について賛否いずれの立場をとるにせよ、その判断が軍事や戦争の常識を踏まえずになされているのだとすれば、お花畑的思考との批判は免れないであろう」、「軍事や戦争にまつわるシビアな現実を踏まえて判断しなければ」ならないと述べています。
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つれづれ語り(「お花畑」と楽観)
『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。
 
2019年3月20日付に掲載された第55回は、「お花畑」と楽観です。
 
新潟県弁護士会では、3月23日(土)午後2時~、新潟ユニゾンプラザで、憲法講演会を開催します。
この講演会の主題は以下の2つですが、このコラムは②に関わるものです。
  ①揺れ動く世界情勢をどの様に捉えるべきか
②その世界情勢の変化にどのように対応すべきか
 
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「お花畑」と楽観
 
軍事にまつわる楽観や誤解
伊藤真、神原元、布施祐仁著『9条の挑戦 非軍事中立戦略のリアリズム』(大月書店2018年)を読んだ。
冒頭の第1章で、伊藤真弁護士が「憲法9条の防衛戦略」について書いている。そのなかで、「次のような楽観的希望を持っていないでしょうか。」との問いかけがあり、はっとさせられた。
 
軍隊は国民を守るものだと思う楽観、武力で紛争を解決できるという楽観、米国は日本のために戦ってくれるという楽観、自衛官はPTSDにかかったり自殺したりするはずはないという楽観、軍隊を持って抑止力を強化すれば攻められないという楽観、戦争をすれば必ず勝てるという楽観、戦争しても被害はないという楽観、原発は標的にならないという楽観、軍隊を持つ国になってもテロの標的にはならないという楽観、軍事費を増やしても福祉に影響はないという楽観、軍隊を持っても人権保障に影響はないという楽観、文民統制は可能だという楽観、日本の政治家には米国の要求を拒否できる能力があるという楽観・・・。
 
抑止力への過剰な期待
こうした楽観(一部は誤解と言ってもよいと思うが)を一つも持っていないという方はそれほど多くないのではなかろうか。とりわけ影響が大きいと思われるのは、抑止力に関わる楽観だ。わが国の防衛政策の基本スタンスは、日米同盟を維持・強化することによって抑止力を増すというものだ。
 
しかし、抑止力は複雑かつ不確実なものであり、決して万能ではない。安全保障上最大の脅威とされているテロに対しては効果が期待できない。抑止力的発想に偏り過ぎれば、軍拡競争を招き、かえって安全保障環境が悪化しかねない。抑止が破れてしまったときは甚大な被害が生じることとなりかねない等々。
抑止力に過剰な期待や幻想を抱くのは、危険だ。
 
シビアな現実をふまえて
2018年防衛大綱では「防衛の目標」の1つとして、「我が国に脅威が及ぶ場合」には「被害を最小化する」と記載されている。「総合的な防衛体制の構築」の項で、国民の「避難施設の確保」に言及されていることからも,日本が戦場になることが一定程度想定されていると見て取れる。
 
防衛政策は、基本的に楽観や誤解を排し、現実に即して決定される。ただ、政府は不都合な事実についてまで丁寧に説明して、私たちの楽観や誤解を正してくれる訳ではない。
 
憲法9条の改正に反対する立場の人たちを揶揄する際に、「お花畑」という言葉が用いられることがある。しかし、憲法9条の改正について賛否いずれの立場をとるにせよ、その判断が軍事や戦争の常識を踏まえずになされているのだとすれば、「お花畑」的思考との批判は免れないであろう。
 
楽観や誤解、過剰な期待や幻想を排し、軍事や戦争にまつわるシビアな現実を踏まえて判断しなければ、リスクが現実化したときにこんなはずではなかったということになりかねない。